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7月4日(木) 旧暦5月29日
今日の空。 暑い一日だった。 この木はトネリコの木。 夕方になると鳥がやってくる。 その鳥が何という鳥かいまだにわからないままでいる。 新聞記事をひとつ紹介したい。 7月3日づけの岐阜新聞に関谷恭子さんの句集『落人』が書影入りで紹介されている。 抜粋して紹介したい。 関谷恭子さんが、第1句集『落人』を出版した。(略) 飛騨市神岡生まれで、幼い頃から父に「先祖は平家の落ち武者」だと教えられてきたという。作品タイトルにもなった「笹百合や落人を祖と唄ひつぎ」は、そのルーツにちなんだ一句。(略) 関谷さんは、「俳句を詠むようになって、暮らしの中にたくさんの『気づき』があった。何気なく過ごしていた時間も、一つ一つ大切なシーンとなっている」と語る。 悲しいお知らせがある。 俳人で「鷹」同人の竹岡一郎さんが、6月21日に急逝された。死因は急性大動脈解離ということである。 かなり早い段階でお知らせはいただいていたのだが、「鷹」60周年のお祝いの会が終わってからあらためて追悼をしたいと思っていた。 しかし、いまも本当に信じられない思いでいる。 ふらんす堂では、第1句集の『蜂の巣マシンガン』から第2句集『ふるさとのはつこひ』、第3句集『けものの苗』まで三冊の句集を刊行させていただいている。「鷹」の60周年のお祝いの会でお目にかかることを楽しみにしていたのだが、それもかなわぬことになってしまった。 1963年(昭和38)8月のお生まれなので、まだ60歳だった。「鷹」の7月号の記念号では、「わが第1句集」のテーマでエッセイを寄せている。タイトルは「私の美しい人生」。この「美しい人生」という言葉は、第1句集に小川軽舟主宰が、序文で記したことばである。抜粋して紹介したい。 「よろしい、それがあなたの美しい人生だ。」 小川軽舟先生が、わたしの第1句集の序文掉尾に書いて下さった言葉だ。帯文でもある。鷹に入って十八年後、四十八歳の時、東日本大震災の年に出した。普通、十年で最初の句集を出すと聞くから、随分時間が掛かったものだ。(略) 私の第一句集の題は、『蜂の巣マシンガン」、軽舟先生は序文で肯って下さったが、胸中、「この題は何とかならんのか」と嘆息したかも知れぬ。顧みれば、この甚だ珍妙なる題が、その後の私の句や評論の先駆けになったか。今に至るまで奇体なマシンガンのような評論や句を書き続けている。グールドのバッハと、アイアン・メイデンを聴きながら、私にとっては美しく観える言葉を綴る、これがわたしの美しい人生だ。第一句集に頂いた軽舟先生の帯文は、正鵠を得ていたのだ。 このエッセイには関悦史さんも登場しその交友についても語っている。関悦史さんもこの度の竹岡一郎さんの訃報でずいぶん力を落とされているのではないだろうか。 俳人の筑紫磐井さんが、ブログで追悼の文章を寄せておられる。 わたしのブログでは、三冊の句集に収録された作品を数句紹介をして、まずは竹岡さんへの追悼とさせていただく。 遊星の一塵として着ぶくれぬ 『蜂の巣マシンガン』 ひやうと鳴き鹿のかたちに闇深し 〃 ひまはりの哄笑を聴けかつ戦へ 〃 虹染みる身を海鳴りへ投げ出せり 『ふるさとのはつこひ』 うすものを着てねえさんはテロリスト 〃 冬菫ほどの吐息を世に遺し 〃 玉乗の老猿に春立ちにけり 『けものの苗』 湾いちめん水母げらげら跳ねてゐる 〃 回転木馬みな軍馬にて北京は雪 〃 もはや戦でなく審きへの足掻きだ 〃 兄棄ててあたしの髪に涼んでよ 〃 ほんの僅かな句を紹介した。 竹岡一郎さんを追悼する人たちがこれから続いていくことを願ってやまない。 なつかしいものは、いつだって惨めたらしい。産土も人間も積み上がった惨めたらしさを抱えて、だからこそ、その惨めたらしさを焼き尽くし、なつかしさを遠く離れ、生き変わり死に変わりを超えて、立ちたい。(「あとがきに代えて――咒(じゅ)とは何か」より) 竹岡一郎さま。 お父さまの句集もおつくりさせていただき、たくさんのご縁をいただきました。 心よりご冥福をお祈りもうしあげます。 ありがとうございました。 ご息女の消しゴム版画によるカット。(句集『けものの苗』) この頁をひらいたとき、まあ竹岡さん?!って思ったのだった。
by fragie777
| 2024-07-04 19:45
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