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7月9日(火) 旧暦6月4日
ザリガニ。 少年が捕獲したものを写真に撮らせてもらった。 あまりの暑さにふらんす堂ではクーラーを一つふやすことにした。 それが先ほどやってきて、スタッフ二人がとりつけている。 お高くなく、気軽にとりつけられるというもの。 これで心地よく仕事ができればそりゃ文句ないわ。 そうはいってもわたしは膝に毛布をかけて仕事をしている。 やっぱ歳の所為かなあ。。。 8日づけの毎日新聞の櫂未知子さんによる新刊紹介で、『岡本眸全句集』がとりあげられている。 昭和から平成にかけ、平明で奥行きのある作品を発表しつづけた著者の句業をたしかめ得る一冊である。 〈わが十指われにかしづく寒の入〉〈喪主といふ妻の終(つい)の座秋袷〉〈雲の峯一人の家を一人発ち〉 おなじく毎日新聞の今日の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、青木百舌鳥句集『めらめら』 より。 焼酎に寝つぶれゐしが動きけり 青木百舌鳥 「焼酎は暑気払い用の酒だったが、今ではその意味が薄れている。」と坪内さん。そうなのか。知らなかった。暑気払いであると言っても、仕事場でそれを飲みながら仕事をするわけにはいかないな。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 198頁 二句組(中国語訳付) 董振華(とう・しんか)さんは、1972年うまれ、中国・北京の出身である。北京の大学の日本語学科を卒業後、中日友好協会に就職し、その後日本のいくつかの大学で学び、その学びの途中で金子兜太に俳句を学びはじめる。すでに4冊く句集を刊行し、訳書も多数あり、編著書もある。3冊目の句集『聊楽』は、ふらんす堂よりの刊行である。現在は、「聊楽句会」代表、「海原」同人。現代俳句協会評議員、日本中国文化交流協会会員。本句集の特徴といえば、俳句に中国語訳が添えられていることである。これは「中国の方々にも読んで頂きたいため」と「あとがき」で董さんは書いている。 黄河秋聲その漣のその延々 中国の豪胆と 日本の繊細と 董振華の俳句は その幸福な結婚である。 長谷川櫂さんの帯文である。 「序に代えて」は、「藍生」2020年10月号の黒田杏子さんの一文である。抜粋して紹介したい。 おほかみの咆哮ののちいくさ無し (略)この句は兜太先生追悼とも受けとれます。 「海程」の同人を経て、「海原」同人。現在は「藍生」会員として、毎月の東京例会にも出席し、秀吟を発表されています。また、通訳・翻訳家として活躍中の中国漢俳学会副秘書長。いずれ「藍生」に金子兜太論を発表されます。こののち俳句作家としての前進が期待されます。「董振華をよろしく。彼には才能があるし、人間的に信頼できる」と兜太先生は私に向かって何度もくり返されました。 跋文は、「海原」代表の安西篤さん。 「日中文化交流の架け橋として」というタイトル。たくさんの句をあげて、鑑賞を試みておられるが、ここでは、最後の方を抜粋して紹介をしたい。 この度董さんは、一挙三一七句に及ぶ「静涵」と題する句集を上梓することになった。おそらく著者自身の〈あとがき〉で明らかにされると思うが、兜太師後六年、さらに昨年、今一人の心の師とも頼む黒田杏子氏と実母の旅立ちに遭遇するに及んで、この間の句作をまとめて供養としたいとの思いから、句集の刊行を思い立ったのである。この句集名も兜太師が生前董さんに用意されていたものだという。(略) 最後に、著者が親炙していた二人の師と、愛する母への追悼句を挙げておきたい。 兜太墓碑閑かな高さ静かに秋思 兜太墓前告ぐることあり満作の黄 寒紅の遺影モナリザ似の微笑 彼岸まで旅立つ杏子振り向かず 大寒や亡母(はは)との時間まだ冷めぬ 母偲び庭先煙花(はなび)冷め易し 兜太ご夫妻からは、中国の孫とも呼ばれるほどの愛され方をしていたのだが、そこには人懐こい著者の人柄が反映していた。また黒田杏子氏からは、多分姉様の𠮟咤激励が飛んでいたのではないか。実母への思慕は、もはや生得のものだったであろう。 思うに董振華さんは愛される人柄なのだろう。それぞれの俳人との思いをつくした交流が感じられる。 本句集の担当はPさん。 友逝くや耳朶の寂しき夏帽子 黄河秋聲その漣のその延々 河骨やわれは痩身草食派 北京冬天人も鳥も声高に 寒鴉あつまる街の余白かな まだ濡れている空を割る夏つばめ 雨音を母の寝息とする晩夏 寒鴉あつまる街の余白かな この句の魅力は「余白」である。「余白」という言葉を得たことによって、冬の街の深閑とした様子が感じとれる。きっとゴミを漁りに集まった鴉であろうが、都会の一隅の汚れた掃きだめのような場所が、「余白」という語によってまるで祝福され聖域化したかのような感がある。