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4月18日(木) 旧暦3月10日
芽吹きの季節の雑木林をあるくのは、とても気持ちがいい。 みずみずしい命のエネルギーを全身に感じる。 シロハラ。 この写真ではわかりにくいが、お腹のあたりが白い。 かなりの時間草むらでキョロキョロとしていた。 昨夜は、蕗の薹の天麩羅をした。 天麩羅なんて一年に一度やるかやらないかなのに、今年はたらの芽についで二度目である。 たらの芽の天麩羅は、すこぶる上手くあがって、大満足だった。 さて、 蕗の薹は、いかがか。 こっちも上手くいった。 ひょっとしてわたし天麩羅揚げの天才?! なんてわけはないか。 うまくあがったので、今回は冷蔵庫に冷やしてあった八海山の貴醸酒をとりだしてともに食した。 甘口であるが、風味があって美味しいのだ。 そして竹の子ご飯。 もう、最高よね。。。 新聞記事を紹介したい。 共同通信配信のものである。 俳句時評コーナー「俳句はいま」は、今期は浅川芳直さんである。 「俳句のスタイル・個性とは 高橋睦郎「花や鳥」など」と題して二冊の本を評している。 一冊は井上泰至著『俳句のマナー、俳句のスタイル』(本阿弥書店)、そしてもう一冊は高橋睦郎句集『花や鳥』。 抜粋して紹介したい。 井上泰至著『俳句のマナー・俳句のスタイル』については、 俳句の文体を主題に据えた労作。(略)本書の特色は、文語文法や有季定型を、硬直したルールではなく、より弾力的な礼節やマナーと捉えること。ただ、文語文法や季語の現代的意味合いが、俳諧時代の季語の役割(挨拶)と同じ意味で礼節なのか、俳句の正統/異端をマナー(礼節)の観点で対比すべきかどうかは、議論が必要になりそうだ。 高橋睦郎句集『花や鳥』については、 他の追随を許さぬ知識量と言語感覚の上に、俳諧自在を謳歌する。〈姫始阿のこゑ高く吽低く〉〈蟻の聲出す人と見る蟻地獄〉〈絶滅の虱拝まん古褌〉。「姫始」は新年最初の性交渉のこと。「蟻の聲」を調べてみると、ハキリアリは「キョ」とか「ピュッ」と鳴くらしい。「古褌」は、何をか言わんや、笑ってしまう。(略)ルールやマナーで測り難い世界だが、一方で〈弖爾乎波(てにをは)の弖と波大切初懷紙〉と安易な「て留め」を戒める。俳句の特性を突き詰める態度が、強烈な個性を現出させているようだ。〈籟初のおこるや天の冥きより〉〈梅ちるやとうんとうんと晝の波〉。一見読みやすいが、言語化し難いものへ迫る難解さがある。それは詩歌そのものの本質でもあろう。 世界の詩歌という観点から見れば、有季定型も日本語もローカルだ。高橋の仕事は、ローカルなものを垂直に掘り下げる態度によって、個性的にして普遍的な作品へと到達する道があると教えてくれる。不易流行(絶えざる自己更新において現れる普遍性)の「流行」を、ローカルなものと置き換えてみると、日本語、季語、韻律等にこだわる意義もまた違ってくるかもしれない。 先日、高橋睦郎さんとお電話で話したところ、ご自身の新句集について、若い俳人のひとたちが偏見も先入観もなくまっすぐに作品に向き合って評してくれるのがとても嬉しいと話されていた。 「ぼくはそういう意味で幸せです」とおっしゃって電話を切られたのだった。 井上泰至さんについては、目下「夏目漱石の百句」が進行中である。 いま、再校ゲラに目をとおしていただいている。 こちらは、漱石の俳句を知るのみならず、漱石のあたらしい人物像にもふれることのできる 面白い一冊となりそうである。 樹間に立っていると、樹々のこえがきこてきそう。
by fragie777
| 2024-04-18 18:34
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