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2月29日(木) 草木萌動(そうもくめばえいずる) 旧暦1月19日
咲き始めた山茱萸(さんしゅゆ)の花。 早春に咲く黄色の花のなかでこの山茱萸の黄色がいちばん好き。。。 今日は閏日(うるうび)である。 4年に一度しかこない日、っておもうとやや特別感がある。 が、 わたしはいつものように寝坊をし、 いつものようにあわてふためき、 そして忘れものをした。 閏日であろうとなかろうと、それがわたしのデフォルトなのである。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 200頁 2句組 著者の鈴木すぐる(すずき・すぐる)さんの第2句集『名草の芽』につぐ第3句集である。 鈴木すぐるさんは、1937年栃木県生まれ、埼玉県所沢市在住。1955年「欅」(池内たけし主宰)にて俳句を始める。「花鳥来」(深見けん二主宰)、「天為」(有馬郎人主宰)、「都庁俳句」を経て、現在は「雨蛙」主宰、「初桜」同人。俳人協会評議員。「文芸所沢」選者。 本句集は2009年から2014年までの作品を収録したものである。 「振り返ると、この時期は俳誌「天為」「花鳥来」「都庁俳句」の会員として句会や吟行、超結社の「一会俳句会」や「花鳥来」の小句会「望の会」の吟行俳句会に参加していた。「花鳥来」が終刊になった後も「望の会」は続き、会の由来の十五夜・十三夜の月見は欠かさず、現在も続いている。そうした中での句集であるので、ほぼ九割は吟行句である。」と「あとがき」にあるように吟行句が中心である。 ただ、2013年の暮に鈴木すぐるさんは、肺がんに罹り「生死の境を彷徨い、もうこれまでかと思うこともあったが、」と「あとがき」で書かれているように、その時の苦しい体験もしっかりと一句にされている。その俳人としての心のすえ方に鈴木すぐるさんという一俳人の対象へのゆるぎない目をおもった。 本句集の担当は、文己さん。 文己さんの好きな句は、 たかむらのそよぎに解け春の雲 静けさに立つ睡蓮の花明り 着水の光を引いて鴨来る 影引いて山茶花のよく散る日かな たましひの動きはじめし蝌蚪の紐 一段と雨に馴染みて蛍草 新涼や床に映りし巫女の舞 影引いて山茶花のよく散る日かな 作者も自選にあげている句である。「影引いて」に作者の発見がある。単に山茶花の前に立ってじいと山茶花に見入っての句であると思うが、わたしはこの一句に、作者がどれだけの時をかけながら山茶花に見入っていたかを思う。さっと来てさっとスケッチをした句ではなく、たっぷりと時間をかけて掴みだした一句だとおもった。「よく散る日かな」という感慨にも山茶花の前に立ち続けた時間が籠められている。 たましひの動きはじめし蝌蚪の紐 わたしもおもしろい一句とおもった。自選に句もあり、「蝌蚪の紐」をこんな風に詠むのも新鮮だ。きっと作者はやはり蝌蚪の紐の前にじいっと佇んでいたんだと思う、時間をかけて。「蝌蚪の紐」というやや気味の悪いグロテスクなもの、しかし、俳人にとっては格好の俳句材料だ。深閑とした沼もしくは池のはじっこに鈍い光をはなってその紐はある。その紐にはたくさんの命が黒々と詰め込まれているのだ。ここにおいても作者はきっと粘り強く季題の前に立っている。するとやおら紐のなかの黒いものがうごきはじめた。命が動きはじめたのだ。その命を作者は「たましひ」ととらえた。それがこの句を凡庸なものでないものとした。「蝌蚪の紐」を見続けた作者にとって、動き始めた「いのち」はさらに形而上的にレベルアップされて「たましひ」という格上のものとなったのだ。 泳ぐ子に飛び込み台の大き石 これはわたしの好きな句。上五中七までの措辞ではプールで泳ぐ子ども姿がみえてくる。しかし、下五の「大き石」によって、風景は一変する。そこがおもしろい。川で遊ぶこどもたちがみえ、大きい濡れた石がみえ、そこから盛んに飛び込む子どもたち。「大き石」によって読み手の視座はさあーっと後ろに引かれて鳥瞰図的になる。たった下五の語彙によって読者のアングルはおおきくひろがる。