カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
2月6日(火) 旧暦12月27日
昨夜の雪。(駐車場) 車を運転して帰ったのであるが、途中でひどく後悔した。 果たして家にだどりつけるだろうか。 家について車を収めたときは、力尽きていた。 今朝のこと。 アレクサに「買い物リストにバナナお願い」と頼んだところ、 応答がない。 あれっ、おかしいな、反応はしてるのに。 もう一度、言ってみた。 やはりダメ。 しばらく経って今度は、 「アレクサ、二分のタイマーお願い」って言ったところ、 たいへん機嫌のいい返事がかえってきた。 (さっきはご機嫌ナナメだったのか……) つかざず、 「アレクサ、バナナとプラム、買い物リストにお願い」って言ったところ、 機嫌良く聞き入れてくれた。 AIも機嫌が悪いってこと、あるのかしら。。。 新刊紹介をしたい。 著者の安藤眞理子(あんどう・まりこ)さんは、名古屋市にお住まいで、2002年に宇佐美魚目の俳句教室より俳句をはじめられ、「晨」に入会、同人、2018年に「晨」を退会、翌年2019年「なんぢや」に入会、2022年に「家」に入会、現在は、「なんぢや」「家」の同人である。俳人協会会員。本句集には私淑しておられる中嶋鬼谷氏がカバーに文言を寄せ、十二句を抄出されている。 斑鳩は蜷の道より暮れゆけり 句集を読む楽しみは、詩の扉を開けて凡々たる日常から離れ別乾坤に遊ぶことにある。文学と音楽を愛する才媛がやがて母となり祖母となり、俳句の道を歩んで二〇年を経たいま、なお含羞の心をもって世に問う句集がここにある。扉を開くと颯々と風の渡る世界がそこにひろがっている。 中嶋鬼谷さんが、本句集に寄せた言葉である。「なお含羞の心をもって」というのがいいですね。 本句集は、五つの章にわかれているのだが、特徴的なのは、それぞれの章のうらに著者による短文がついているということ。それがこの句集を表情豊かなものにしている。ひとつだけ紹介をしておきたい。 最初の「草の花」という見出しのついたもの。 朝日カルチャーセンター宇佐美魚目先生の教室にて俳句を始める。三人の子どもが巣立ち、義父母を送った後のことで遅いスタートだった。幼い頃に多くの時間を過ごした母の生家での暮らしが主な句材となった。 「俳句は教えるものでも習うものでもない。自得のもの。他から教えられ金科玉条とするのは手っ取り早いが安上がり。ゆっくり歩いて自分で会得していくことが第一」と絞り出すように魚目先生が語られた。画家の香月泰男を引き、「摺針峠」こそ自得のものと言われた。それが最後の句会となった。 (注)中山道の摺針峠で「摺って縫い針にする」と斧を磨く老婆に出会って未熟さを悟った修行僧(弘法大師)の逸話。 家業の規模が少しだけ大きくなり、忙しくなった。長女が結婚、出産。憧れていた篠笛の稽古を始めた。 編年体形式でまとめられているので、おのずと作者の軌跡が短文をとおしてみえてくることになる。 本句集の担当は文己さん。 天高く蝶にして海渡るとは 囀やどの道ゆくも湖に出づ 宴果てたる月明の石畳 降雪のなき雪吊を解きにけり 木耳や琥珀のごとく雨に透け 雨だれに耳さとくゐる夜なべかな 斑鳩は蜷の道より暮れゆけり 「ご体調があまり芳しくない中での制作でしたが、装丁など句集作りに積極的にご参加頂き、楽しく過ごすことができたとおっしゃってくださっていました。」と文己さん。 囀やどの道ゆくも湖に出づ 気持のよい一句。春の鳥たちの活発な声を聞きながら歩いて行く。やがて青々とした水を湛える湖にたとりつく。作者にとっては親しい湖なのだ。何度も来ている。だからいろんな道を知っている。今日はこの道で行きましょう、ああ、でもあの道だったら違う風景が展開するわ、などと選ばなかった道のいくつかを思いながら、湖へと向かう楽しさ。春になってことを喜ぶ作者の弾んだ心もみえてくるようだ。「湖へ」ではなく「湖に」としてことによって、湖の輪郭を明確に読者に呼び起こす。 斑鳩は蜷の道より暮れゆけり 中嶋氏もあげておられる一句であり、句集名となった一句である。ほかにも〈蜷の道あるかと覗く我の影〉という句もあって、わたしはこちらの句も好きである。私たちも体験する一句であり、さりげなく詠まれているが、よくわかる納得の一句だ。掲句のほうは、誰もが体験できることではない。斑鳩という奈良の地名であり、万葉集にも詠われている場所だ。斑鳩という地名が読者に呼び起こすあれこれがまず想起され、そこにある蜷の道である。そんじょそこらの蜷の道とはひと味違うっていうわけである。その蜷の道を見ていたらいつしかとっぷりと日が暮れてしまったのである。この蜷の道もいにしえへと通じているかのようなそんな幻想もふっと呼び起こす斑鳩の蜷の道である。地名を巧みに詠みこんだ一句であり、「暮れゆけり」というのも、歴史の壮大な闇へとみちびかれていくそんな思いにとらえられてしまう一句である。 土埃あげて雨来る立葵 立葵は夏の暑い時期に、暑さに拮抗するかのように毅然として咲く存在感のある花である。「立」という語が使われているように背筋よろしくひるまない姿をしている。