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7月10日(水) 浅草四万六千日 旧暦6月5日
さっそくに新しいクーラーがやってきた。 こんな感じ。 わたしは一番遠くにいるので、ふだんとあまり変わらないけれど、 スタッフたちには好評である。 この小さなクーラー一台で仕事が快適にできるのであれば、それはそれでとても結構。 が、 こんなに長いしっぽつき! (象の鼻みたいでしょ) トイレにいくにも足をおおきくあげて、ヨイショッって。 まっ、いいでしょ。。。 今日ふらんす堂にやってきた若い営業マンさん。 名刺をもらって、その読みが話題となった。 苗字もいままでみたことのない苗字であったのだけれど、名前の読みが話題となった。 〇〇幸生 この「幸生」という名前の読み、 何と読むとおもいますか。 わたしは「〇〇〇」かしら?って言ったところ、 「それは昭和読みです!」とスタッフが笑いながら言う。 「令和読みだとしたら ◇◇◇じゃない。」とスタッフが言うと、 「はい、そうです!」と営業マンさん。 「△△△と読むのは、平成読み」とスタッフ。 この〇〇〇、◇◇◇、△△△にはいる名前の読みをあててみてください。 あなたの意識の若さ?(ホントか)がわかります。 答えはこのブログの最後に。 昨日は森鷗外の忌日だった。 坂井修一著『森鴎外の百首』より、「足」を読んだ短歌を。 大床(おほゆか)もとどろに仇(あた)の足(あし)のおと迫(せま)るとおぼえ心おそれぬ わが足はかくこそ立てれ重力(ぢうりよく)のあらむかぎりを私(わたく)ししつつ 足裏(あなうら)の魚の目いはく大空に冲(のぼ)りのぼりて星になる見よ 何一つよくは見ざりき生(せい)を踏むわが足あまり健(すくやか)なれば どうです。なかなか味わい深い「足」があるでしょう。 これらの歌を読むと、鷗外はおおいに「足」を意識する人間だったのかもしれない。 そして、俳人・石田勝彦の忌日でもあった。2004年の今日亡くなっている。 ということは、もう20年も経つとは。。。 石田勝彦精選句集『鴎』に寄せた真鍋呉夫の栞文を抜粋して紹介したい。 タイトルは「見者の眼」 私が中でも深い感銘を受けたのは、 水揚げの鯖が走れり鯖の上 『雙杵』 瑞牆山凩びかりしてゐたる 『百千』 眼が裂けてをる炎天の鷗かな 〃 の三句である。なぜなら、今は亡き岸田稚魚も推称しているように、「水揚げの」と「瑞牆山」の二句には、おのずから「彼の心は眼に憑り移って、自然の一点を凝視する」という山本健吉の素十評を連想させるような、見者としての窮極の視力が遺憾なく発揮されているからである。ここまでくれば、たとえそのために「眼が裂け」たとしても、あとにはもう見者である作者自身とその「百千」の対象を統一するという険しい尾根伝いの道程しか残されていない。そこで、私をして忌憚なく言わしむれば、石田勝彦氏のこれまでの句業のすべてはこの「鷗」の一句のためにあったのだ、言ってみたいくらいである。 石田勝彦精選句集『鷗』 ふらんす堂文庫 装訂・千葉皓史 1999年10月10日刊行(品切) では、さきほどの答えは 〇〇〇=ゆきお (昭和読み) △△△=こうせい(平成読み) ◇◇◇=こうき (令和読み) あなたはどう読みました? ちなみに「さちお」も昭和読みだそうです。 わたしは「こうき」とは金輪際読めなかったな。。。
by fragie777
| 2024-07-10 19:43
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