「余白」の「白」の効果か。鴉のための聖別された一箇所。「余白」の語彙の「白」がたち上がって、鴉の黒と対峙しつつモノトーンの都会の風景が広がっていく。 まだ濡れている空を割る夏つばめ 「まだ濡れいる空」がいい。雨上がりの空であるのだろうが、雨上がりの空と表記してしまったら、あまりにもあっけらかんとしてしまって、詩情が生まれないが、「まだ濡れている空」としたことによって、そらが息づいている感触があり、そのまだ濡れていて柔らかな空をシャープに切り取っていく燕の動線がみえてくる。夏つばめの息盛んな様子もみてとれる。夏つばめに割られた空かは、そこから水がしたたってくる、そんな思いにもとらえられてしまう。 雨音を母の寝息とする晩夏 「六月八日母逝去 母を悼む 一〇句」のなかの一句である。お母さまが亡くなってより、ずっと母のことを思っているのである。それも全身で母を感じとっているのである。この句は雨音を聴きながら、それが母の寝息であるとしつつ、いまだ息をしている母を感じつつ、時空のなかに自身を一体化させ母との交感を求めているかのようにもおもえてくる。そして、「晩夏」と末尾におかれた季語の響きの重さが、その作者の切なる思いを決定的にするように思えるが、しかし、実は断ち切らねばならない思いとして重くれた余韻を残すのである。わたしにはそんな風に読めるそして「晩夏」にこめた作者の思いは深くて複雑だ。 空蝉や生きるは死ぬに寄りかかる これはわたしが気になった一句である。命のぬけがらとなった「空蝉」をみて、作者はそう思ったのだろうか、「生きるは死ぬに寄りかかる」という空蝉への一つの解釈であっても、死と生の緊密な不思議な関係性のようなものが見えてくる一句だ。この句、「寄りかかる」という言葉をどう受け取ったらいいのだろう。解釈しづらい一句。考えていくとわからなくなるが、コワイ措辞である。死は絶対的なものだ、生は暫定的である。そりゃ死が生を圧倒してしまう、そんな現実を人間はかすかな喜びやはかない夢をいだいて生きていくのである。しかし掲句の解釈はそんなつきなみなものではない。ああ、でもこの句は人間は死に寄りかかりながら生きているのさ、などと思ってみたら、すこし死が恐くなくなってきた、死が親しいものになってくるようにみえるけど、それも気休めか。どんな気持ちで董振華さんがこの一句をつくられたんだろう、聞いてみたいような、みたくないような。 気が付けばいつも末席草の花 世事に疎し夜長に親し寝そべり主義 句集のおしまいのほうに二句並んでいる。おもわずニコリってしまった。これは董振華さんの自身への認識とこの世への向きあい方なのだろうか。好きだな。こういうの。やや自身を情けなくおもいつつも、そんな自分を愛おしくみている作者がいる。「草の花」や「夜長」の季語がいい働きをしている。董振華さんは、金子兜太、黒田杏子に愛され、またそれ以外の俳人の方からも信頼されていて、俳人としての期待も大きい方である。しかし、わたしが知るところの董振華さんは、優しい佇まいとどこか自身なさそうな可愛らしさのある方で、どっちかというとこの二句が語るような方である。「寝そべり主義」いいな。。。 校正スタッフの幸香さんの好きな句は、〈春眠のわたくし鳥になる途中〉、 この句、わたしも好きである。ほかに〈春眠深し釈迦の掌中かもしれぬ〉〈遥かなる地平ぼうぼうたる春眠〉という句もあって、「春眠」の句はどれもおもしろい。 大学の時から、自分の人生を五年ごとに企画を新たにして歩んで来ました。 句集『聊楽』を刊行してから五年が過ぎ、この五年間に様々な事がありました。当初、『聊楽』を刊行したら、作句を止める予定でしたが、金子兜太師のご逝去により、「日中文化交流に於いて君しかできないことがある。俳句は書きたい時書けばよい、決して無理に書く必要はない」という師の言葉が耳に蘇りました。師の遺志を受け継いで中日文化交流の絆を更に強めるために、二〇一九年四月に、両国の有志が参加する「聊楽句会」を立ち上げ、週に一句の錬句会を始めました。発足時は八名でしたが、現在は三十八名になりました。 また、「海程」の後継誌、安西篤氏代表の「海原」に所属しながら、黒田杏子先生のご厚意により「藍生」の会員にも加入させていただきました。ところが、昨年の三月に黒田先生が脳内出血で急逝され、六月には私の母も亡くなりました。寂しい事ばかり続くなか、二人の師と母の供養として、二〇一九年から二〇二四年までの五年間を一つのけじめとして、新しい句集を出す事にしました。 「あとがき」の前半を紹介した。 句集名「静涵」については、金子兜太さんが、第1句集『聊楽』を上梓したあとに、 「俳句は書きたい時書けば良い。無理に書く必要もないし、急ぐ必要もない。しばらく休んで、充分に気持ちを潤してから、再開すればよい」ともおっしゃって、俳句を再開する時に使えるような題字も書いて下さいました。