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1月31日(水) 旧暦12月21日
郵便局へいく途中に見上げた桜の木・ まぶしい。 生気みなぎるものがある。 「わたしも元気になったわ」とつぶやく。 新刊紹介をしたい。 四六判変型(文庫サイズ)フランス装グラシン巻帯なし 162頁 3首組 涌井ひろみ(わくい・ひろみ)さんの第1歌集『碧のしづく』 第2歌集『母の庭』に次ぐ第3歌集となるものである。涌井ひろみさんは、1956年東京生まれ、音楽の先生として長く教職におられたが、2021年に退職をされ、その嘱託で1年間勤務されたが、いまは新しい世界へとその翼をひろげられている。 「二〇二一年定年退職後嘱託として一年勤務したが、その後もコロナは完全に収束することはなかった。時間ができたらと夢想していた植物関係のボランティアは、タイミング良くマンション内で中庭を世話するクラブがたちあがったので参加。夫の入院時からいつかはと熱望していた病院でのボランティアは当時一斉に休止となり途方にくれたが、幸い近所にできた高齢者施設でお手伝いができることになった。 何もかも初めての経験で戸惑ったが四十五人程の入居者さんは在職中のクラスの生徒数とほぼ同じで親しみやすかった。少しずつ仕事にも慣れ︑今年からは制限も緩和され、皆さんが集まって歌う時、懐かしい曲の伴奏をするようにもなった。思いがけない展開である。」 「あとがき」に書かれているように「植物関係のボランティア」を楽しくされておられる。もとより歌集を拝見すれば、植物を詠った短歌が圧倒的におおい。さまざまな草花樹木に囲まれて瑞々しく感応する著者がいる。 木犀の香りほのかにつけたしと白きブラウス天高く干す 本歌集の担当は、Pさん。 棟上げは木の香り満ち天辺の三色の絹風の馬なり 国立のしづかなカフェに泉あり手話始まればいづみあふれて 馬場裏の小さき森は芽吹き時みどり薄桃金茶紅 軽井沢発地の奥にひつそりと馬を貸し出す男たち居り 春光を守るものありうぐひすに鶫椋鳥ぬくもり灯す 季節には記憶のかをり事象には言葉の宿るいとしき此の世 軽井沢発地の奥にひつそりと馬を貸し出す男たち居り このようなところがあるとは知らなかった。今回本歌集の略歴の添えられた著者の写真は馬とともに写っているもの。涌井ひろみさんは、この地に馬に会うためにやってきたのか。この一首のまえに〈あをあをと佐久の風ふきそれぞれの未来見て居る馬が佇む〉という短歌もあって、わたしはこの一首も好き。馬の目のなかに未来を見るというのが、その目をとおして涌井さんご自身の心象の反映でもあるかのよう。「あをあをと佐久の風ふき」の措辞も気持がいい。〈馬場裏の小さき森は芽吹き時みどり薄桃金茶紅〉の一首もある。 春光を守るものありうぐひすに鶫椋鳥ぬくもり灯す 本歌集には豊かな自然がびっしりと詰まっていて、どの頁からも季節の香りが立ち上がってくる。植物のみならず、鳥たちもいきいきと詠まれている。春の光のなかで冬を越した鳥たちはさらに活発になる。この一首の面白さは、鳥たちが春の光を守るものとして詠まれていること、さらにはその小さな存在のぬくもりにふれ、それらが「灯す」というのがおもしろい。この「灯す」によって俄然鳥たちの存在感が重くなる。〈四十雀小さきからだほろほろと人の心の裂け目にはひる〉という一首もあって鳥もまたつねに身近にある生き物だ。校正のみおさんはこの「四十雀」の短歌について「小鳥に心を掴まれるときはまさにこんな感じ…と思いました」と。 練馬区の西日なかなか容赦なく遣る気意気覇気行方不明に おもしろい一首である。「練馬区」は作者が暮らす土地。こう詠まれると東京においても練馬区の西日は容赦なにものとして記憶されてしまいそう。固有名詞をうまく取り込んで、後半七七がユニークだ。「遣る気意気覇気行方不明に」とあり笑ってしまう。「行方不明に」が、冒頭にもってきた地名との関わりを想起させ、巧みな一首。 枯れてゆく紫陽花妙になまめきてこのまま旅につれてゆきたし この一首もちょっとへん(?)な歌で心惹かれた。紫陽花という花は、あまりなまめかしい花ではないが、ここでは「枯れてゆく紫陽花」が詠われている。紫陽花の花は、ほかの花とちがって枯れてもその花の原型をとどめながら枯れてゆく。この一首、紫陽花は枯れ始めてきた。みなぎっていた生気が失われ凋落のきざしがおとずれた紫陽花、生から死へと移行しつつある紫陽花は陰翳をふかめて人をさそうような風情があるのか。そんな紫陽花をまえにして心を奪われたのである。作者はこれから旅立とうとしている。しかし、紫陽花に心がのこる。そのような気持を一首にしたのだと思う。涌井ひろみさんにとって草木もまた等身大のものとしてある、ということがわかる短歌でもある。〈玉苗が胸に何度も満ちてくる「我も草族」あをめる體〉という一首も好き。 花見れば饒舌になるわがならひ見知らぬ街の女と語る この「花」は桜か。桜でなくてもいいかもしれない、つまりは「花好き」の涌井さんにとっての「花」なのかもしれないが。桜の季節としよう。桜の満開に咲く街にやってきた。知らない街である。しかし、気持は高揚している、なにしろ桜が咲き満ちている。ということで、見知らぬ街に住む女性に思わず語りかけてしまう。