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6月3日(月) 旧暦4月27日
神代水生植物園の片白草、別名半夏生草。 ここは人がほとんどおらず静かでいい。 今朝の緊急地震速報には驚いた。 起きる途中だったわたしは、早急に一階の雨戸をあけ、玄関の鍵をあけ、いつでも飛び出せるように身構えた。 (おとなりが小さな造園林なので……) しかし、 何もおこらない。 そして、テレビをつけて能登半島を中心とした地震と知り、 それもまた、なんということだろうと、暗澹たる気持ちになったのだった。 今日の讀賣新聞の新刊紹介の「枝折」を紹介したい。 鈴木しげを句集『普段』俳誌「鶴」主宰の第六句集。何げない日常の大切さをかみしめる。〈夫婦して訪ふ泉あり風鶴忌〉 第15回田中裕明賞=浅川芳直『夜景の奥』(東京四季出版)、南十二国『日々未来』(ふらんす堂)。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クータ―バインディング製本。226頁 2句組 著者の鈴木光子さんは、昭和10年(1935)東京都生まれ、現在は中野区在住。昭和60年(1985)「秋」入会、平成21年「2009)『四季吟詠句集23』に参加。現在は「秋」無鑑査同人。現代俳句協会会員。東京都区現代俳句協会幹事。本句集は、1990年から2023年の33年間の作品を収録した第1句集であり、序文を「秋」の佐怒賀正美主宰が寄せている。序文を抜粋して紹介したい。 作者は、若い時から静かな行動派で、国内はもちろん世界の各地へも足を伸ばして異国の文化風景にも接しつつ、時代の流れを見つめてこられた。ロシアや中欧東欧などがカバーされているのも特色であろう。作風は、内面風景の句も含めて、全体的に抒情的である。特に、先師・文挾夫佐恵から学んだことが大きいかと思う。 このように序文をかきはじめながら、作者・鈴木光子さんの俳句について丁寧な目差しでいろいろな角度からその俳句の魅力を説き起こして行く。 さて、全編を通して、これまでの句の流れの上に、内面風景を季語に映して暗喩的に表白した句も見られるのが作者の俳句のもう一つの側面である。 好き嫌ひ言へぬ身を曳く秋の蟇 小さき炎の自負風に立つ吾亦紅 ひと恋へば銀の炎をあぐ霧氷林 梔子の白満つ傷みし色の満つ 渚に立つ躬の夕霧にあらがはず いずれも感情をあらわに出さず季語に託しながら独自のイメージを描いている。三句目は、人を恋う情念の炎が、霧氷林のしろがねの炎へと大きな広がりを見せる詩的な句である。 句集名「銀の炎」となった句についても触れられている。 本句集の担当は、文己さん。 胡弓消え闇立ち上る風の盆 膝の子のひざの絵本や軒風鈴 ブルーノートのジャズに酔ふ夜の更けて雪 凭れたき背な黄泉にあり夜の梅 てのひらにのせ祈りとす日記果つ 朝刊が届き寒き世動き出す リラの僧院驟雨の中に沈みゆく どの句も味わい深く、旅吟ではその国、その土地を旅したような気持ちになりながら拝読しました。 と、文己さん。 凭れたき背な黄泉にあり夜の梅 序文でも佐怒賀正美主宰が触れている一句である。「亡きご主人への夫恋句かもしれないが、「背な黄泉にあり」の距離感の大きさはあまりに痛切。しかしながら、「夜の梅」の花の明りが緩衝材のように傷心を和らげてくれる。奥行きのある印象的な抒情句である。」と。この一句、「腕」でも「胸」でもなく、「背な」という措辞が、切ない。つまりは後ろ姿なのである。顔は黄泉の暗さに向けられていて、こっちを向くことは決してない。しかし懐かしい背中を目の前におもっている。そして、夜の梅はその黄泉からの伝言のさまのごとく清冽に匂いながら咲いているのだ。 朝刊が届き寒き世動き出す この一句はわたしも好きな一句である。本句集には、鈴木光子さんの現代への批評の目がときとしてあらわれる。〈中村哲の凶報寒き夜を穿つ〉という一句もある。掲句についていえば、作者にとって現世は「寒き世」なのである。朝刊の情報に目を凝らすこと、それは自身の生きている現場のありようを知ることであり、そんな状況にとりまかれて自身の生はある、まず朝の一日がそんな認識から始まる。日常に安穏と充足せず覚めた目をもったひとりの女性がここにいる。〈飽食の世の庖丁を寒く研ぐ〉という句も。 ブルーノートのジャズに酔ふ夜の更けて雪 「ニューヨーク」と前書きのある一句である。本句集には、海外詠も多く収録されている。「ブルーノート」は東京・青山にもあるがこちらが本場である。