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6月20日(木) 旧暦5月15日
そして、白いへんな虫をみつけた。 ふけとしこさんにうかがったところ、 「アオバハゴロモ」の幼虫であるということ。 アオバハゴロモ? 知ってました? こんな可愛い白い虫であるが、害虫なんですって。 どうやら背中にくっつけているものは、ゴミらしい。 先日このブログに「トリノフンダマシ」の写真をアップしたが、その名前をおしえてくださったのが、ふけとしこさん。 ふけさんは目下「俳壇」に「かわりものの記」という連載をされている。 そこにこの「トリノフンダマシ」が登場することになるらしい。 写真がなかなかとりにくく、わたしのブログの写真を使ってくださることになった。 印刷に耐える解像度の高いものをさっきお送りしたところ。(ややピントがアマイのだけど。) ブローチにしたいくらい可愛いヤツ。 登場を楽しみにしている。 金子敦さんよりご連絡をいただいた。 「版画家である正一さんの版画と、僕の俳句とのコラボです。 2024年6月5日から1年間配信される予定です。 装画と俳句のコラボレーションがとてもいい。 見ていると癒やされる。。。 さきほど、高橋睦郎さんからお電話をいただく。 井上泰至著『夏目漱石の百句』がとても良かったと。 「高山れおなさんの『尾崎紅葉の百句』と双璧をなす一書であるとおもいました」と高橋睦郎さん。 「この本をとおして、俳句における「モノ」と「コト」の関係をまなぶことができました。俳句は「モノ」を表にだして詠むわけですが、その背後に「コト」がなければならない。そうでないと俳句は痩せてしまうのです。一般に文人俳句は、「コト」を詠んだのが多いのですが、すぐれた文人俳句は、「モノ」の背後に「コト」があるのです。この『夏目漱石の百句』を読んでそのことを深く考えされられました」と。 それでは、本著より二句ほど紹介をしてみたい。 モノのよまれた俳句のコトの深さに出会うために。 馬の蠅牛の蠅来る宿屋かな 明治三〇年 芭蕉にも〈蚤虱馬の尿する枕もと〉がある。こうした題材を詠めるのは、俳句・俳諧ならでは。馬にも牛にも蠅はまとわりつく。馬の休んでいるところに、牛もやってきた。馬は街道の便をなし、牛は耕作の用となる。宿に牛までやってくるところに、鄙びた情景が浮かんでくる。蠅に違いはないのだが、こちらは馬さんの蠅、そちらは牛さんの蠅と言って区別して見せるところに滑稽がある。「清潔」の観念が行き渡った現代の感覚では、「不潔」そのものの光景だが、一九世紀末の日本では、まだまだ人と鳥獣虫魚に大きな差異はなかった。 秋風の一人をふくや海の上 明治三三年 明治期は、海外留学を果たして帰国することが、栄の必須条件だった。しかし、この句にそのような意気軒昂な覇気はない。横浜からの出航に際し、寺田寅彦に送った葉書に添えた。「秋風」は寂寥の風だ。当時の超大国大英帝国の首都に、東洋の小国人がたった一人で乗り込む。しかも、研究対象は本場の英文学である。自分「一人」に何ほどのことができるというのか。一種の焦燥感も漂う。単純に洋行に憧れた子規とも、留学先に浪漫を求めた鷗外とも異なる。出航時、帽子を振る人もいた中、じっと海を眺めていたと寺田は証言している。 では、まもなく発売になる『現代俳句ノート 名句を味わう』で「夏目漱石」について、髙柳克弘さんはどう書いているだろうか。 一部を抜粋して紹介をしておきたい。 俳句にイデア(理念)を持ち込むのは不向きだという考えは根強いが、漱石の俳句作品を見てみると、そう断言するのは早計だろうと思わせられる。漱石の句には、確かにイデアがある。しかも、俳句ならではの方法でイデアを表明している。すなわち、観念や抽象的命題をそのまま入れるのではなく、具象物を示してそこに寓意性を持たせることで、多義性を保ちつつもそこにイデアを盛り込んでいる。漱石俳句における意味深長な具象物の一つは「鶴」である。 