というと、大人しい向きとなるが、ここではかなり興奮をしてしゃべっている作者がみえてくる。「わがならひ」がユーモラスだ。ご自身の習性をとくと存じておられるのだ。実際は上品な会話をかわしたのだと思うが、やや自身を滑稽化して、果敢におしゃべりをしてたいへん快活だ。 第三歌集の一部は新聞や短歌雑誌などで選に入ったものを中心にまとめ、二部には日々のめぐりをおき、三部は連作を課した。連作の「砂時計」は第六十六回「短歌研究新人賞」の佳作となり新しい環境で出会った先輩方への思いを少し表現できただろうか。 題字は、歌のまとめの段階から助言をお願いした二瓶先生の心尽くしの作品。表紙は「本沢山のイメージね」という私の希望を見事に叶えてくれた葉子さんの装画。それぞれが色々抱えながら三冊の歌集を共に編むことができて本当に有難く、感謝しています。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本歌集をいれて期間2歌集は、題簽は仁瓶里美さん、装画は石原葉子さんの手によるもの。 小さな本であることがわかるようにマッチ箱をおいてみた。 装幀は和兎さん。 グラシンがかかているのでやや絵がぼやけてしまっているのが残念。 机の上には、既刊の歌集が二冊おかれている。 見返し。 扉。 ポストカードも一緒につくられた。 待ち合はせいつもジュンク堂(じゅんく)の一階で布の袋に新刊つめて 暮れ残る鷗外邸のナツツバキ「あまさず生きる」笑む友の声 あふむきて薄暮たのしむ友は司書プラネタリウムの語り始まる 著者の涌井ひろみさんにご上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? ああ間に合ってよかった。 具体的に何にということでなく、自分が健康でお世話になった方たちに本を届けることができ、またその方たちからの声がきけることがありがたいと思っています。 (2)3つめの歌集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい コロナその他諸々の事情でなかなか世界を広げられない中、久しぶりに旅にでた喜びは格別だった。 そして長い間その存在が支えであった大江氏が逝去され、感謝を追悼として詠みたい。 振り返れば揺れる時であった、退職前後の気持ちを整理して歌にしたい。 このあたりが原動力だったかもしれません。 (3)3冊の歌集を上梓された思いをお聞かせいただければ嬉しいです。 第1集は夫へ、第2集は母へと繋げてきた歌集です。 今回何も伝えたわけではないのに、出来上がってきた装画の机上にはその2冊がのっていました。 そして光に反射するような題字が在り、友に守られていることを感じました。 歌い続けようと改めて思っています。 涌井ひろみさん。 「雪丸と」。 本歌集には、「悼・大江健三郎氏」と題した短歌が11首収録されている。 そのうちのいくつかを紹介したい。 春過ぎてむらさきいろの夕暮れに大江氏不在のふかき洞在り 耳の人大江氏古希の映像にあをじろき指原稿めくる 本棚の下段支へる『定義集』森にかへりし老小説家 既刊歌集二冊と。 涌井ひろみさま 三冊のご本をこうして並べてみました。 長いあたたかなご縁をいただいてまいりましたこと、 改めてうれしく思っております。 一冊一冊からそのときの涌井さまのお気持ちが甦ってくるようです。 ふたたびのご縁をおもいつつ。 ご健勝をお祈りもうしあげております。
by fragie777
| 2024-01-31 20:49
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Comments(2)
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romitak at 2024-02-02 21:53
本日(2月2日)、猫の日に「ふらんす堂通信」179号が届きました。有り難うございます。
読者の方々からの感想欄で拙文に触れて下さつた方がたくさんいらして感激しました。これもお読み下さつた方々と私の縁を結んで下さつた山岡さんのお蔭です。 弓削先生の授業で使つたクラシック・ラルース、たしかにそれでハイライトを読んだことは覚えてゐますが、自分の部屋で、個人的に読んだものとばかり思つてをりました。まさかあれがテキストとは。 いまだ思ひだせませんし、理由も依然としてわかりません。うーん、謎です。
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fragie777 at 2024-02-02 22:21
高遠さま
本当に謎ですね。 わたしは教室の景色まで覚えています。 高遠さんたちはいつも前の方にいらして、 わたしはその背中を見ておりました。 弓削先生は、ちょっと飄々としておられて。 書棚からテキストが出てきたのは驚きましたが、仏文の授業でつかったテキストはほとんどいまも持っていることがわかりました。ラ・フォンテーヌやあるいはジード論など。よき時代だったのかもしれません。 (yamaoka)
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