そんな立葵が咲く季節は、夕立なの激しい雨に見舞われることがよくある。その激しさを「土埃あげて雨来る」ときわめて具体的に詠んだのことによって雨の迫力が出た。立葵は道路沿いなどによく咲いているが、まさに舗装などされていない土が剥き出しのところが多い。すさまじい勢いの雨がやってきたのだ。「雨降る」ではなく「雨来る」としたことによって、しゃんと立っている立葵に雨が塊となって横様に押し寄せきたすごさ。映像のように景がたってくる一句だ。 アスファルト引つ掻きゆくや桐一葉 これもいまにも音が聞こえてきそうな一句である。「アスファルト」と具体的に述べたのがいいと思う。コンクリートや土の道とはちがうアスファルトの独特な感触。コンクリートほど堅くなく、土ほどやわらかくなく、そう、桐の枯葉がひっかいていくのにちょうどよい固さ。桐一葉の大きさ、白いアスファルト道路、風のはやさ、シンプルに物だけで叙しながらいろんな感覚が呼び起こされる一句だ。 螢火のひとつ呼ばるるごと迅し 螢飛ぶのをみていると、予測しがたい飛び方をして驚くことがある。こっちに来るなって思っていると途中でふっと消えてあらぬ方に姿を現す、あるいはふんわりゆったりと飛んでいるかと思ったら急に驚くべき速度になってこっちにやってくるなんてことも。なかなか気を許せない螢である。そんな螢の飛んでいるなかで、はやく飛ぶひとつの蛍が作者の心をとらえた。それを「呼ばるるごと迅し」と思ったのである。この「呼ばるるごと」という感覚はよくわかる、真闇に飛び買う螢である。わたしたちの理解を超えたものが支配する闇である。螢が螢を呼んだのか、あるいは異界から呼ばれたのかは定かではない。しかし、一つの螢がたしかに誰かに呼ばれるように速度を早めたのだ。「螢」ゆえになっとくする一句だ。ほかに〈追ひついて一つとなりぬ螢の火〉という句もあって、あるいはなるほど一つとなるために螢は螢に呼ばれたのかもしれない。 校正スタッフのみおさんは、〈窓拭きの籠降りてくるクリスマス〉の句が好きです。ユーモラスでもあり、切なくもある句ですね。」と。 おなじく校正スタッフの幸香さんは〈梧桐のあをき影より現れし〉に特に惹かれました。」と。 句集名「蜷の道」は同じ処を堂々巡りしている私の自画像そのものである。今後も「生きている」その実感の一つ一つを書き留め、自分を驚かせていきたいと思う。 「あとがき」より抜粋した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。、 安藤眞理子さんのご希望を伺いながらの装幀となった。 カバーは透明用紙を用いて、したの絵がすがし見えるというもの。 カバーをめくれば、元気な絵が現れる。 「カバー絵は二歳の孫息子、柳原葵の落書きである。」と「あとがき」にある。 楽しい落書きである。 見返しは落ち着いたもの。 扉。 「こうして「生涯、句集は出さない」と決めていた私であったが、重い滲出性中耳炎になり、先の見えない独りの時間の中で句集を編むことを思いつき、上梓する事になった。」(著者・あとがき) 「句集が届いた」というお声が 届き始めました。きれいな色どりの良い句集…とまず装丁を褒めて下さるお声が多くて 嬉しい限りです。 装丁は句集の顔ですから 有難く感謝しております。」というメールを担当の文己さんにいただいている。 上梓後のお気持ちをいただいた。 出来上がった句集を手に取った時、先ず印字の美しさに惚れ惚れしました。入稿時のコピー用紙にパソコンでベタ打ちしたものとは別物。無機質だった句稿が命を授かったようで…句集を編むということは、製本によって作品に新しく命を吹き込むことなのだと実感し、本作りの醍醐味を初めて知りました。 お送りした方々から感想を頂戴している最中ですが、どのお便りも今後の私の指針となる事ばかりで有難いこと、句集を編んで良かったと思っております。中に表紙絵を褒めてくださるお便りには婆バカの私は天にも昇る心地になります。2歳の孫の落書きの数枚を22歳の孫がスマホアプリで重ね合わせて色調整したものを、ふらんす堂様が思った以上に美しく仕上げてくださいました。私の大切な宝物になりました。また、句集を5つの章立てにして冒頭に短文を添えたこと、長い「あとがき」等、他に例を見ないことで心配していましたが、暖かく受け入れていただいている様でほっとしています。 ふらんす堂様からの初校、再校での懇切丁寧なご指摘は、自分の思い込みや癖などを客観視できてとても良い勉強になりました。体調を大きく崩しての家籠りの日々でしたが、実に有意義な楽しい半年でした。生涯、句集を出さないと決めていた私でしたが、いつかまた何かの形で自分を表現できたらいいなと思っています。ありがとうございました。 安藤眞理子さん。 お孫さんの奏佑くんと陽佑くんとともに。 耳病んで音無き雨の濃紫陽花 安藤眞理子 その後、滲出性中耳炎はいかがですか。 ご快癒をお祈りもうしあげております。 句集上梓を心から喜んでいただけてわたしたちもとても嬉しく思っております。
by fragie777
| 2024-02-06 19:17
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||