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6月9日(日) 旧暦5月4日
今日は、滋賀県大津市にある総本山園城寺・三井寺まで行ってきた。 俳人・柿本多映さんの句碑建立の除幕式が行われたのである。 柿本多映さんがこのお寺のお生れてであることは知っていたが、わたしはこのお寺を一度も訪ねたことがない。 ということで、お祝い兼ねて伺ったのである。 伺ってびっくりした。 それは広い境内に国宝や重要文化財になるものがぞろりとそろって(?)いるのである。 あらまあ、こんなにすごいお寺だったの!(ものを知らないということはおそろしい)ということで、 若葉にはえる境内を散策しながら、句碑序幕式へと向かったのだった。 で、 このブログでトラブルが発生してしまい、 写真がアップできなくなってしまった。 いま、問い合わせをしているのだが、解決まで時間がかかりそうである。 くやしい。。。 96歳を迎えられますますお元気に輝いておられる柿本多映さんも、素敵な句碑も写真で紹介できないのはとても残念。 そして三井寺のこもごもも。 写真はあらためて紹介したいとおもうが、今日は句碑について、紹介できるものだけを紹介しておきたい。 句碑となった句は、 春や有為の奥山越えてダンスダンス 柿本多映 その句碑の横には、柿本多映さんの略歴と柿本多映さんについて記された一文がある。 その一文を紹介しておきたい。 柿本多映は、1928年に園城寺山内光浄院にて第161代長史福家守明の長女として生まれ幼少期を山内で過ごし、緑深き中に生息する多様な動植物、昆虫、爬虫類、そして昼とは大きく姿を変える魑魅魍魎の跋扈する夜の深い闇、多感な少女時代をこのような環境で過ごしたこと、そして、太平洋戦争前後の動乱の時代を生と死に向かいながら過ごしたことが多映の俳句の独特の世界観、感性の根源にあるのは間違いない。句碑は多映の句業へのオマージュであるとともに、多映のインスピレーションの原点を示す標徴でもある。2024年6月9日 これは多映さんの一人息子である柿本克彦氏によって書かれたものと伺った。 柿本多映さんの俳句の原点がよくわかる一文である。 句碑の除幕式に参列された俳句の関係の方々は、多映さんと特別親しい俳人の方の方々である。高澤晶子さん、江里昭彦さん(なつかしい!)、栗林浩、智子ご夫妻、佐藤文香さん、「俳句四季」代表の西井洋子さん、「俳句界」編集長の松本佳子さん、柿本多映さんの本の装丁をいろいろと手がけておられる装丁家の髙林昭太さん、そしてyamaokaである。わたし以外の方々はみなさん、この三井寺には来たことがおありのようだったが、わたしは恥ずかしながらはじめて。ほんとに素晴らしいお寺だった。美味しいお昼をいただいたあと、三井寺のなかでも一般公開がゆるされていないところを光浄院(ここは柿本さんが育ったところ)、勧学院を特別にご案内をいただいたのだった。本当に詳細にリアルに、しかし、写真をとってはいいけれど、ネット上にアップはしてはいけないということであり残念である。襖絵や座敷のひろさ、庭の景観、それはもうおどろくことばかりであった。 後日トラブルが解決しましたら、写真をアップしますので、是非に見てくださいませ。 そして、今日は、伝統俳句協会の賞の授与式があり、スタッフのPさんがうかがった。 阪西敦子さんの句集『金魚』が第2回稲畑汀子賞奨励賞を受賞されたのである。 このことについては、明日、Pさんのレポートを紹介したい。 ブログがちゃんと復旧しますように。 遅くなってしまった。 それではおやすみなさいませ。
by fragie777
| 2024-06-09 23:41
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Comments(2)
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三井寺は、天為の関西支部の、第一回句会の時、柿本多映さんに、お願いして、吟行したところです。柿本さんの甥、当時、執事長の福家俊彦さんに、ご案内頂きました、
その、福家俊彦さんも、僧籍があり、今は、お父上の、あとを継いで、長吏になられました
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大家達治さま
確かにいい吟行の場ですね。福家俊彦さんも長吏として対応してくださいました。 それにしても素晴らしい寺でただただ感嘆するのみでした。 若葉が美しく良いときに訪ねられたと思っております。 (yamaoka )
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