川などという説明もなくこの「大き石」という下5のみで動かざる石の存在感、子ども躍動感、そして川のきらめきが見えてくるのだ。多くをかたらずして巧みな一句とおもった。〈一枚を植ゑをはりたる田の濁り〉という句もあって、この句も下五によって景が現実となる一句だ。 雲白し空が青しとラムネ吞む 好きな句である、気持ちのよい一句。「ラムネ」を飲みあっている。ラムネを飲むときって、サイダーとはちがい、おおかた外で売られているものを飲むことがおおい。夏雲のした、汗を拭きながら飲んでいる風景がみえてくる。この句の上手さは、そんなラムネをのむときのしゃべりをそのまま句のなかに巧みに取り込んで無理がないことだとおもう。「ラムネ」という季語によって、雲も空もまごうことなく夏空のものであることもみえてくる。 麻酔薬おぼろへ沈む手術台 2013年に肺がんになられ手術をされたときの現場の句である。癌を告知されたときの句、入院の句、術後の句などを果敢(?)に詠まれているうちの一句である。作者も自選にあげている。手術台でまさに麻酔をうたれんとしているときの一句だ。「おぼろへ沈む」がなんとも巧みである。季語の「朧」を読みながら意識が朦朧としてくるような不安感とも非現実感ともそんな作者の心情もみえてくる一句だ。〈花冷えや術後の傷の多感なる〉という句もあって、「多感なる」におもわずたちどまる。傷が多感とは、、、でも、そう、よくわかる。 校正スタッフのみおさんは、「〈裏窓にけらの来てゐる湯宿かな〉が好きです。あまり観光客の多くない静かなお宿なのでしょうね。」と。 おなじく幸香さんは、「〈蛍草またほつほつと雨降り来〉に特に惹かれました。」 (略)仲間と何度も吟行の旅をし、有馬朗人・深見けん二師の許で俳句を続けられたことは、二人の師を失った今はなお更、この上のない幸せな時期であったと思える。その幸せの時期の二〇一三年暮れ、私が肺がんを患い、一九九三年四月より二十年間続いた「一会俳句会」は終了となった。生死の境を彷徨い、もうこれまでかと思うこともあったが、その都度、多くの方の助力と幸運を得て不十分な体力ながら何とか今に至っている。 二〇一二年に結社誌「雨蛙」を仲間と共に立ち上げ、会員の方々のご協力で十二年目を迎えた。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 タイトルは艶消しの金箔押し。 装画には「蛙」がいる。 「雨蛙」である。 シンプルですっきりした一冊となった。 あけぼのや声を揃へて雨蛙 句集名となった一句である。 本句集上梓後のお気持ちをうかがってみた。 この度は私の句集「雨蛙」の刊行にお骨折り頂き、誠に有難うございました。担当をして頂いた横尾様には丁寧なご指示を頂き、ありがとうございました。お陰様で第三句集が出来上がり、安堵すると共に感慨も一入です。改めて思い返すと第二句集上梓から十三年も経っていましたが、出来上がった句集の一句一句にその時々の情景、お世話になった方や句仲間のお顔が浮かんできます。 思い返せばこの十三年は、肺がん術後の激しい腰痛、突然の高熱などにより、何度も「これまでか」と思ったことがありました。そんな経験から自分で俳句を楽しむばかりでなく、一人でも多くの方に俳句の楽しさを伝えていかなければと、これまで以上に考えるようになりました。同時に楽しい句会、楽しい吟行会が何よりの生き甲斐となっておりますので、体の続く限り、一人一人の仲間を大事にしながら俳句を楽しみ、その喜びを伝えて行きたいと思っております。 最後になりますが、貴社の益々のご発展を祈念申し上げ、御礼の御挨拶と致します。 令和六年二月十二日 鈴木すぐる お人柄がうかがえるような丁寧なお言葉をいただいた。 鈴木すぐる氏。 2022年11月にご来社されたときに。 ご闘病はたいへんであられたと思います。 この一冊には、鈴木すぐる氏の俳人魂がこめられていると思います。 さらなるご健勝、ご健吟をお祈りもうしあげております。 垂れこめる雲押し上げて雨蛙 鈴木すぐる
by fragie777
| 2024-02-29 19:45
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