青山のブルーノートには行ったことがあるが、ニューヨークのに行かれたんですね。本場のジャズ演奏をたっぷり聴いてなんとも羨ましい体験である。リズミカルに畳みかけるような措辞が効果的で最後に「雪」で一句を引き締める。音楽に酔いしれた甘美さが、「雪」の白さと冷たさで一瞬覚醒する。そしてふたたび、ブルーノートの余韻が、、、作者は、国外をいろいろと旅をしておられる。そういうこともあるかもしれないが、自身をとりまく状況を相対化し、現実世界への批評的な目をもつようになられたのかとも。海外詠では、〈「最後の晩餐」修する足場凍てをりぬ〉という句がわたしは好きである。 枯ざまに蟷螂の倚る山の墓 本句集のなかではめずらしい写生句である。目の前の彼蟷螂のさまを冷徹に叙した一句であるが、「枯ざまに蟷螂の倚る」という上五中七が彼蟷螂の最後のあがきでもあるかのようで、しかし、その凭れたところが「山の墓」とは何とも。。。冬のはじめの山の寂寥感と殺伐さにみち、蟷螂の哀れさが伝わってくる一句だ。山の墓とあるが、多分に苔むした墓碑銘もさだかでないそんな墓かもしれない。 銀河濃し死とは日時のなき切符 句集の後半に収録された一句である。佐怒賀正美主宰は、「現代詩的な句」としてあげている3句のうちの一句である。宮澤賢治の「銀河鉄層の夜」を思い起こさせる一句である。日時の記されていない切符をもって、銀河鉄道に乗り込むこと、それは死の領域へ永遠に向かっていくことなのだ。〈星合ひの夜なり孤舟を漕ぎ出さむ〉〈霧氷咲く生者より死者恋しき日〉などの句もあって、死は作者に身近に感じられるものとしてある。掲句、イ音が句に緊迫感のあるリズムをつくり出している。最後がウ音でおさまりすこしホッとする。 校正のみおさんは、「〈分身の雪女ゐる手術台〉がとても好きです。」 おなじく幸香さんは、「〈アオザイは風の衣や稲青む が好きです。」 俳句を始めて三十有余年、米寿を機にいつも暮しの傍らにあった俳句を句集に編みたいと思いました。 改めて自分の句歴を辿ってみました。初学の頃は石原八束先生でした。格調高いお句に憧れると共に、自分はここに居て良いのだろうかと不安を覚えた事もありました。句座の緊張感と共に同道させて頂きました旅行も、今は懐かしく回想に耽る事もしばしばです。その後を継がれた文挾夫佐恵先生は、知的でしなやかな感性の作品と共にお人柄も魅力的でした。晩年の洒脱な句の数々に圧倒されました。そして現主宰の佐怒賀正美先生のお句は発想の豊かさの際立つ作品で羨望を覚えます。この様に全く個性の異なる三人の師の下に勉強させて頂きました幸運を嚙みしめております。〔略) この句集には海外詠も多く取入れました。外国の風を肌で感じた、その実感を記録に留めたいと思いました。 夫の死後、糸の切れた凧のように出歩いた自分に苦笑を覚えます。また、俳句を始める前より参加していたボランティアグループがあります。そこで視覚障害者のための音訳を四十年程続けてきました。俳句と共に私の生活の一部というより全てでした。どちらも好きというだけで続けてきました。 「あとがき」を抜粋為て紹介した。 石原八束、文挟夫佐恵、佐怒賀正美という3人の師の下で俳句を学んでこられた鈴木光子さんである。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 「銀の炎」のタイトルそのもののイメージが再現された。 美しい青となったが、実は、この青となるまで君嶋さんと担当の文己さん、すこしたいへんだった。 いろいろな青が出現している。 銀箔。 カバーをとった表紙。 扉。 詩の森の竜骨繰りぬ青葉木菟 詩の渉猟者としての自負を象徴的に詠んだ句。青葉木菟が詩の神のように見守っていてくれる。作者の詩の舟はどこへ向かうのであろうか。(佐怒賀正美/序) 本句集上梓後のお気持ちをうかがった。 初めての句集を手にして思うことは、日記を綴るように日常を平明な言葉で表現して来ましたので客観でなく主観の句となっている事です。 その延長で、日常を老いの視点で淡々と詠んで行きたいと思っております。 美しい装丁に、すべての方に感謝しています。 鈴木光子さん 佐怒賀正美主宰と。 マフラーをいのちこぼさぬやうしかと 鈴木光子 ご健勝をこころよりお祈りもうしあげております。
by fragie777
| 2024-06-03 20:48
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