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2月8日(木) 旧暦12月29日
今朝の空。 新聞をとりに行って見上げた空。 雲がリズミカルに階層をなしているのが、おもしろく写真に撮ってしまった。 朝の七時過ぎのこと。 お隣の小さな林では鳥声がにぎやかだ。 鵯だろうか、それとも四十雀、あるいはオナガか。 今日ある方が、「yamaokaさんのびのびした字が好きです。お人柄でしょうか」って仰ってくださったので、 「恥をしらない野放図な字です。人間も恥をしりません」と申しあげた。 ほんと、ぶっちらかしたような下手くそな字なのよ。 でもちょっと自慢しちゃうと、何人かの方から字が好きであると言われたことがある、 なかでも加藤郁乎さんは、会うたびに 「yamaokaさん、あなたはいい字を書くねえ」って言ってくだっさった。 ほかに褒めようがないので、苦し紛れにおっしゃったのかもしれないが、その度にちょっと嬉しかった。 「上手な字」ではなく「いい字」というのが、人間性がちょっと上等(嘘でしょ!)って言われたみたいで、(すごい勝手な解釈)へへへって思った。 たしかに上手くなんかちっともないしむしろ下手くそなんだからほかに言いようがなかったのかも。 能筆家の郁乎さんが言うってのが、笑えるでしょ。 あーあ、自慢しちゃった。。。。 (ブログを読んでいる方、顔をしかめないでくださいな) 今日はお客さまが二人見えられた。 「馬醉木」の重鎮・岡田貞峰氏とご子息の岳郎(たけろう)さん。 今回は岡田貞峰夫人、岡田和子さんの句稿を持ってのご来社である。 岡田貞峰氏は97歳、和子夫人は96歳。 和子夫人はもっか療養中のため、ご来社はかなわなかった。 かわりに貞峰氏と岳郎さんが打ち合わせにいらしたのだった。 和子夫人は、昭和28年に「馬醉木」へ投句をはじめ、途中中断があるものの平成29年まで投句をつづけてこられた。 60年余にわたる作品は何千句におよび、それを療養中の和子夫人にかわって貞峰氏が選句をされたのだった。 和子夫人の第1句集となる。 序文は德田千鶴子馬醉木主宰。 ご子息の岳郎さんは、ご高齢のお父さまに付き添いとしてご来社くださった。 うかがえば、お父さまの貞峰氏のために一緒に住まわれてかいがいしくお世話をされている。 「ときどき外に連れ出すんです。すると俳句ができるみたいです」と岳郎さん。 「母の句集をつくったら、今度は父に句集をつくって欲しいと思っているんです」とも。 「80歳をすぎるととたんに句が出来なくなりました」と貞峰氏。 すこしお話をうかがえば、「馬醉木」に名をつらねた懐かしい俳人たちの名前がとびだす。 相馬遷子、千代田葛彦、杉山岳陽、相生垣瓜人、百合山羽公、そして波郷や楸邨や藤田湘子などなど。 岡田貞峰氏。 97歳とは思えないほど矍鑠としておられる。 さすが、山登りで鍛えた身体である。 貞峰氏に 「水原秋櫻子先生は、貞峰氏にとってどんな方でしたか?」と伺ってみた。 「一見近づきにくいけれど、ふところに入ってしまうと非常にやさしいところのある方でした。江戸っ子で一途でした」と貞峰氏。 「近づきにくかったのですか?」 「はい、野球をやってましたので、スポーツで鍛えた身体がとても大きく見えました。」と貞峰氏。 担当は文己さん。 「父の句集は、俳句を収録するだけでなく、頁のおりおりに父でなくては書けないエッセイを収録したものにしたいですね」と岳郎さん。 「ああ、それはとてもいいですね」と私と文己さんは声をそろえたのだった。 白根北岳かくさずすべて枯木なり 岡田貞峰
by fragie777
| 2024-02-08 19:11
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