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4月4日(木) 清明 旧暦2月26日
昼休みにクィーンズ伊勢丹までいったところ、前の公園の桜がいい感じで咲いていた。 桜は枝の暗さがいい。 小学生の頃、絵を習っていた。 スケッチに行って風景をみながら桜の木を数本描いた。 画家の先生がやってきて、私の描いた桜の木枝にクレパスで紺色をくわえた。 すると桜が命を得た。 その時より桜の木には決まって紺色がみえる。 昨夜はぐっすりと眠れた。 iPhoneの「睡眠スコア」を見ると、100点中82点で「良好」を貰った。 ヤッタネ! しかし、睡眠時間は、5時間41分。その前日は、4時間3分で35点の「要改善」。 どうやら睡眠時間ではなく、睡眠の質らしい。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 226頁 二句組 著者の酒井久美子(さかい・くみこ)さんは、1954年京都市生まれ、現在は奈良市在住。2007年「圭」に入会し、津田清子に指導をうける。2012年「圭」終刊より、太田よを子による「朱愚」創刊、参加。2015年「玉梓」入会、名村早智子に師事。2017年「玉梓」同人となる。俳人協会会員。本句集は平成20年(2008)から令和5年(2023)までの作品を収録した第1句集となる。「玉梓」の名村早智子主宰が序文を寄せている。 名村早智子主宰は、酒井久美子さんがはじめて俳句を学んだ「圭」の津田清子主宰のことから序文を説き起こし、厳しい指導を通しての今日があることを語っておられる。怪我によって苦しい時期を経るも、俳句を手放さず頑張ってこられたことも触れられている。集中たくさんの句を紹介してあるが、ここではわずかとなってしまうが抜粋で紹介したい。 ふらここを漕ぎて子は今ひかりの子 白に何足せばこの色白木蓮 公園とふ箱は窮屈姫女菀 終ひには涙の色に七変化 ほんたうは枯れてはをらず枯蟷螂 坂道のゴールは我が家冬銀河 家族に背を押されてのこの度の句集出版。久美子さんの来し方の凝縮されたこの一集を足掛かりに、更に高みを目指されることは日頃の俳句への関わり方からも想像できる。これからも体を鍛え、お孫さんの成長を見守りつつ、自分の世界を切り拓いてゆかれるだろう。 第二句集への未来を見据えながら、心からお祝い申し上げます。 「家族に背を押されてのこの度の句集出版」とあるように、ご家族の絆の強さを感じた句集であった。ご両親のこと、義父、義母のこと、夫のおと、子どもたちのこと、孫たちのことが家族の歴史をつづるように大切に配されている。著者にとって家族がいかに大切であり、支えとなっているかを思わされる句集である。 本句集の担当は、Pさん。 小手毬や過去の重さにたわみをり 水引の一花一花を洗ふ雨 御在所を啄むやうにもみぢせり 夏蝶のひとり遊びの影を追ふ 長き夜を絵本の海に溺れし子 水引の一花一花を洗ふ雨 この句わたしも立ち止まった句である。水引の花ってほんとうに小さい。そして一つ一つが離れて咲いている。その小さな一粒ごとに咲いている花に雨がふりそそいている様に作者は目をとめたのである。「一花一花を洗ふ雨」の措辞によって、雨にぐっしょりと濡れてその紅色をさらに濃くしながら光っている小さな花のありようがよく見えてくる。「降る雨」や「そそぐ雨」だったら、そうはいかない。「洗ふ雨」で水引の花がきわだったのだ。「洗ふ雨」で水引の花は命をえた。丹念に観察された一句である。 夏蝶のひとり遊びの影を追ふ わたしも好きな句である。わたしには、夏蝶と小さな子どものすがたが見えてくる。あたかも夏蝶が一人遊びをしている子どもに戯れているかのようだ。夏は影がもっとも濃くなる季節である。炎天下などは人の姿は暑さで茫洋としてもくるが、人影だけは濃くさらされている。そんな夏の日ざしの強さを思わせる一句である。またそんな暑さにもめげずに子どもは遊びに興じることも出来る存在だ。夏蝶もまた逞しい動きをみせなら、ひたすら子どもの影を追っている。 白に何足せばこの色白木蓮 名村主宰も序文にとりあげている一句である。「師の愛した白木蓮への思いもいよいよ深くなる。白を超越した色を出すために神様はどんな工夫をされたのだろう。」とあり、津田清子が愛した白木蓮なのか。白木蓮の「白」は、重量感のある「白」であり、分厚い白であり、わたしの場合やや眠たくなってくる白だ。その密度の濃い「白」を「白に何足せばこの色」と詠んだのには意表をつかれた。