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7月19日(金) 旧暦6月14日
露草。 定期的に診て貰っているお医者さまに、 「コレステロール値がすごくいいです。悪玉コレステロール値も低いので、このままの状態を維持してください」と言われた。 (ヨッシャ…) 「ところで、yamaokaさん、間食はしますか?」 「はい、仕事場でおやつの時間にみなと食べます。まずいですか?」 「そうですね、おやつは習慣性になるので控えてください」 「はい…。」(そうか、だめか) 「お酒は?」 「はい、好きです、じゃなくて少し飲みます」 「毎晩?」 「ええっと、赤ワインをほんのすこし」(ホントはもっといろいろと飲む) 「毎晩ですか?」 「はい、毎晩……ダメですか」 「毎晩でない方がいいですね」 ムムムムム ……という感じ。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 184頁 二句組 著者の岡田和子(おかだ・かずこ)さんは、昭和3年(1929)東京生まれ、今年で96歳となられる。「馬醉木」の俳人・岡田貞峰氏の夫人である。いまは、介護施設におられて療養中であるので、この句集の製作にあたっては、岡田貞峰氏とご子息の岡田岳郎さんが中心になって進められた。貞峰氏が「あとがきにかえて」を書かれている。和子さんは、昭和28年より「馬醉木」へ投句、34年まで続けられたが、出産育児等で家事が多忙となり投句を中断された。しかし、昭和49年(1974)投句を再開され、昭和53年(1978)「馬醉木新人賞」を受賞、昭和55年(1980)「馬醉木」同人、平成2年(1990)『馬醉木」賞受賞、投句はその後病気の療養のため休止されるまで平成29年(2017)年まで続けられた。俳人協会会員。本句集は、第1句集であり、約50年間の句を収録したものである。「序にかえて」を徳田千鶴子馬醉木主宰がよせている。 徳田主宰は、岡田和子さんが、「馬醉木新人賞」と「馬醉木賞」を受賞された際の水原秋櫻子の選後評を紹介している。 抜粋となるが、一部紹介したい。 白桃やかりそめならぬ今の幸 白桃は見た眼にも美しいし、その味も上等なのだが、いざ詠む段になると実にむずかしい。あまり完全すぎるからである。 この句はその白桃を正面から詠まずに、側面から取扱い、わが家の幸福をあらわすしるしとして使っている。こういう行き方も詠み方の一つで、記憶して置くべきものだ。この行き方で、白桃の句はもっと多く詠めるだろうと思う。 「かりそめならぬ」は、「一時的ではない」の意味で、家庭内の充ち足りた感じを、柔らかに描き出している。(略) ふさはしき壺置くのみや夏座敷 (略)一見したところは無論平凡に見えるけれど、再読三読してみると、決してそうではなく、どこか見逃せない風格がある。(中略)見かけは実に淡々としているだけだが、「ふさはしき」という用語もこの際適当だし、壺の形や色彩などに一切触れていないところも佳い。ただ「平凡だ」と打捨てて置かれぬようなものを、どこかに潜めているという感じである。 馬醉木新人賞を受賞された「白桃」の句をもって、本句集のタイトルとされたのである。 そしてこの句をご自身で書いた短冊を口絵とされたのだった。 本句集の担当は、文己さん。 かたはらに春愁の子の髪長し 蕗ゆでつ母のさびしさ今思ふ おそき子に糠床浅く茄子残す 早春や帯に息づく草木染 冬ふかむかな音も無く隣り合ひ 夏痩せを別れしあとの子に思ふ 「ご家族やお子さんを詠まれた句が多く、どの句にも愛情深さを感じました。」と文己さん。 たしかに、ご家族のことを詠んだ句がおおいのだが、圧倒的に子を詠まれた俳句がおおい。 常に常に、心は子どものことにおかれていた。 わたしもこの句集を拝読してそう思ったのだった。 おそき子に糠床浅く茄子残す 文己さんが選んだ一句であるが、わたしもこの一句はまさに「昭和の母」ともいうべき、母親象がある。帰りの遅い子どもがいる、すでに社会人となって働いているのか。茄子漬けが好きな子どもか、子どもが帰ってくるころにちょうどよいしょっぱさにしておこうというさりげなくも行き届いた母心である。母の心配のかたちがかくも具体的な細やかな事柄によって一句にされている。遅く帰ってきた子どもは多分、茄子のぬか漬けの位置なんて知りもしないだろう。ああ、お母さん美味いね、いつもながらこの茄子、なんて言うことはあったりしても。夕飯の脇役の茄子付けにしてこのような心配りであるわけだから、ほかのことは想像にかたくない。お肉の焼き加減、味噌汁の熱さ、白米の炊きあがりかげん、すべて母の愛が行き渡っているのだ。本句集を読んでいると文己さんが記しているように母のあらゆるベクトルが家族になかでも子どもに向けられている、そのことに驚かされるのである。わたしも一応母であったけれど、はて、茄子漬けをつけたことなど金輪際なかったような、いや、父親がやっていたかもしれない。ああ、思い出をたどるのはやめておこう。。〈夏痩せを別れしあとの子に思ふ〉これもまた、深い親心である。心配を残して子どもは去って行ったのだ。 冬ふかむかな音も無く隣り合ひ 寒さによってあらゆるものが息をひそめるそんな冬であればこその一句である。「音も無く隣り合」っているのは人間同士か。この句「冬ふかむかな」という措辞を最初にもってきて、その理由を、こうしてただ黙って隣り合っているそんな人間同士のしずかな気配にあるとして、冬の深まりを効果的に詠んでいる。上七で一端深く切っていることが、その後につづく言葉を効果的に導きだしている。