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8月5日(月) 旧暦7月2日
猿山のニホンザル。(井の頭動物園にて) 暑さのせいかほかのサルたちの姿はほとんどみかけなかった。 「もう暑くてたまんないわ。なんとかしてよ」ってややなげやり的な感じのメスザル。 猿山には木蔭もなく、サルたちはツライかもしれない。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装フレキシブルバック製本帯有り 202頁 二句組 著者の山下由理子’(やました・ゆりこ)さんは、1958年福島県生まれ、現在はさいたま市にお住まいである。1995年「狩」入会。1999年毎日俳壇賞受賞、2001年「狩座賞」受賞。2002年「狩」同人 俳人協会会員 2007年第句集『野の花』上梓、2008年第30回「狩』弓賞受賞、2019年「狩」終刊により「香雨」入会。現代は「香雨」同人、俳人協会幹事、俳人協会埼玉面支部世話人。本集は第2句集となる。片山由美子主宰が帯文を寄せている。以下に紹介したい。 枯蓮の水を支へに立ち尽す ひぐらしの声の汀を歩みゆく 春風や便箋を買ひ花を買ひ 第一句集上梓から十六年、その間の作品は素材が広がり、さまざまな叙法が試みられている。多彩な季語の使用にも工夫があり、読み終わった後のすがすがしさが山下さんの俳句の魅力である。 第1句集『野の花』はふらんす堂で上梓された、その句集の制作時のことはよく憶えている。しかし、あれからすでに16年が経っているとは、、、信じられない思いである。 本句集の担当はPさん。 薄氷の縁の鋭く日を返す 山の端を雲が引き出す五月かな 巡礼の手をあててゐる山桜 山の水より掴みだすラムネ瓶 煮返しの鍋をゆすりて冬どなり 目をつむることも祈りや夕若葉 Pさんの好きな句をあげてもらった。 薄氷の縁の鋭く日を返す 薄氷を詠んだ一句であるが、よく見て写生した一句だ。深見けん二の〈薄氷の吹かれて端の重なれる〉の句を思い起こさせるような一句だ。掲句は、風ではなく日差しを見出している。薄氷の縁に視線を集中させ、その縁が日差しに光っている様子を「鋭く日を返す」詠んだ。薄氷ならではの繊細な光である。「薄氷」を主体として詠んだところに春という季節に一歩踏み出した感がある。この返した日差しは、するどくあってもいくぶん濡れたような日差しであるかもしれない。薄氷が返し放った日差しはまさに春の光のまぶしさに充ちていたことと思う。 山の水より掴みだすラムネ瓶 著者の山下由理子さんは、山歩きがお好きでよくなさるようだ。本句集にもそのことを思わせる俳句がしばし登場する。この一句も、きっと山歩きから生まれた一句だと思う。おそらくラムネを飲むのに最高の情況であり最高の飲み方なのではないだろうか。まず、山の水で冷やしたラムネである。それだけでラムネの美味さが倍増しそうだ、そして夏山のすがすがしさを堪能しながらラムネを飲むのである。これ以上美味しい飲み方があるだろうか。わたしも時にラムネを飲む。時々行く深大寺のお蕎麦屋さんに置いてあって、飲むのである。美味さはそこそこである。この句のようなラムネの飲み方、まさに涼感たっぷりでなにもににも替え難い。この一句即物的に述べているだけあるが、その先の景色を読者に想像させる一句だ。季語は「ラムネ」、季語をあじわう(?)のにこれ以上お味わい方はないんじゃないかと思う。 白蝶の翅畳むときかげりけり 白蝶の一瞬をとらえた繊細な一句である。開いた翅を畳んだとき影がうまれたというのではないだろう。その時に白蝶全体が昏くなったように思えたのだ。理屈による暗さではなく、存在するものがふっと見せる暗さを捉えた一句のようにおもえて好きな一句である。かげったのは、白蝶そのものであって、白蝶が本来的にもっている暗さをその一瞬の景に見出したのではないだろうか。この「かげり」は本当に幽かな翳りで、作者の目はその瞬時を捉えたのだ。と私は勝手に鑑賞したのだが、畳んだ翅が影をつくったという鑑賞の仕方があってももちろんよろしいと思います。 枯蓮の水を支へに立ち尽す 片山由美子主宰が、帯にあげていた句である。わたしも印をふした一句だ。「水を支へに立ち尽す」という措辞が枯蓮ならではのものと思う。「水を支へ」というのは、枯蓮から見ちびだした作者の一つの観念である。というか、踏み込んだ思いである。しかし、枯蓮をみていると、そういうもんじゃないかっておもえてくる。そして枯蓮はじいっと「立ち尽」しているのである。まさに水を支えとして。「枯蓮」のそこはかとない哀れさもみえてくる一句だ。 春風や便箋を買ひ花を買ひ これも帯にとられていた一句であるが、わたしの好きな一句である。