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2月2日(金) 旧暦12月23日
ヴェトナム・ハノイの街の風景。 食用なのだろうか、鶏がひしめいて網のなかにいる。 運ばれて行った。 俳誌「圓座」(武藤紀子主宰)2月号は、関悦史さんによる「平成の名句集を読む」で竹中宏句集『アナモルフォーズ』の書評を掲載している。 丁寧によまれた力ある評である。 全部をここで紹介したいところだが、抜粋にとどめる。 タイトルは「歪曲による世界」 関さんは、竹中宏第1句集『饕餮(とうてつ)』についても紹介しながら、「饕餮」という文様が意味すること、「アナモルフォーズ」が意味することに言及しながら、それぞれの集名をもった二冊の句集に共通するものについて触れ、「アナモルフォーズ論」を展開していく。 (略)つまり、第一、第二句集とも、二つのものが険しくせめぎあい、密着し、歪めあう局面に興が集中しているのである。 これは、俳句用語としての取り合わせや二物衝撃とは異なる。二つの要素の選び方、並べ方の意外性が問題なのではなく、異なる視点、異なる認識体系のせめぎあいが密着しあうことによる、世界の再混沌化がさしあたりの目標とされているのである。あとがきを見れば、遠近法的な透視図法ですっきり組み立てられた世界の解体と再構造化までが竹中宏その人に目標として明晰に意識されていることがわかる。 通常の認識や知覚を超えた世界を探るといえば、哲学の認識論や、宗教が実存とからみあった世界把握に行きつきそうなもので、実際に師である中村草田男にはそうした趣があったが、竹中宏が草田男から継いだのは、そうした句材としての精神性よりも、むしろ腸詰俳句と評された佶屈した文体であった。その可能性を押し広げ、句に混沌を呼び込む。そこに現れるのは安らかにこの世と分離された天上的な別世界ではなく、この世の雑然たるものたちが入り組みあっては秩序を乱し、変えてゆく、生成する地獄ともいうべきものである。それは何も〈夏へむかふ淺瀬くるしく鮒こえゆき〉〈ずつてくる甍の地獄蜀葵(たちあふひ)〉のような、見るからに苦しげなものどもを描いた句に限らない。 俳句は認識の詩であるとの考えをときに耳にすることがあるが、その極北の相が竹中宏の句業といえる。平板な合理性で出来上がった世界を地獄に変えるものは、竹中宏において情念やルサンチマンではない。それでは自己中心的な平板な遠近法が成り立つだけのことだ。そうではなく、竹中宏の句は事物それぞれが帯びる歪曲、変形への蓋然性を十二分に引き出すことで句を克明に、冷徹に、祝祭化する。冷徹な祝祭化とはほとんど形容矛盾だが、竹中宏の句の諧謔はここに宿る。基底材として俳句という器が選ばれたのは、詩型の短さが圧縮=起爆に向いているからではないか。 (略) われら踊りまわたのごときをダムは吐く ダムが噴き出す水塊を真綿と見るところまでは、大概の読者が意想外の優れた比喩として受け入れることが出来るだろう。水と真綿の質感の違いと、そこから幻視されるあまりにも膨大な真綿が、心地よいとはもはやいえないほどの眩暈をもたらす。しかし、この句はそこで終りではない。「われら踊り」という上五がそこにのしかかるのである。踊りによって水塊は真綿に変容する。「われら」もその時、既知の人間像から大きくはみ出す破壊力を得、次の句のように爆発する。 地球抱けばかすみの奥の癇癪玉 昨日のこと、お手紙とお菓子を頂戴した。 そのお手紙は、yamaokaと文己さん宛になっていて、ちょっと記憶にない方だった。 封をあければ、喪のお知らせとお手紙が入っていた。 そこで始めて知ったのであるが、2021年にふらんす堂より句集『ミシマをめぐる断想』を上梓された伊藤五六歩さんが昨年の十二月に亡くなられたということだった。 奥さまからのお手紙だった。 享年七十四。 句稿をいただいた時はすでにパーキンソン病で闘病をされていた方だった。 お手紙には、 もう三年前になりますか、句集をつくる、ふらんす堂さんへ、かきためた句を送ったと。 まさか、整理もせずに丸投げしたとは? それからの横尾さまのご苦労(ストレス)は、ひとりよがりの伊藤ゆえ、想像するだけでハラハラしておりました。 それでもすばらしい装幀の句集が届いたとき、思わずかっさいを叫んだほど。 ふらんす堂の各スタッフの方々の熱意に圧倒され、うれしかったです。 すぐにお礼の手紙をと思いつつも、日が経ってしまい、失礼をいたしました。 ここ2年ほど、パソコンやケイタイの操作がままならず、俳句からも遠ざかっておりました。 (略) 11月に大腿骨を骨折、手術はうまくいきましたが、元々体力が落ちてきていることろへ肺炎になり、亡くなりました。 ふらんす堂のみなさまのお力添えで、一冊の句集を編むことができ、有り難く、心より感謝申しあげます。 とあり、まずは驚いたのだった。 そして、おつくりした句集について奥さまがこのように思っていてこうしてお手紙をくださったということが有り難く励まされ、わたしたちは句集制作のときのことなどふたたび思いだしたりしたのだった。 また、伊藤五六歩さんが亡くなられたということは衝撃であったが、こうして御連絡をいただけたことも有り難かった。 奥さまのお気持ちをしみじみといただく。 あらためて、 伊藤五六歩さまのご冥福を心よりお祈りもうしあげます。 文庫本サイズのフランス装の瀟洒な本である。 出来上がったとき、私たちも美しい出来栄えに喜んだのだった。 冬すみれむかしむかしの「む」で眠る 伊藤五六歩
by fragie777
| 2024-02-02 18:46
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