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4月13日(土) 旧暦3月5日
桜の季節も過ぎ去ろうとしている。 今日は午前中から夕方まで、仕事。 「ふらんす堂通信」のゲラ読みを中心に、あれこれと対応におわれる。 このところポカが多く、反省しきりである。 夕方、鍼灸の予約をしておいたので、身体と精神にカツを入れるべくお灸をし針を刺して(?)もらう。 熱くったって、痛くったって、ガマンって気合いをいれてのぞんだけど、 熱くも痛くもない。 いまは身体がポカポカとあたたかい。 「ふらんす堂通信」といえば、目下電子書籍化の話がすすんでいる。 前々から電子書籍にしていろんな人が読めるようにしたいという思いがあったのであるが、 さて、どのようにしたらいいのだろうか、いろいろとスタッフたちと検討中であった。 そうして、決まったのが、 〇一年に一度の発行とする。 〇連載のもの、書き下ろしの読みもの、特集記事を掲載。 〇編集室から、編集後記、コラムも掲載 〇広告記事 ということになろうか。 目下昨年度のものを一冊にして順次毎年発売していく。 また遡っての発売も考えている。 作成、発売過程でさらにバージョンアップされていくこともあるのではないだろうか。 まずは、一冊を刊行してみることに。 「ふらんす堂通信2023年度版」 ![]() わたしもどんな一冊になるか楽しみである。 今日は、田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より、14日の日付のもの。 森賀まりさんの執筆によるもの。 鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫 無季俳句は季語や季感を持たない俳句をいい、新興俳句運動の経過と共に大正時代から数多く詠まれてきた。作者林田紀音夫は大正一三年(1924)熊本県生玉名市生れ、下村槐太に師事。作句当初から無季俳句に関わってきた。 掲出句は、作者の初期の代表句。遺書という言葉にまずどきりとさせられるが、鉛筆書きという気安さと容易に忘れあれるという認識が痛々しい。作者には長い療養生活と戦時の軍隊経験がある。死は生の果てにあるのではなく常に身辺に添うものだった。この遺書の書き手も遺される人もそれをたやすく忘れる人たちすらも、特別な誰かではない。掲出句は句集『風蝕』所収。 作者は、平成一〇年六月に没した。他に「いつか星ぞら屈葬の他は許されず」「形代の白にひとしく波がしら」など。(無季)
by fragie777
| 2024-04-13 20:51
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