「春風」がいい。「春風」って詠むのはむずかしいんじゃないかって思う。下手によむと甘くなってしまう。この一句は、具体的な行為をとおして、春を楽しんでいる作者の浮き立つ心がみえてくるのがいい。手紙を便箋に書く、という行為を自然にして来られた年代のひとであって、今の若者は手紙を便箋に書く、なんてことはしないのかもしれない。わたしは仕事柄、便箋や葉書は必需品でメールですませることもあえて手紙や葉書にして投函するということをする。相手にとどくまでの時間をおもうことが、いいなって思う。なにもかも合理的に生きるんじゃなくて、無駄や遠回りをすることを楽しむ、そんな気持ちになれるのも春になって心がゆるみだしたからこそって思いません? スタッフのみおさんの好きな一句は、〈足元にしまひの水を打ちにけり〉。 句集『風の楯』は、『野の花』に続く私の第二句集です。二〇〇七年から二〇二三年の「狩」および「香雨」に掲載された作品を中心に三五八句を収めました。 第一句集出版のころの私の俳句の楽しみは、若い時から好きだった山歩きや自然散策をしながら、そこで出会った景色や経験したことを句にすることでした。そして、一句の中に自然の息遣いを少しでも込めることができたとすれば、それが何よりの喜びでした。それは今も同じです。 長きにわたりお導きいただきました鷹羽狩行先生の「狩」が終刊になり、「香雨」で片山由美子先生のご指導をいただいております。由美子先生にはご多忙の中、句集名と帯文を賜りました。心より御礼申し上げます。 「香雨」で学び始めて間もなく、新型コロナ感染症によるパンデミックに襲われました。世の中が少し落ち着いたころ、由美子先生はいち早く、細心の注意を払いながら、対面の句会を再開してくださいました。句会に参加しているときだけが穏やかな心でいられる、唯一の時間だったように思います。本当に有難いことでした。句会の中で伺った、「人の心を打つのは日常の小さな発見。将棋の〈歩〉が〈と金〉になるように、些細なこと、一見つまらなく感じられることが、季語と出会って大きなこと、面白いことに変わる。それが俳句の楽しさ」、というお話が忘れられません。 日常の中に俳句の種を探し、その種を育んでゆくように句を作る作業は、「どう詠むか」ということの大切さを改めて考えさせてくれました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、前句集とおなじく君嶋真理子さん。 扉。 フレキシブルバック製本により、たいへん開きやすい。 目をつむることも祈りや夕若葉 五月二十七日、鷹羽狩行先生がお亡くなりになりました。この句集をご覧いただくことは叶いませんでしたが、これからも見守っていてくださると信じております。 先生、ありがとうございました。(あとがき) 上梓後のお気持ちをうかがった。 (1) 本が出来上がって手元に届いたときの気持ちは… 色校正のときにイメージを膨らませましたが、実際に手にした句集は、想像をはるかに超えてすっきりと、涼しげな出来上がりで、ページも開きやすく、嬉しかったです。 今までご指導いただきました先生方、お世話になりました句友の皆様にお読みいただきたいと思いました。と同時に、これまで私の人生を豊かなものにしてくれた、俳句以外の友人たちにも読んでもらいたいと思いました。 (2) 第二句集に込めた気持ちは… 第一句集を出版し、すっかり満足してしまった私でしたが、句友の皆様の素晴らしい句集を読ませていただき、特に「香雨」で勉強するようになってから、少しずつ第二句集への気持ちが高まったように思います。自分がどのような句を今後作ってゆきたいのか、じっくり考える句集作りになればいいなあと思いました。 (3) 句集を出版し、今後の句作への思いなど 吟行を楽しみ、自然詠でも人事句でも、自分の心のつぶやき、本音を飾ることなく一句にすることができたとしたら、大きな喜びです。 山下由理子さん。 今年の1月22日にご来社のときに。第1句集『野の花』を手に。 来し方のとざされてゆく花吹雪 山下由理子 惹かれた一句です。 仙川が氾濫しそうになって、カワセミたちは大丈夫だろうかと心配したのだが、みな元気だった。 そのうちの一羽。 オリンピックはほとんど見ていない。 ただ、今日はみるつもり、 陸上100メートル走である。 シンプルさがいい。 筋肉が美しい。。 走る前の表情がいい。 それだけの理由なんだけど。。。 さ、 早く帰ろう。
by fragie777
| 2024-08-05 20:26
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