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8月1日(木) 八朔 大雨時行(たいうときどきにふる) 旧暦7月27日
扶桑花(ブッソウゲ)。 昨夜のゲリラ雷雨には驚いてしまった。 仙川もあと1メートルほどで氾濫しそうだったとのこと。 スタッフが送ってくれた増水しつつある仙川。 こんな仙川見たことがない! 川の氾濫っていとも簡単になるのかもしれない。 あらためてコワイ。 わたしも駐車場までたどりつくのにびしょ濡れとなってしまった。 新刊紹介をしたい。 四六判正寸ペーパーバックスタイル帯有り 186頁 二句組 著者の髙橋あや子(たかはし・あやこ)さんは、1950年千葉県柏市うまれ。現在は北海道千歳市在住。俳誌「あびこ」「にれ」「澪」を経て、現在は北海道俳句協会会員。千葉市生涯学習俳句講師。本句集は、第1句集『束ね髪』(2008)、第2句集『流氷欷く』(2012)、第3句集『四季の旋律』(2015)に次ぐ第4句集となる。 本句集のタイトル「月光しづく」は、 臨終のなみだ月光ひとしづく 束ね髪解けば月光雫かな の二句によると「あとがき」に記してある。「臨終のなみだ」の句は、お父さまが亡くなられたときの一句であるとおもう。その前後に〈父は吾をきれいに忘れ薄雪草〉〈父の眼の奥の花野を走りたし〉〈死者が手を組む夕空を鷹柱〉という句がおかれている。 本句集には、亡き父への追悼のおもいがこめられているのではないか。 本句集の担当は、文己さん。 父の眼の奥の花野を走りたし 体内に潮の満ち引き春うれひ 夕鶴となり還り来よ忌日来る 「お嫁に行くの」アネモネ開くやうに告ぐ 補聴器を付けらば蝶の息づかひ 父の眼の奥の花野を走りたし 「月光しづく」の前におかれた一句である。死にゆく父を前にしている。激しい父恋の一句である。思い出の一句というのでもなく、父の肉体の中に取り込まれたいというのともすこし違うような、「父の眼の奥の花野」とは父がいまその脳裡に花野を思っているその「花野」ということだろうか。その父の「花野」を走ることによって父と一体になるという思い、そんな強い欲求を詠んだ一句か。この花野を走っている作者は幼い少女にもどったかのようでもある。「花野」は父にとっても自身にとっても大切な思い出の場所だったのだろう。死んでゆく父への思いをこのように詠む、「走りたし」に命を呼び止めるような心急くおもいも感じる。 「お嫁に行くの」アネモネ開くやうに告ぐ 文己さんが選んだ一句。面白い一句だ。「お嫁に行くの」という言い方、わたしの周りの女性たちはまず言わない言い方かもしれない。やや無邪気に女性がおっとりと口にした言葉、「あらあ、よかったわねえ」なんて言われた側は応えている、そんな場面が浮かんでくる。すんなりとそういう言葉を口にするということ、それを作者は「アネモネ」が開くようと喩えた。アネモネの花か。。。いい表現かもしれない。薔薇でもなく、チューリップでもなく、クロッカスでもなく、う~ん、やはりアネモネがいい。「アネモネ」という言葉がもつまったりとしたおおらかな響き。そして花のあかるくて優しい風情、「お嫁に行くの」という言葉によく合っていると思いません?「アネモネ開くやうに告ぐ」は、作者の祝福の心にみちた措辞であると思った。 太極拳春満月を抱き寄する これはわたしが好きな一句である。不肖yamaokaも太極拳を舞う、というかやる。身体をやわらかく粗の状態にして、宇宙の大気に触れつつそれをかき混ぜながら(!?)演舞するのである。なんとまあエライコッチャなのよね。「春満月を抱き寄」せるなんておもったことなかったけれど、この一句をみて、ああ、いいわあって思った。いわゆる満月なら、あまりにもさやかに皓々として近づき難いけど、春満月だったらなんともほのぼとして親しみやすくあちらか近づいてきてくれそうな気配さえある、そんな春満月を抱き寄せながら、太極拳をする、いいわあ。。想像力にとぼしいyamaokaはこれまで思ったことなかったけれど、こんどやってみよう。