この一句から見え感じてくるものは、冬が深まることの寒さよりも、その深閑とした寒さのなかでじいと隣り合っている人間同士のかすかな温もり、それが読む側に伝わってくることだ。その温もりは冬の深まりゆく時でしか感じられないあたたかさなのかもしれない。 蕗ゆでつ母のさびしさ今思ふ 妻、母、として多分和子さんは完璧にちかい主婦でおられたように思う。平穏な愛情にみちたご家庭であったこともわかる。掲句が語るように、本句集にはどこかさびしさがただよっている。夫や子どもは仕事や学校があって出かけ、主婦はあとに残される。しなくてはならない家事はつきることはない。たぶん和子さんは優秀な主婦でおられたのだと思う。家事はぬかりなく片付け、夫や子どもの心配もし、不足無い主婦業をこなしておられたのだ、しかし、そんな家事の合間にふっとさびしさが湧き起こってくる。このさびしさはきっと母もまたそうだったのだろう。和子さんのお母さまの台所で働く姿が思い起こされ、それが自身の姿と重なってくる。仕事や学校は他者のいるところであるが、家庭ではたらく妻は孤独な時間を過ごすことが多い。おのずと自身と向き合うことになる。人間の根源的なさびしさでもあるのだ。「蕗を茹でつつも、その行為によっては埋めることのできないさびしさ。しかし、夫や子どもが帰ってくれば、おいしく調理された蕗を供する。「おお、蕗だね」なんて喜んでもらえたりするとすこし嬉しい。しかし、夫や子どもは、この「蕗の味付け」に孤独の味付けされていることまでは絶対気づかないのだ。〈とある日は子ある憂ひに葱きざむ〉という句もあって、ドキリとする。 誰も見し冬虹かたる夜の紅茶 家族の団欒の一こまか。夕食も終え、紅茶タイムである。そんな時にその日の夕方に見た「虹」のことに話が及んだ。「虹みたよ。」「あっわたしも」「あなたも見たの」「きれいだったね」なんていう会話が想像される。家族が一瞬みなひとつ心になって「虹」について語る、といってもそれは多くの時間を要するものではない。しかし、紅茶タイムにあかるい話題をそえる。和子さんはそんなひとときがある時間を大切なものとして、充足した思いで熱い紅茶を口に運んだのかもしれない。夕食後の紅茶タイムのある家族、端正な暮らし振りのご家族であったのだと思う。 風鈴の音色はじまる子の新居 「馬醉木賞」の受賞句の一句である。清々しい風を感じる一句だ。子どもの新居を訪ねた。するとまず、風鈴の美しい音に歓迎されたのである。子どもの新居への挨拶句としても素敵な一句である。美しい音、あかるい風鈴の色、涼しい一陣の風、そして新しい家、すべてが祝福されている、そんな風に子どもの新居を喜んでおられる和子さんが見えてくる。この一句、音色が「はじまる」と叙したところが、すべてが新しさに向かってはじまる、そんなことも示唆されて、新居への挨拶句として効果的である。 校正スタッフのみおさんは、〈とある日は子ある憂ひに葱刻む〉の句にとても惹かれました。こういうことを素直に言えるのも、俳句のいいところだなと思います。」と。 句集『白桃』は、妻和子の昭和二十八年から平成二十九年迄の休詠期間を除いた約五十年間の句業である。妻は現在病気により介護施設において療養中のため、本人に代り私が句集編集をした訳である。 妻はこれまで、晴れがましい場に立つことを好まない性格から、句集出版を拒み続けて来たが、此の度、息子岳郎の賛同と協力を得て句集出版の運びとなった。私は妻の命の証しともいえるこの句集を編み、深い感謝をこめて妻に捧げたいと思う。 岡田貞峰氏の「あとがきにかえて」より抜粋した。 「深い感謝をこめて妻に捧げたい」という言葉が胸にひびく。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 「白桃」のイメージを大事にしつつ、 上品にデザイン化されたものとなった。 タイトルはパール箔。 本句集のカバーの用紙は、しっとりと水分を含んでいるようなものである。 これは手にとってもらえないとわからない。 布クロスはかぎりなく白に近いピンク。 ピンクの栞紐。 花布もピンク。 貞峰氏の和子氏への心を籠めた贈り物である此の句集に会えた事は、私の幸せでもありました。 白寿と九十六歳のお二人に、平安の日々が続きますよう、お祈り申し上げます。 (徳田千鶴子) 本句集が出来上がったときに、岡田貞峰、岳郎、両氏にコメントをお願いしたところ、それぞれ、お好きな句をあげてくださった。 以下に紹介します。〇は特にお好きな一句。 岡田貞峰 白桃やかりそめならぬ今の幸 子の心見えてとどかず風花す おそき子に糠床浅く茄子残す 〇水よりも風の冷たき芹を摘む 厨灯も今年のわれの影も消す 岡田岳郎 白桃やかりそめならぬ今の幸 〇風鈴の音色はじまる子の新居 母の律義われに終らむ盆供養 松虫草湖より淡く揺れ交はす 山荘にチェロの音沈む夜の秋 岡田貞峰・和子ご夫妻 岡田貞峰さま、岳郎さま 何度もふらんす堂へ足をお運びいただきありがとうございました。 岳郎さまは、お父さま、お母さまのことを支えながら、この度の句集の刊行に大いにご尽力をなさいました。 いろいろとありがとうございました。 ご家族のみなさまの更なるご健勝をお祈りもうしあげております。 白桃やかりそめならぬ今の幸 岡田和子 岳郎さんが貞峰氏をともなって、10日浅草の四万六千日に逝かれたときのお写真を送ってくださった。 98歳になられた岡田貞峰氏 昨夕の仙川駐車場。 祭りの準備がはじまっている。
by fragie777
| 2024-07-19 20:00
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