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7月2日(火) 旧暦5月27日
飯能・名栗のバス停ちかく。 凸面鏡とポストそして黒い子屋の取合わせ。 ポストは、日々その存在感をうすめていくようにおもえるのだが、 このポストはなにゆえか活き活きしているように見えた。 今日は午後3時より角川武蔵野ミュージアムにて第58回蛇笏賞・超空賞と第69回角川俳句賞・角川短歌賞の授賞式がおこなわれる。 スタッフののPさんが取材でうかがう。 このことは明日またこのブログで紹介したいとおもう。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる『季語刻々」は、『岡本眸全句集』より。 夏シャツをざぶざぶ明日へ夢つぎつぎ 岡本 眸 「洗濯する音の『ざぶざぶ』が夢の「つぎつぎ」わくさまへ連接、展開する。その展開の快さが主人公の生きる意欲を感じさせる」と坪内稔典さん。「生きる意欲」ね。。。ちょっとゼツボー状態のyamaokaには、まぶしい言葉だ。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装グラシン巻 64頁 詩人・片桐英彦(かたぎり・ひでひこ)さん(1942年~)の19番目の詩集である。片桐さんは、医業のかたわらに詩を書き続けてこられた詩人である。これまでの19冊の詩集のうち14冊をふらんす堂より上梓されている。 今回の詩集のタイトルは「晴れ ときどき サル」というちょっと面白いタイトルである。 タイトルとなった詩編もあり、この詩集には「サル」がときどき登場する。 まず、このタイトルとなった詩編を紹介したい。 晴れ ときどき サル 青い空からサルが降る 降りに降って 道には サル溜まりが出来ている 走ってきた車が サル溜まりを撥ねる前に サルたちは軽々と 僕に跳び移る 中には僕に入り込む奴もいる サルが降り止んでも そいつは僕にしがみついたまま 離れない まじめな話をしようとすると ひょいと顔を出して それって本心かと言う 余分な欲や野心を無くし サルのように 単純明快に生きたいと願うが その願いだけで サルにはなれない まして サルと共存するには まだまだだ 空から降ってきたのは サルの形をした 僕の心だったかもしれない 担当の文己さんの感想を紹介したい。 「暑い日」「音のない世界」がとても好きでした。 今回の詩集は、ときどきひょっこり顔を出す「サル」も印象的ですが、 通底して柔らかなさざ波の音が聞こえているような雰囲気もあり、楽しく拝読いたしました。 暑い日 スクーバダイビングにはまっていた昔 息子と一緒に沖縄に潜りに行ったことがある 澄んだ海を泳ぐ青く光る小魚と 珊瑚のかけらが積もった純白の海底に満足して 陸に上がると 熱い風と日差しでたまらなく喉が渇いて 宿の近くにあると教わった店で 冷たいものと菓子でも買おうと出かけたが 真夏の沖縄の昼過ぎに歩いている人の姿はなく 店の看板もない しんと静まり返った家並みが続くだけだった 途方に暮れていると 子供はつかつかと一軒の家に入って 揚げたドーナツと冷たい水を手に戻ってきた 良く店が分かったと驚くと 彼は 当たり前の顔をして水を飲んでいた あれから随分と時間が過ぎ なぜ店だと分かったのかと 何時かは尋ねようと思っていたが 彼はそのまま親元を離れ遠い大学に行ってしまい あの暑い日の思い出だけが 何時までも僕の中で半煮えのまま残され 夏の日々は生ぬるいものになった 白い珊瑚の海底を音もなく泳ぐ青い小魚の群れは こんなにも鮮明に脳裏に刻まれているというのに 一つの疑問だけが答えられることもなく ひっそりと白い時間の底に沈んでいる わたしは、本詩集を拝読して、一貫してながれるさびしさの気配をおもった。それは多分読み手の側の問題なのだろうと思うが、わたしのなかにあるさびしさが詩の行間からそれを引き出してしまうのかもしれない。生きてきてしまった時間、それをみつめる作者のさびしさ。 装釘はかわいくて明るい。 それがいい。 ブックデザインは、和兎さん。 たくさんのサルが登場する。 全体グラシンがかかっているのでちょっとボケてしまっているが。 タイトルは金箔。 瀟洒な仕上がりである。 たくさんのサル。 かわいいでしょ。 和兎さんは楽しんでデザインをしたようだ。 この詩集に登場する「サル」たちに作者がたくした思いにこころをしばし心を止めるのもこの詩集を読む楽しみである。 校正スタッフの幸香さんが好きという「晴れ」の詩を紹介したい。 わたしも好き。 晴れ 見上げれば 青空をバックに トビが舞っている まるで 僕の庭を中心に刺したように トビが舞っている トビに刺された庭の中心にいるのは 僕 刺された僕の心 美しい四季の花に囲まれた 空っぽの僕の心 それは 美しくもないし ただむなしいだけの 空っぽの心 トビは ブラックホールの周囲を回る銀河のように いつまでも回っている 何かがあるのだ まだ言葉にならない何かが まだ星にならない星雲が 言葉になるのを待って 舞っているのだ わたしのiPhoneが、わたしの意志とは別に勝手にとった映像。 なんというタイトルをつけようか。 「夏のある日」っていうのはどう? 「ゼツボーする心」 とかね。 ゼツボーの安売りをしているけど、絶望をしているわけではない。 よくわけもわかんない気持ちをそんな風に言ってみただけ。
by fragie777
| 2024-07-02 20:24
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