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7月14日(日)パリ祭(フランス革命記念日) 旧暦6月9日
小雨降るなかを久しぶりに丸池公園まであるく。 仙川の翡翠(カワセミ)たちは元気だろうか。 ここんとこだいぶ逢っていない。 川を覗くやいなや二羽の翡翠が飛び去った。 カメラにとることもできないほど、あっという間だった。 しかし、このあとわたしはたくさんの翡翠に逢うことになった。 まず雛のカワセミである。 通常5月頃雛がかえるのであるが、この季節ふたたび雛が生まれたらしい。 調べてみると、5月以降2度、3度、卵を産んで子育てをするようだ。 この雛はじいっと動かず餌を待っているようす。 その先に二羽の翡翠がいた。 左側はメスの翡翠でなにか加えている。 右側はオス。 さきほどの雛の親ではないらしい。 餌をくわえているが食べない。 オスはひたすら木の上の方をみあげている。 すると二羽いっせいに木の上へと飛び去った。 餌をくわえたままだ。 木に巣があるの様子。 木の上にも巣をつくるのだろうか。 いままでは、土手の穴などに巣をつくっていたが。。。 こちらは別の雛。 いったい何羽の雛たちがうまれたのか。 雛の嘴の先は白い。 やはり餌を待っているようすだ。 こちらは餌を咥えた親鳥。 こんな風に 川にそって歩いていくと先々に翡翠がいる日となった。 ザリガニをつかまえた翡翠。 一気に呑み込んだ。 身体を大きくふるわせてグイグイと呑み込む。 のど元をふくらませて満足そうな翡翠。 一瞬、身体をギュルギュルと回転させて飛び去った。 いやはや。。。。 今度は親子連れの翡翠だ。 親はすぐに飛び立ち、 残された雛鳥。 雛の身体の色はまだ薄い色をしている。 地味である。 わたしは、しばらく見て、「元気でね」と声をかけ、歩きだす。 歩いていくと、こんどは川の欄干に止まっている翡翠だ。 さかんに森の上をみあげている。 今日は翡翠たちに大歓迎をされているようだ。 ほかにカメラをもった人はほとんどいない。 でもね、 翡翠がいるってこと、 気づかない人にはわかんないと思うよ。 この写真の 向こう側の欄干に先ほどの翡翠が止まっているのだけど、わかります? これならわかるでしょ。 オレンジ色のドアの右側。 翡翠は鮮やかな鳥だけど、小さな鳥なので、止まっているときは気づかない人も多い。 わたしは、翡翠が呼んでくれるのよ。 仙川の翡翠とは仲良しだから。。 わたしのこと知ってるんだっておもっている。 川から離れるときに今日最後にあった翡翠。 ああ、やっぱりここにもいた。。。。。 ひさしぶりだったけどむちゃくちゃたくさんの翡翠たちに会えて、すばらしい休日となった。 しかし、汗と雨で身体はずぶ濡れとなってしまった。。。 今日は藤原龍一郎著『赤尾兜子の百句』より。 硝子器の白魚 水は過ぎゆけり 『虚像』 透明感にあふれた爽やかな句である。ガラスの器に白魚が泳いでいる。そこには静謐が満たされている。下の句の過ぎ行く水とは、ガラスの器の中の水と同じなのだろうか。あえかに泳ぐ白魚の周囲を、水は確かに過ぎて行っている。それは生きている存在そのものの証といえる。器の水ではなく、水そのものなのだとしても、時と同様に水は過ぎ行くのだ。同じ『虚像』に「会うほどしずかに一匹の魚いる秋」があり、両方の句に共通する静謐が兜子の詩心をとらえているようだ。 夕方は予約をいれておいた針灸医院にいって、身体にお灸をすえ、針を打ってもらった。 ブログを書いている今は、身体がポカポカとあたたかい。 ???!!!
by fragie777
| 2024-07-14 20:10
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