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7月22日(月) 大暑 旧暦6月17日
夕菅(ゆうすげ)の花。 よく見ると蜘蛛が一番ひだりの花びらのところにいるのだけど、見えるかしら。 大きな実(?)のところには、バッタが。。。 今日は大暑。 まさにすさまじい暑さである。 あるいて数歩のコンビに行って帰ってくるだけでも、もう暑くてぐったりしてしまった。 まるでデッカイ電気炬燵のなかに閉じこめられている気分。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル帯有り 72頁 四句組 著者の緒方順一(おがた・じゅんいち)さんは、1974年生まれ。2018年に「玉梓」に入会して現在にいたる。「玉梓」同人、俳人協会幹事、京都俳句作家協会幹事、メーメー句会管理人。ご職業は古書店を経営されている。本句集は第1句集で、第一句集シリーズⅡに参加されてのご上梓となった。序文は、「玉梓」の名村早智子主宰。抜粋して紹介したい。 曳いて来し山羊に曳かれて青き踏む 秋草の香りもろとも子山羊抱く これも山羊好きさうな葉よみどりの日 九年共に暮らした山羊のうしお君との思い出は尽きない。最期を看取った順一さんの姿は本当の家族そのものだった。山羊の好んで食べていたものなどを見るたびにこれからも思い出されることだろう。本集はうしお君追悼の思いで編むことを決意されたという。幸せな山羊だったとつくづく思う。 名村主宰が書かれているように、また、この句集のタイトルが「鳴鳴(めーめー)」であるように、著者の緒方さんにとって、山羊は特別な存在だった。本句集でも章立てを「春夏秋冬」のほかとくべつに「山羊」という章を設け、山羊を詠んだ句を収録してある。 本句集の担当は、Pさん。 耕の最後を風のならしけり 七変化いづれも雨の色ならむ 月させば月の容になる心 膝掛を膝に沿はせて日のなだら 放たれし山羊吸はれゆく夏野かな 亡き山羊が名残の空を駆けてをり 七変化いづれも雨の色ならむ 「七変化」とは「紫陽花」のことである。いろんな色に花の色が変化するので、「七変化」の名があるようだ。この句、「紫陽花」の季語では、説得力にかける。「七変化」としたことで、中七下五へと素直に導かれていくのだと思った。紫陽花は雨が似合う花であり、梅雨の季節に咲く花でもある。その花の様子を「いづれも雨の色」として紫陽花の濡れた風情がきわまった感があり、こう詠まれてみると、紫陽花の色がすべて雨に導かれて生まれている、そんな思いがしてくるのだ。紫陽花をいままで「雨のいろ」とあえて思ったことはないけれど、たしかに「雨のいろなる」のは紫陽花をおいてほかにないと思えてくるのだ。〈七変化いづれも雨の色ならむ〉〈耕の最後を風のならしけり〉〈月させば月の容になる心〉など、これらに共通するものは、具体的な形や色のないものを作者は俳句のなかに色や形を呼び起こすのが巧みだとおもった。風が耕しの土をならし、月が心に月の容を生む、そして雨に色を生じさせる、それらが俳句の定型のなかで説得力をもって納まっている。、 膝掛を膝に沿はせて日のなだら この一句もそうである。「膝掛を膝に沿はせて」までは、まことに自然体であるが、「日のなだら」の下五によって、具体的には形としてとらえられない日ざしを容あるものに生まれさせている。そして読者はその景に納得するのである。あたたかな日差しが、やわらかな膝のまるみにそってよく見えてくる一句である。 放たれし山羊吸はれゆく夏野かな 最終章の「山羊」の章の一句である。作者が「うしお君」と名づけて可愛がった山羊を詠んだ句が収録されている。掲句はその一句。この一句は「吸はれゆく」が巧みであると思った。夏野の草丈の高さがよく見えてくる。荒々しく生い茂った夏草に放たれた山羊はその姿をすぐに隠してしまう。それを「吸はれゆく」と叙したことで、夏の果てしなさとその力強さのようなものが見えてくる。作者の愛しい山羊が大地に吸い込まれてしまう、そんな自然界のはかりしれないエネルギーも感じさせる一句である。 亡き山羊が名残の空を駆けてをり 今は亡き「うしお君」を偲んだ一句だ。巧みなのは、「名残の空」のあしらいである。「名残の空」は、とは大晦日の空のこと。傍題は「年の空」。大晦日に空を見上げた。そしてうしお君を偲ぶ。元気に大空をかけている山羊の姿を思い描いて偲んでいるのだが、この「名残の空」が、作者の心象をよく表している。