人に死し鶴に生れて冴え返る (明治三十年作) 一羽の鶴を眺めながら、あれは人から転生した鶴だと直感する。春になってもなお冷たい外気に晒される鶴は、いかにも哀れだ。しかも、もともと人だとすれば、野生に生きる辛さはひとしおだろう。たとえ「冴え返る」の頃でも、いや、「冴え返る」という折だからこそ、鶴の凜とした気品が際立つのだ。隠遁して梅と鶴を伴侶とする暮らしを送ったという中国宋代の詩人・林和靖のおもかげも潜んでいそうだ。 (略) 漱石にとって、俳句は何であったのか。 正岡子規との友情の証し。手紙の結びに添える、気の利いた挨拶。あるいは、単に、鬱屈と病気の日々の気散じ。どれもが正しいのだろうが、それだけではない。漱石にとって俳句の十七音は、理想の小天地だった。 井上泰至さんは、「俳句という小さくて「無作法」な「詩形」こそが、人間の幸福をもたらすのに恰好のもので、これを愛すると告白している。」と解説に書く。 俳句は漱石にとって、『幸福をもたらすもの」で「理想の小天地」であったのだ。 文人の片手間俳句などでは決してないことをわたしたちはこの二冊から知ることができる。 思いもかけないお客さまがあった。 作家の小林恭二さん。 小林恭二さんは、仙川のちかくにある狛江にお住まいということが、先日の「天為創刊400号のお祝いの会」でお会いしてわかった。 ちょうどわたしはそのころ、『俳句という遊び』(岩波新書)を読み返していて、本著の面白さなどをお会いしたときにお話したのだったが、そこで仙川にはよくいらっしゃることが判明したのだった。 『ぼくね、あのCoCo壱番屋でカレーをよく食べるんですよ、ああ、この上にふらんす堂があるんだなあって思ってました」と。 「まあ、そうなんですか。それでは、是非にふらんす堂にお立ち寄りください」と申し上げたのだった。 そのことを憶えていてくださってお立ち寄りくださった。 仙川に御用があったおついでだそうである。 小林恭二さんは、20代のころから俳句をはじめられた。東大の俳句会に所属し、熱心に俳句をつくられていた。 その俳句会にはわたしがよく存じあげているかただけでも、大屋達治さん、日原傳さん、佐怒賀正美さん、夏石番矢さん、長谷川櫂さん、岸本尚毅さん等々が時間的なずれはあっても関わってこられた俳句会である。小林恭二さんは、その後小説をかくことを専門にされるようになって、俳句から遠ざかった。50歳になってふたたび俳句をつくるようになり、目下いくつかの超結社の句会に関わっておられるようだ。 お話をうかがうと、懐かしい名前がとびだす。 飯田龍太さんのおはなしやら、摂津幸彦さん、澤好摩さん。 澤好摩さんのことを語る小林恭二さんは、とても懐かしそうな表情をされる。 小林恭二さんは、『澤好摩伝』という小説も書かれている。 「人望があって、愛された俳人でした。いつも高い声でいばっているのに可愛らしくて、女性ファンが多かったんです」と。 小林恭二さんとお話をしていると存じあげている懐かしい俳人の名前がとびだして、お話はつきない。 岩波新書の著書『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』『短歌パラダイス』など、小林恭二さんでなければ書けなかったものである。 小林恭二さん。 ランチを奥さまと約束されているとのことで早々にお帰りになった。。 句集をご持参くださった。 ブックデザイナー・平野甲賀によって世にだされたもの。 中をひらくと俳句と一緒にたのしい装画があらわれる。 平野甲賀によるこの書体、 とても懐かしい。 1991年5月の刊行、 ということは、いまから30年前!!である。 スタッフのPさんは、あいにくリモートで今日は在宅。 小林恭二さんがお見えになったというと、「お会いしたかった」と残念がったのだった。
by fragie777
| 2024-06-20 19:56
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