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7月31日(水) 旧暦6月26日
精霊蜻蛉。 ゆらりゆらりと飛んでいた。 すでに塩辛蜻蛉の姿も。 神代水生植物園の塩辛蜻蛉はすごく人懐っこくて、わたしは仲良し。 このブログを書き始めるまえからすこし頭が痛い。 わたしは頭痛持ちではないので、こんなこと珍しい。 熱中症かしら、でも水分塩分補給はぬかりなくやっている。 「気圧の関係かもしれませんよ」ってスタッフが言う。 そして、調べたところ目下気圧が急上昇中であるということ。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 180頁 二句組 著者の岡本泉(おかもと・いずみ)さんは、昭和12年(1937)群馬県桐生市生まれ、3歳より高知県四万十市に移る。現在は神奈川県藤沢市在住。昭和55年(1980)「鷹」入会、昭和62年(1987)「鷹」同人。俳人協会会員。本句集は第1句集で、序文を小川軽舟主宰が寄せている。 小川軽舟主宰の序文より抜粋して紹介したい。 泉さんは郷里に多い楊梅を句集名に選んだ。 楊梅や思ひ出ばかりつぎつぎと 郷里の両親を早く亡くした泉さんにとって、楊梅は郷愁のよりどころをなす樹であり、果実なのだろう。泉さんが育ったのは土佐の中村市(現在の四万十市)。その土地で泉さんはどんな思い出を胸に刻んだのか。その背景には、楊梅がたわわに実る南国の楽園が豊かに広がっているのだろうと想像する 夕菅や音も二輛の小海線 湘子先生の厳しい指導に鍛えられ、この句で初めて湘子選の推薦句に入った。「音も二輛の」というところに実感があり、そこから静かな旅情が広がる。自分の俳句もやっとここまで来たかと喜びもひとしおだったことと思う。さらに精進しようと心に誓ったはずだが、師はいつまでもいてくれるものではない。 恵方巻かぶりつけよと言はれても 特に印象に残ったのは恵方巻の句。恵方巻と称して節分に食べる太巻は、恵方を向いてまるのままかぶりつき、一本食べ終えるまで口を利いてはならないとされる。もともとは大阪の海苔業者が販促のために考えたものと言うから胡散くさい。そんな行儀の悪いことできますか、と読者に訴えるような口調が愉快だ。対象を当意即妙に俳句に収めながら、どの句にも歯切れのよいすがすがしさを感じる。 本句集の担当は、Pさん。 風誘ふもの青麦とスカートと をとこ等にネクタイのある残暑かな 螢火や不意にわが身の腥き 良夜なり下駄の音たてポストまで 画架立ててまなざし遠き春野かな 青梅の太り読むべき本多し 望の夜の手探りに鍵使ひけり 山梔子の絶対の白朝はじまる をとこ等にネクタイのある残暑かな 残暑きびしい日々を汗しながら働く男たちがみえてくる。ビジネスマンにとってネクタイは必須である。この「をとこ」は多分そんな男たちだろう。この句「ネクタイをする」ではなく「ネクタイのある」としたところが面白い。働く男の属性のようにその意志にかかわらずまるで身体に張り付いている様に「ネクタイがある」のである。ネクタイをしておらずそれをみている女の側にとって、厳しい残暑のなかのネクタイは格別なものに見えたのだだろう。そして下五の「残暑かな」で、もうのがれようもなくどっと男に残暑が押し寄せてきた。 青梅の太り読むべき本多し 読むべき本が多いって、わたしも思うことがある。人はどんなときにそんな思いを抱くのだろうか。少なくともわたしの場合「青梅が太っている」時に青梅を見て、そんな思いは抱いたことがないし、これからも多分抱かないだろう。この句、その意外性が面白いと思った。充実した青梅、深い緑色をたたえ、果肉ははりつめて、良き香をはなち、それはもう人間の生活にとって頼もしい許りである。作者は、そんな青梅をみて、ふっと読書欲をかきたてられたのか。いま想ったのだが、この句たとえば、「柿が熟し」だったり「桃が太り」だったらどうだろう。それもまた意外性があるけれど、やはり青梅の「青」の清新な色と太った梅の果肉のしまった硬さが、なんとなく人間の精神生活に響いているようにも思えてきた。