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4月30日(火) 旧暦3月22日
仙川の青鷺(アオサギ) 気持ちよさそうに風に吹かれていた。 花や草をしたがえてとても満足そう。 ちょっと出来すぎの感。。。 (ねえ、あえてそこ選んだの?)って思わず声をかけてしまった。 今日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、阪西敦子句集『金魚』より。 晩春となつてゐるなり白ワイン 阪西敦子 「白ワインも晩春と初夏では微妙に味わいがちがってくる。晩春と思えばかなしみがほのかに漂い、初夏と思うと未知と未来の香りがする?」と、坪内稔典さん。たしかにその通りだと思う。「晩春」という言葉の響きもすこし重たい。「初夏」はハキハキとしている。言葉って不思議だ。人のこころを支配してしまう。 晩春と思うゆえか、今日はどうしたことか身体中が痒い。ときどきあるのね。こういうことが。。アレルギー性によるものなんだと思う。 だから、一日中をあっちこっちを掻きながら仕事をした。お臍のまわりとか、頭髪のなかとか、背中とか、腕とか、とくにお臍のまわりが痒くて(笑うな)一日中お臍を意識していた。(わたしは痒いお臍をもっている)って。トイレに行ったとき、お臍をみたのだけれど、赤くもなっておらずいつもどおり澄ましている。でも痒いのよ。ブログを書き始めたいまは、背中が痒い。ときどきあるので仕方ないのだけれど。。。。寒暖差アレルギーってこともある。。 今日は「河東碧梧桐の百句」を校了にすべく、スタッフに手伝って貰って索引とページ数の読み合わせをする。 スタッフは、河東碧梧桐の俳句にはほとんど触れたことがない。 わたしだってそう、今回の「百句シリーズ」がなければ、多分「椿」の有名な句ぐらいしか知らなかっただろう。 河東碧梧桐の百句にとりくんでくださったのは、秋尾敏さん。 伝記的に書かれていることによって、碧梧桐のひととなりやその俳句の変遷が鮮明にわかる。そして俳句のみならず彼の文学、美術、思想へと視野のひろがりをみせて多面的に碧梧桐を論じているところが秀逸であると思った。 碧梧桐という俳人は今日ほとんど読まれずに放置されてきたという感がある。 しかし、初期の作品など虚子以上に写生的であり瑞々しい。 そのことにまず驚く。 〈砂の中に海鼠の氷る小さゝよ〉〈はらはらと天の川より散る蛍〉〈上京(かみぎょう)や友禅洗ふ春の水〉〈陽炎に鹿の尾もゆること一寸〉などなどは初期の作品。 校正者のKさんは、「これほど瑞々しい俳句であったのか」と驚いていた。 今日読み合わせをしていて、スタッフが碧梧桐の俳句に面白い反応をしめしていた。 「〈芭蕉忌や淋しいほどにうづくまる〉っていう句、なんかいい句ですねえ」とか、「〈湯上りテンテン頭で念仏口ず(ママ)からよろぼひ〉、この句面白い。わたし、忘れられなくなりそう」と言いながら笑う。その数ページ前にある〈ぬる湯ぶねの眠気ざましを一人でじやぶじやぶ〉も面白がっている。「難しい俳句をつくる人かと思っていましたが、すごく素直につくる人だったんですねえ」と。 〈五月の水の飯粒の流れ〉は大正五年の作。秋尾さんの鑑賞によると、虚子の有名句〈流れ行く大根の葉の早さかな〉は昭和三年の作とある。 そして、〈芭蕉忌〉の句は、鑑賞によると「碧梧桐自身の心情が重なっているのも当然のことである。五月に京華日報社に入社し、社会部長となった。十月に「ホトトギス」が東京に移り、前年に結婚した虚子がその編集発行を請け負うことになるのだが、その虚子の妻には碧梧桐も思いを寄せていたのである。」とあり、そんな虚子との関係もみえてきて興味がつきない。しかし、そういう背景を抜きにしても、句として魅力ある一句だと思う。 執筆者の秋尾敏さんは、とっつきにくい「河東碧梧桐」という俳人を資料の裏付けをとりながら、非常に親しみやすいかたちでわたしたちに示してくれた。まさに河東碧梧桐の入門書として必要にして十全な一冊となったと思う。 出来上がりは5月下旬となる予定。 ブログをかいているときは、痒みはしばしわすれるが、こうしてひと通り書き終えると、ああ、また痒くなった。 こんどは右腕がちくちくする。 まあ、仕方がないわ、 書き終えたので、帰ろう。 今日のお夕飯は、「青椒肉絲」が、メイン。 実はつくりすぎて、今日で三日目。 やっと解放される。。。 なかなか思索的な顔をしているアオサギ。
by fragie777
| 2024-04-30 18:52
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