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3月28日(木) 旧暦2月19日
先日、名栗に遊びにいって、俳人の石田郷子さんよりゆずって貰った「猫」。 骨董店も営んでいる石田郷子さんであるが、これは郷子さんが自身のために購入された猫だった。 ひと目みて、(わが猫・日向子だ)って思って、無理を言ってゆずってもらった。 家にかえってちょっとおどろいてしまった。ロイヤルコペンハーゲン製のものだったのね。 陶器の白がなんともあたたかく、見ていると安らかな気持ちになってくる。 そして、「日向子。。。」って呼んでしまう。 手のひらに乗るほどの大きさのもの。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル 110頁 三句組 辻 憲(つじ・けん)さんは、1946年、東京都墨田区生まれ、現在も墨田区にお住まいである。「余白句会」の会員である。画家でおられ、かつてふらんす堂より刊行した三宅やよいさんの句集『駱駝のあくび』は辻憲さんの装釘によるものだ。お兄さまは詩人の辻征夫。辻征夫さんも生前は「余白句会」のメンバーでいらっしゃった。はじめての句集上梓となる。 俳句をつくりはじめるきっかけとなったことを「あとがき」で書かれている。 二〇〇四年三月、余白句会に誘われて、はじめて俳句をつくった。このときは、田中裕明夫妻がメインゲストで、私は見学者であったが、投句した三句のうちの一句に田中氏が「天」をつけてくださった。 啓蟄や虫の挨拶あっちこち 田中氏のあたたかい後押しで、私の俳句が始まった。 こういういきさつによって俳句をはじめられたことを知って、すくなからずおどろいたのだった。 田中裕明さんは、俳人のみならずいろんな方に影響を与えておられたんだなあと。 この「啓蟄」の一句を「天」に選ぶ田中裕明という俳人。 「あとがき」を拝読して、わたしは嬉しくなってしまった。。 本句集の担当は、文己さん。 文庫本ひらりとめくる春の風 青空やしづかに凧の狂いだす 素っぴんの言葉こぼれる春日傘 B面の歌聞いている日永かな 恐竜の歯を眠らせて雲の峰 夏休み青春切符の老夫婦 満月や笑うことなきけものの眼 新雪のごときアイロン掛けのシャツ B面の歌聞いている日永かな 「B面」ってピンとくるのはきっと昭和世代の人間だろう。つまりレコードで音楽を聴いたことのある人間。レコードにはA面とB面があるっていうことを知っている人間であり、A、Bとされる歌の微妙な違い、多分それは流行歌(この言い回しも古い!)で大いにわかることなんだけど、そのB面の歌をここでは聴いているのである。A面は「表」の顔をして多分買う人間はその歌を求めてまず買う、そしてB面は「裏」であり、こんな歌も録音してみました、悪くないでしょ。といった風の二番手の歌。そんなちょっとした格付上のB面である。あるいはB面の方がすきっていう人間ももちろんいるが、売り手側としてはA面があくまで目玉である。そしてB面もあたればそりゃやったぜーということになる。ってながながとへんな解説をしてしまったが、掲句においては、その二番手の歌を聴く心やすさのようなものがあり、あるいはそれほど流行っていないそっちを気に入ってしまった心地よさもあったりして、そんな歌を繰り返し聴いている、日が永いことも悪くないなあなんて長閑さを楽しんでいるのだ。B面はA面ほど気合いがはいってない分ラクである。 素っぴんの言葉こぼれる春日傘 「素っぴんの言葉」って、なんだろう。「素っぴん」の人からこぼれた言葉、という意味か、あるいは「飾らない言葉」という意味か。わたしは最初、前者だとおもったのだが、後者でもいい。どちらにしても作者は、この言葉を好ましく思っているのだ。「春日傘」の向こうから言葉がこぼれてくる。顔は見えないが、明るい声とともに春日傘が花のようにひらいて目の前にあって、春の気配が濃厚である。つまりは作者は、この状況を楽しんでいるのだ。「素っぴんの言葉」に作者の発見と思いがある。 啄木の歌碑もぬらして春の雨 これはわたしの好きな句である。『啄木の歌碑」がいい。どんな歌が刻まれているのかはわからないが、雰囲気はわかる。切なく悲しく人のこころに滲み入ってくるような歌だろう。そんな歌が刻まれた歌碑を春の雨が濡らしている。細くやさしくやわらかな春の雨。「歌碑を」ではなく「歌碑も」としたことによって春の雨の余情が増した。 ころがりし蝉の目に一粒の空 この一句も好き。この「ころがりし蝉」は多分、まもなく死んでいくか、あるいはもう死んでしまった蝉だと思う。蝉は死んでも、生きているときの様とそう違わないので、見た目だけではわからないが、「ころがりし」で、すでに自身の意志では飛べない蝉であることがわかる。しかし、まだ目は生きているかのように空を映している。そこに作者は目をとめた。小さな一粒の目にうつった空を。その「ひと粒の空」はかつて蝉が自在に飛び回っていた空なのである。「一粒の空」は、死んでいこうとする蝉からの小さなメッセージであるかのようだ。 はつなつの筆箱の音すれちがう この句もいいなあ。すれちがう「筆箱の音」をいったい誰が聴きとめられるだろう。そう、辻憲さんはまだ少年のままのところがある人なので「筆箱」のすれちがう音がちゃんと耳に入ってくるのだ。この句、擦れ違う「筆箱」しかみえてこない。そしてカタカタと言う音と。季節は初夏。さっぱりときもちのよい大気のなかで。子どもの気配はするが、なによりも筆箱の音。「はつなつ」によって生み出された特権的な音かもしれない。 校正スタッフのみおさん。「〈母国語でつぶやく秋の駱駝かな〉が好きです。らくだの長いまつげが目に浮かびます。 おなじく幸香さん。「〈熱狂のあとの家路や冬銀河〉 に特に惹かれました。」 本句集はクスリって笑ってしまう句がいろんなところにある。読んでいて楽しい句集である。 いくつか紹介をしておきたい。 美人からたぶん移った春の風邪 六月のバケツに天の水の音 万緑や羽ばたきそうな肩甲骨 蚊柱に突っ込む別れたての彼 殺し屋のように手袋嵌めてみる 本句集の装釘は和兎さん。 シンプルさを心がけてもらった。 スマートな一冊となった。 上梓の後のお気持ちをうかがった。 国語の教科書にのっていた、 荒海や佐渡に横たふ天の河 芭蕉 という俳句を知って、とてつもないスケールを詠めるのも俳句なのだと認識した。 しかし、私の思春期の心に響いたのは石川啄木と若山牧水の短歌だった。 三十代の終わり頃、ひょんなことから「余白句会」に誘われて初めて俳句を作った。言葉を選び、組み立てる新鮮な喜びがあった。 先日「余白句会」でも配りました。シンプルで、手に取りやすいサイズ感で、内容ともども皆様に好評です。 とも。 お兄さまの「辻征夫さんをしのぶ会にて。」 右端が辻憲さん。 谷川俊太郎さん、井川博年さん、八木幹夫さんなどの姿もある。 「余白句会」には、作家の小沢信男さんもおられた。 ポケットに焼栗いれて銀座の子 (小沢信男先生は銀座生まれ) 校庭に老いし兎の聖夜かな 辻 憲 咲き始めたシデコブシ。 名栗にて。
by fragie777
| 2024-03-28 19:58
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