そう、「青梅の太り」がとてもいいんじゃないかって。 山梔子の絶対の白朝はじまる 朝の山梔子をみて詠んだ一句だ。星野立子の〈今朝咲きしくちなしの又白きこと〉をすぐに思い浮かべて、状況的には同じ山梔子の様子を詠んだものであると思った。星野立子の句のほうが自然体でさらさらと読み手のなかに入ってくる。岡本泉さんの詠みぶりはもうすこし力が入っていて、勢いもある。なんと言ったって「絶対の白」という表現が読者に迫ってくる。文句を言わせないわよ、この白さに。そんな特別な白、その白を手放しで賛美しているのである。そのきっぱりとした「白」の輝きをもって「朝はじまる」とした措辞がなんとも清々しくてカッコよくて素敵である。〈絶対の白」によって祝福された朝である。 髪染めてさみしくなりぬゆすらうめ いまの時代は老いも若きも髪をそめる。いろんな色の髪が闊歩しているのをみて、わたしはいい時代になったなあなんて想っている。ふらんす堂スタッフのPさんの髪は金色である。似合うか似合わないかはともかくも本人は楽しんでいる。この句の場合、白髪がふえてきて髪を染めたのだろうか。美しく染まった髪に、ある満足はしつつ、複雑な心境となっているのだ。非常にデリケートな心境を一句にしているのではないだろうか。この句「ゆすらうめ」と平仮名で書かれた季語が効果的だ。「ゆすらうめ」という平仮名表記のやさしさ、そして声にだしたときのややもの悲しい響き、それが作者の気持ちとよく響き合っているのだ。 大仏の肩のむかうの山の藤 大胆な把握だと思った。ただ景を写生しただけの一句である。しかし、景色がよく見えてくる。山藤の高さも色も揺れも、大仏のがっしりとした肩の筋肉のまるみと物質感、好対照である。山藤の背後の空の広さはまた大仏の背後の空の広さとつながっている。「山の藤」とどっしりとおさめたことで、山藤の存在感を決定的なものとした。造形物としての動かざる大仏と野趣あふれる植物の命のたぎり、そんなことまで見えてくる一句だ。 校正スタッフのみおさんの好きな句は、〈部屋の灯を点け凩を遠くせり〉「安心できるところに帰ってきたという気持ちが伝わってきます」 岡本泉さんば、句集名を「揚梅」とされたように、句集中にたくさんの草花を登場させている。掲句の句もいま気づいたのだが、植物が多い。 平成十七年、湘子先生がご逝去されました。その後、小川軽舟主宰のご指導を頂きながら日々の心の糧として作句の歳月を過ごして参りました。 三年前に病で夫を失いました後も、俳句と子供たちにその喪失感をなぐさめ、支えられている事を感じます。いま私も八十代半ばになり、四十年余の溜まった数多の拙句をこの機にまとめておきたいと思い立ちましたのが今回の句集で、名を「楊梅(やまもも)」としました。 土佐の果実で思い出深いものです。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 装画は、イラストレーターの久村香織さん。 久村香織さんは、岡本泉さんのご子息のお連れ合いでもある。 装画の「揚梅」がなんとも印象的な一冊である。 表紙は赤。 扉。 カバーの折り返しにも「揚梅」を配して。 冬もみぢ調度簡素に永らへぬ 一人で暮らしやすいように身の回りの物を整理したのだろう。寂しいことには違いないが、「調度簡素に」という中七がきっぱりしてよい。夫の残した言葉を胸に、この家で冬紅葉のように永らえる。その日々からどんな俳句が生まれるのか、楽しみに見ていきたい。(小川軽舟/序) いろいろな草花がお好きな岡本泉さんであるが、「夕菅」を詠んだ句が本文に二句ある。 小川軽舟主宰がとりあげておられる〈夕菅や音も二輛の小海線〉の句ともう一句収録しておられる。 夕菅の花。 夕菅の山彦に色ありにけり 岡本 泉 こちらは、担当のPさんが好きな一句である。 ブログを書き終えたいま、頭痛はうそのようになくなっている。 やはり気圧によるものなんだろうか。
by fragie777
| 2024-07-31 18:46
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