それが今回の句集名「静涵」(心を落ち着かせて学問を修め、品性を養う意)です。大変有難い師の心遣いでした。 とのことでその題字をこの度の句集の題簽とした。 装幀は和兎さん。 力強い題簽である。 表紙は鮮やかなブルー。 董振華さんのもつ華やかさと響きあっている。 金子兜太さんと。 黒田杏子さんと。 扉。 満山の霧氷の白を一会とす この句集は今までと同様、中国語訳も付けている。他の句集にはない強みになりそうだ。大きくみれば、日中文化交流の架け橋の一つとなるだろう。(安西篤/跋) 上梓後の思いを董振華さんにうかがってみた。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 新しい句集を手にして感無量です。思わず俳句を始めた頃のこと、兜太師ご夫妻との出会いと別れ、失意の底にありながら作句を続けて来られたことなどを一気に思い浮かべました。 今日まで五冊の句集を纏めましたが、前の四冊は全部兜太師から序文を頂いて、私の長所と短所を冊ごとに指摘くださっています。それで長所を伸ばし短所を避けながら作句を続けてきましたが、五冊目は、兜太師はもういらっしゃらなくて、杏子先生の鑑賞文を頂きました。ほめごとばかりですけど(笑)。 ふらんす堂から句集を出したのは五年前の『聊楽』に続く二冊目です。いつもすっきりした装幀と組版がとても気持ちいいです。特に私の句集の場合、句ごとに中国語訳が付記していますし、しかも中国の簡体字ですので、担当の方には校正も大変だったかと思います。改めて深く感謝致します。 (2)新しい句集にこめたお気持ちがあればお聞かせ下さい。 6月12日から26日にかけて母の一周忌で中国へ帰りました。私が東京へ戻る直前に関係者へふらんす堂に代送して頂いたため、家に着いたとたん、多くの方から句集の感想文のメールやお手紙を頂きました。今後の作句の励みにもなりますので、大変嬉しく思いました。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 今回の句集『静涵』は兜太師の七回忌、杏子先生の一周忌と私の母の一周忌に合わせて一つのけじめというか記念として出すことにしました。私にとって俳句はとどのつまり自分そのものなので、これからも兜太師から頂いた「俳句は書きたい時書けばよい、無理に書く必要はない。俳句と漢俳の交流においてはあなたしかできないことがある」などの暖かい言葉や、杏子先生から頂いた「句日記を一年間持続し句作力アップさせること、幅広い角度から兜太研究を続けること」などの暖かい助言や励ましの言葉を糧に四季の移ろいや日常の生活の中から、自分なりの句を作ってゆくことは変わらないと思います。 この句集に文芸評論家の坂口昌弘さんが、『静涵』論を書かれている。 力の入った長いものである。董さんのご希望によって、その一部を紹介したい。 坂口さんは、ひろく老荘思想などにもふれて、句集論を展開しておられる。タイトルは「わたくし鳥になる途中―『静涵』感想」 春眠のわたくし鳥になる途中 女正月羽化始まるよこのわたし 凍て星飛ぶその真っ先に乗るわたし 「鳥になる途中」の言葉は、橋閒石の〈蝶になる途中九憶九光年〉を思い出させる。閒石は人生百年ではなく、十億年の生命変容を幻想していた。人が蝶になることは荘子からきている。夢に蝶をみた時、人の存在は蝶なのか、夢からさめた人間が本質なのかという荘子の存在論は、詩歌文学の本質的な精神哲学であるが、閒石も俳句の魂と蝶の関係を考えていた。 二句目では「羽化」を詠み、俳句を訳した漢詩では「我欲羽化身成仙」とあるから、作者は、道教(タオイズム)の羽化登仙を思っているようだ。 三句目での「凍て星」の「真っ先に乗るわたし」というのも、星に乗っての行く先が仙界・仙境であることを思わせる。 この世には必ずしも満足していない精神は、老荘の様に、仙境を夢見る。 この『静涵』論については是非に全文を読んでいただきたいとおもう。 そして、この句集とほぼ同時に一冊の本をおくってくださった。 監修は橋本榮治、筑紫磐井、井上康明。 語り手は黒田杏子、井口時男、宇多喜代子、坂口昌弘、太田かほり、宮坂静生、髙柳克弘、若井新一、筑紫磐井、星野髙士、横澤放川、橋本榮治、廣瀬悦哉、清水青風、保坂敏子、瀧澤和治、舘野豊、井上康明、飯田秀實、長谷川櫂の20人。 董振華さんは、聞き手であり編者だ。 A5判ハードカバ装 490頁 定価2500円+税 コールサック社刊 このお仕事はまだ続きそうである。 『寝そべり主義」を返上して、頑張らないといいけませんね、 董振華さん。 空をゆく天馬のように秋思かな 董振華
by fragie777
| 2024-07-09 21:21
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