行く年を惜しむ気持ちでの「名残の空」であるが、この一句は、行く年を惜しむとともに、ありし日の山羊を名残惜しんでいるのである。しかし、その心は悲しみというよりもどこか晴れ晴れとした懐かしさに充ちている。作者に山羊の「うしお君」がもたらした様々な思い出が、あかるく楽しいものであったのだろう。作者の心も山羊とともに名残の空を駆けぬけていくようだ。 打(ぶ)つかるも打つからるるも水馬 水馬を詠んだ一句。創意は「打つ」を「ぶつ」と読ませることか。確かに水馬は、よくぶつかりながら、水上をすべっている。そのことを「打(ぶ)つかるも打つからるるも」とシンプルにその観察の様子のみで詠んだ。ぶつかっていくようでありぶつかられるようであり、本人たちは考えてもいないのだろうけど、観察者の目が生きた一句だと思った。〈コスモスの寺をコスモスはみ出して〉も面白い一句。 校正スタッフの幸香さんは、「〈反芻の山羊かたはらに昼寝かな〉こんな昼寝を一度してみたいです」と。 ほんと、とてもぐっすり寝られそう。。。 一年前、うしおという名の山羊を亡くしました。世界的に見てもめずらしい室内飼いの山羊で、パートナーのように九年間、暮らしをともにしてきました。本句集『鳴鳴』は、うしおがいなくなってしばらくたってから、ふと編むことを思い立ったものです。俳句は鎮魂の歌であると日ごろから感じてきたことなので、自然な思いつきだったのでしょう。 今は六歳になった小さな梟と暮らしており、これもまたユニークな存在です。動物は自らの存在をもって、自然な在り方を人間に示してくれています。 三十年ほど住んできた京都を離れ、今度は驢馬を飼うために、奈良の山中に転居いたしました。町中では飼うことの難しい驢馬と暮らしたいという、ただそれだけの理由で。動物以外にもさまざまな事柄を詠んでまいりました。それらが与えてくれた感動を、すこしでもお読みいただいた方の心に届けられたなら幸いです。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集はブルーの色となった。 和兎さんの装幀。 俳人としての今生ゆすらうめ 俳句が好きで、生涯俳句を続けられるであろうことは、日頃の俳句への関わり方から簡単に察しが付き、この一句から今後の俳句へ向かう決意が読み取れる。最近住み慣れた城陽の地を離れ、新天地を求めて奈良の山間部に居を移された順一さん。新たな出会いの全てがこれからの人生を更に豊かにしてくれるであろうことは信じて疑わない。恵まれた自然の中で山羊に代ってこれからは驢馬との生活を始められるという。その生活の中で生み出されるであろう俳句の数々に、順一俳句のファンの一人として今からわくわくしている。(名村早智子/序) できあがってのご感想をおくってくださった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 一句生まれたのと似ていますね。俳句は鎮魂だと思っているので、鎮まった感覚です。しっかり鎮まることで次の動き、ステップが生まれてくるのでしょう。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい この句集では、山羊が特殊な位置を占めています。章立ても春・夏・秋・冬・山羊の五章。動物とのコミュニケーションでは言葉は大きな位置を占めません。読んでくださる方が山羊のすばらしさはもちろんのこと、それぞれの句から言葉以外のものを感じてくださるとうれしいです。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 今度はロバを飼うために、京都から奈良の山中に引っ越しました。バスも通らない、店一軒も見当たらない自然しかない過疎の村です。環境ががらりと変わることでどういう句が生まれるかわかりませんが、季語には恵まれています。いろんな発見が句作につながるといいですね。 うしお君と緒方順一さん。 なんともうしお君のウットリした目。 秋草の香りもろとも子山羊抱く 緒方順一 驢馬を飼われる予定であるという緒方さん。 いつか奈良の山中に行って、ロバと緒方さまにお会いしたいです。 こちらは、名栗の子山羊「おいも君」
by fragie777
| 2024-07-22 19:42
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