そう、たしかにそんな感じ。白であっても、深度があり密度と重さがある。そのありようを、「白に何足せばこの色」と叙してみせたところが巧みであると思う。が、あるいは、率直な作者の思いを一句にしたのかもしれない。 惜しみつつ秋を掃き出す竹箒 著者の酒井久美子さんが、自選10句にあげているうちの一句である。「秋惜しむ」が季題であるが、こんな風な詠み方もあるのだと面白くおもった。竹箒で掃き出しているものは、塵芥というよりもきっと「散り紅葉」だろう。紅葉の季節がおわって色をうしないつつ枯葉となっていくその散り紅葉を掃きだしているのだ。行く秋の象徴としてのそれらである。作者の心は去りゆく秋を精いっぱい惜しんでいるのが、竹箒は活発に動いているのだろう。下五の「竹箒」で言い止めているところが、竹箒が主役のようでもあってやや滑稽味を引き出している。秋が行ってしまうんだわって嘆きながらも枯葉を掃きだすことに余念がない竹箒である。 長き夜を絵本の海に溺れし子 句集名ともなった一句である。本句集には「絵本」という言葉が入った句がほかにもある。〈ねんねにはいつもの絵本貝殻忌〉〈子から子へ読み継ぐ絵本曝書せり〉〈よどみなく絵本読む子や今朝の秋〉など、「絵本」を身近に身近に大切におもっている作者である。掲句は絵本のパワーに魅了された子どもを詠んだ一句だ。絵本パワーは子どもを凌駕し子どもはそのパワーの海で溺れてしまうのだ。しかし、とびきり幸せな夢の時間だ。「絵本の海に溺れ」るという措辞が、もはや尋常ではなく絵本に魂をうばわれてしまっているかとを語っている。いいなあって思う、わたしも溺れたいよ、って。でもこの歳まで生きてしまうと溺れられないのである。つまんない条理を身につけてしまっているからね。子どもならではのすばらしい特権だ。 俳句に出合い、良き師に出会い、後半の人生は、豊かで充実したものになっています。これからも、季節の移ろいを感じながら、俳句と共に自分らしく年を重ねていけたらと思います。 句集のタイトルは 長き夜を絵本の海に溺れし子 の句より三人の孫の成長を願って「絵本の海」としました。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 酒井久美子さんの本句集にこめた思いをうけとめてのブックデザインとなった。 絵本には鯨がつきものである。 カバーをとった表紙にも鯨が、、、 扉にも。 カバーにいる少女は、酒井久美子さんのお孫さんを彷彿とさせると、とても喜んでくださったのである。 上梓後のお気持ちをうかがった。 1) 本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 思いが形になりました。 ただ文字を追っていた初校.再校ゲラとは、全く別の物になっていました。 いつか、いつか、まだ早いのではと思いながら、思い切って句集を上梓して良かったと思いました。 装丁にこだわり、自分が思い描いていた素敵な句集にして頂き、とても嬉しく思いました。 憧れのふらんす堂さんから出版する事が出来、本当に良かったです。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 壮絶な痛みの日々も、入院生活も、俳句に支えられてきました。 今のこの穏やかで豊かな日々があるのも、俳句を続けてきたからこそです。 色々な人に、孫にも将来読んでもらえたらと思います。(六歳の孫は、父親ともう読んだらしいのですが…。) (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい 日々の小さな感動を大切に、 これからはもう少し自分のカラーが出せるようになればと思います。 そして、生涯に一句でも、満足のいく潔い句が詠めたらと思います。 酒井久美子さん。 ご自宅の庭にて。 最後になりましたが、元日に能登半島で地震がおきました。ちょうど帰省中の子供達のスマートフォンが、リビングで一斉に鳴り出しました。奈良でも、暫くの間揺れが続き、その後の報道で知る被災地の状況に言葉を失いました。一日も早い被災地の復興を願ってやみません。 「あとがき」の最後におかれた一文である。 柊挿す見えざる明日の真ん中へ 酒井久美子
by fragie777
| 2024-04-04 20:39
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