春満月、近づいてくれるかしら。。 蚯蚓干乾びFMよりイマジン この句も面白い一句だ。著者の髙橋あや子さんは、音楽大学を卒業しておられ、本句集にも音楽に関する句が多い。楽器もひかれ多分人よりも多くの音楽を聴いておられるのではないだろうか。専攻はクラシックであられたかもしれないが、本句集にはいろんな音楽が詠まれている。掲句はジョン・レノンの超有名なイマジンを詠んでいる。その「イマジン」と蚯蚓の取り合わせが面白い。しかも蚯蚓は、干からびた蚯蚓というのが哀れである。しかし、この干からびた蚯蚓に作者の憐れみはこめられてはいない、FMから流れるイマジンの曲が、あるいは干からびた蚯蚓をかすかに追悼しているのかもしれない。わたしは結構すきな一句である。 本心を切り出す新茶の封を切り 新茶の封を切るのも、「新茶」であるという認識によってやや心改まり気合いがいる。そして、えいっとばかりの勢いも必要。その勢いに乗じて「本心」も言っちゃおうというのである。この句、「切る」という言葉を重ねて用いて効果的である。お茶を飲み合う親しい間柄であるけれど、本心はいいにくい関係か。しかし、本心は伝えておきたい、その時をいつにするか、思いあぐねていたのだ。そこへ新茶が到来した。ヨシ、この時である。ということで、お茶にさそいながら、いよいよ本心を語るのである。勢いよく新茶の封を切った。つかさず、その弾みで本心を。この「切り出す」という謂いに、勢いだけでなく冷静沈着さもあることがわかる。きっとうまく相手に伝わったのではないだろうか、そう思いたい。 長い間俳句と向き合い勉強して来ました。生き甲斐でもあります。「にれ」入会の際に木村敏男主宰より「あなた以外『にれ』全員が教師ですよ」の言葉、そして「継続は力なり」の言葉を私の手帳に書いて頂いた事が私を成長させてくれました。 生き様を活字として残せる事を思いつつ、今まで指導して下さった恩師、句友そして一番の理解者であります主人に心より感謝の念を捧げたいと思います。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装訂は、君嶋真理子さん。 タイトルの金箔が効果的で、 詩情ある一冊となった。 装訂については、 「うす紫の萩と月、とても気に入りました。ここまでいろいろと考えてくださり感謝しています。」というお言葉をいただいている。 涼風の過ぐビオロンのf字孔 句集上梓後のお気持ちをうかがった。 待ち焦がれた句集が今日手元に届きました。ドキドキ、ワクワクが入り交じりながら包みを開け、句集の産声を抱きしめました。金箔の「月光しづく」の文字はとても眩しく、この上ない喜びを感じました。 十七文字を一行詩として生み出す作業は大変でしたが、三百二十句に没頭できました月日は幸せそのものでした。心象句が多く難解な句も混じっていますが、これからも一句一句、詩として表現出来る句を目指して学び続けていきたいと思います。 髙橋あや子さん センチメンタルジャーニー寝返ればひぐらし 髙橋あや子 梅干し。 藤本美和子さんが、送ってくださった。 毎年つくるという。 「わたし、梅干しつくるの大好きなのよ。」とおっしゃっいたので、「それは是非一粒味見させて」と言って無心したら、送ってくださった。 さっそく味見、スタッフたちにも一粒づつあげた。 「すごく美味しい。」とスタッフたち。 「おばあちゃんの梅干しと同じだった」とわたしが言うと、「わたしの家は母がつくるんです」「わたしの家はおばあちゃん」とそれぞれが言う。 やわらかくて、しょっぱすぎず、梅の風味がいきていて、藤本美和子さんが自慢するだけある。 藤本美和子さま、ご馳走さまでした。
by fragie777
| 2024-08-01 19:20
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Comments(2)
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