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3月14日(木) 旧暦2月5日
芽吹き。 この芽吹きの美しいみどりは一瞬である。 今日はあたたかな春の日となった。 革ジャンパーをはおって昼休みに仙川商店街をぶらぶら歩いていたのだが、すでに重たく脱ぎたくなった。 岸本尚毅さんが、今日の神奈川新聞の「俳壇時評」で、高橋睦郎句集『花や鳥』をとりあげて評しておられる。 抜粋して紹介をしておきたい。 「言葉の腕っぷし」と題して、「その言葉の腕っぷしの強さに驚く」という書きだしで、驚いた句を紹介している。 ここではそのうちのいくつかを。 「雨雲の割れてどくだみ浄土かな」はスケッチ風に書くなら「雨雲の割れてどくだみばかりかな」という程度か。しかしこの句にはそこはかとない荘厳さが漂う。それは、「浄土」の効果だ。「浄土」という言葉は句を抹香臭くする懸念があるが、そうならなかったのは、雲が割れる「来迎図」的な景が「浄土」感を素直に導出するから。十薬の花の一種由々しい感じも「浄土」に通じる。(略) 「閑(のどか)とは億兆の魔の黙(しじま)かな』にも驚いた。「長閑(のどか)」はのんびりした春の気分。ところがこの句は、この長閑さは、無数の魔が瞬時沈黙しているだけだという。あらゆる凶事の背後にある「魔」の領域を垣間見たような句だ。(略) 「婚さびし二人さみしと年賀状」は「さびし」と「さみし」を使い分けた。「さびし」が伏線となり、もっと情緒的な「さみし」という言葉が生きるのだ。ちなみに萩原朔太郎の「地面の底の病気の顔」という詩では「さみしい病人の顔」のあとに「さびしい病気の地面」が出てくる。 そして、「あとがき」に記されている文章をうけて、 我々俳人は未熟さゆえの難解さを脱した「平明な只事句」に安住しがちだ。だが、高みを求めるならば、高次元の難解さに立ち向かい続けなければならない。先達の叱咤激励である。 「言葉の腕っぷし」とは良きことばだなあ。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 128頁 平木たんま(ひらき・たんま)さんは、1939年埼玉県生まれ、さいたま市在住。俳誌「寒雷」(加藤楸邨主宰)、俳誌「海程」(金子兜太主宰)の元同人。詩誌「地球」(秋谷豊主宰)参加、個人誌「島」に参加。現在は詩誌「豆の木」「ここから」に所属。句集『漂鳥』、詩集『犀の角のように』を上梓しておられる。本詩集は第5詩集となる。 老いを重ねてを杖をつき言葉を探し歩き、手に入れたものを味わうのは良いものです。言葉の方も喜びや悲しみを体験した老人を歓迎してくれています。昔日の容色は衰えましたがそれなりの楽しみはあるものです。 と「あとがき」に記す平木たんまさんは、今年85歳になられる。 本詩集にも、年齢をかさねたゆえに生まれたことばたちがしずかに息をしている。 荒川(春) 急斜面を下りると川 若草に見え隠れして 川はふくらみ 折りあらば実力を見せたいと 太陽と手を繋ぎ 音もなく、ぐいぐい行く かすむ秩父の山々とおなじ色で なにくわぬ顔をして来る 何をして来たのだろう 川底の泥の感情 なにもかも無言で飲み込み底を見せない わたしはこの川の上流で生れた 貧しい子供と清らかな流れ 学び、手に入れ、老いて しなやかな肢体も水底の白い石も わたしの記憶に残るのみ 土手に登ると 鶯が鳴く、川風も登ってくる どすの利いた底の見えないたっぷりな水量 甘く豊かな泥の感情 行く手の新しい緑につき進んで行く この詩集の詩は、何度も読み返し不要と思われる言葉を除き、必要と思われる言葉を加え、自分以外の人も読んで頂けるようにと考えました。わたしはこれまで長い間この大切なことをしておりませんでした。詩になりそうなものを拾い上げることには努力しましたが、作品にするという意識に欠けておりました。ようやく詩に目覚めたのでしょう。そういう訳で以前より良い作品になったと思いましたが、いまはどうか分からなくなっております。曲がりなりにも手に入れた言葉たちをこうして纏められたのは嬉しいことです。 ふたたび「あとがき」より。 本詩集の担当は文己さん。 文己さんの好きな詩を一篇紹介したい。 半袖のブラウスで 若葉の季節 いま着いたばかりのように 自転車を傾け片脚を地につけていた しなやかな肢体 問いかけるように瞳を開き わたしを見つめていた あなたが通る筈のないところなので 待っていたと直感した 立ち止まることも近づくことも出来ない 明るく爽やかな緑 わたしは驚きと喜びでいっぱいになった キューピッドも天使も信じることが出来た 若いわたしが半袖のブラウスで 自転車に乗ると うぶ毛をくすぐる風が過ぎた 忘れたりしない 膨大な記憶を分けて行けば 宝石の原石のように見つかる こころの塊 本詩集の装釘は君嶋真理子さん。 平木たんまさんのご希望をできるだけ活かした装釘となった。 あたたかな黄色が印象的な一冊となった。 本詩集ができあがったときにいただいたメールは、 わが家の梅が咲いたので公園の梅林へ行き詩の材料を拾ってきました。 素直に読めるものを書いています。さりげないものだけれど書こうとしないと書けないです。 今日、本が届きました。 軽くて手ごろで親しみやすい大きさで気に入りました。 きっとこれからも平木たんまさんは、詩を書いていかれるでしょう。 この一冊の詩集からそんな想いが伝わってきます。 老をかさねてさらに耀く詩のことばを手にいれられますように。 もう一篇詩を紹介したい。 「『ゆらゆら』という作品に惹かれました。『ゆらゆら』というかわいらしいオノマトペとは裏腹に、ちょっとひんやりするような読後感が好きです。」と、校正スタッフのみおさん、 ゆらゆら 霧雨に濡れる蔓隠元の 巻きついた蔓が伸び 雫のついた頭を下げ 弓のように曲がる 起き上がる 上下に振る 風に触れたそぶりで 回転する ゆらゆら あちらに傾きこちらに傾く 探している 狙っている あの振り方 どこかで見たことがある そうだ、蛭だ 沼への道で出会った、飢えた小さな山蛭だ 落葉と同じ色をして小径に現われ 血の臭いに歓喜し 身を細くして立ちあがり 落葉の上で待ち伏せしていた ゆらゆら揺れていて 厚い靴下の上からでも忍び込み 血を吸い膨らんでころんとなった 決死の蛭だ 血がほしい 支えがほしい ゆらゆら
by fragie777
| 2024-03-14 19:05
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