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1月30日(火) 雞始乳(にわとりはじめてとやにつく) 旧暦12月20日
一月の空。 一月もあとすこし。 「ふらんす堂通信179号」ができあがってくる。 年のはじめの号は、図書目録も兼ねているので大冊である。 今回の特集である髙柳誠詩集『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』の評は詩人の松尾真由美さんに、令和俳句叢書の梶原美邦句集『旹の跡』 の評は俳人の栗林浩さんが執筆。 「こわい俳句」は四ッ谷龍さん。四ッ谷さんは「俳句を読んでいて(略)直接的恐怖を感じたことは、一回もない」と冒頭に書いておられる。その四ッ谷さんがあげた一句はいったい。。。 岸本尚毅さんの「虚子研究レポート」は、「『ホトトギス雑詠選集』を読む」より女性の俳人飯島みさ子の俳句を紹介している。 飯島みさ子なる俳人はいったいどんな人物かと興味をもてば、一冊の句集があって『擬宝珠』と命名されたその句集に長谷川零余子が跋文をよせている。その跋文の内容が紹介されているのだが、幼いときの病気のために歩行困難となり、しかも「大正十二年に腸チフスのため二十四歳で亡くなった」といなんとも薄幸の女性なのだ。こんかいその女性の俳句が岸本さんによって紹介されている。 池田澄子、大木あまり、小澤實による「競詠七句」の今回のお題は、「人」「年忘」「氷」。 千葉皓史さんの新連載「俳句遠近」の二回目は、仁平勝句集『デルボーの人』評。 千葉さんと仁平勝さんは、ほぼ同世代である。が、句作りの方法はまったく異なる。その千葉さんによる仁平勝の俳句の読みは。 タイトルは「懐かしい未来」。 人気の小野あらたさんの「毎日精進」は、新婚旅行で山形に行かれた話からはじまる。そして過去を回顧(?)しながら、不安にすぎた若き(?)日(いまだって充分若いけど)のことに思いをはせる。そしていまも仕事の日常はたいへんじゃないといえないけど、自身にエールを送りながら頑張ろうと俳句をおりまぜながら語っている。 等身大の小野あらたさんが見えてきて、いつもおもしろく拝読している。 そしてわれらが高遠弘美さんの「私のプルースト」では、いつもながら気持の良いほど「プルースト」への思いに溢れていて、なつかしい先生たちの名前もつぎつぎと出て来て、かつての机をともにした学生時代の時間がよみがえる。 しかも今度はこのyamaokaの名前もちょっと顔を出すのだ。 実は高遠さんとわたしは弓削三男教授の「プルーストを読む」のおなじ授業をとっていて、そのことをよく覚えている。 10数人未満の出席者の授業だったかもしれない、弓削先生は必ずといってよいほど、高遠さんを指名し訳させる。もちろん高遠さんは申し分なく予習をしていて、スラスラと訳してみせる。そんな繰り返しだったかもしれない。 だが、そのことを高遠さんに話したところ、全然覚えていない、というのだ。 ええつ、わたしは一瞬耳を疑った。 そしてわたしの言ったことが本当かどうか、その時にやはり一緒に授業をうけていた友人に確認したところ、わたしの言ったとおりだという。 それについても今回書かれていて、その記憶がないことを 「私のプルースト個人史における最大の謎」と記している。 わたしは可笑しくなってしまった。(高遠さん、ごめんなさい) こんなにプルースト、プルーストって「プルースト命」の高遠さんが、あの学部での授業を覚えていないなんて。、 この不肖の学生であるyamaokaでさえ、よく覚えているのに。。。。 じつは、この時に用いたプルーストのテキストがわたしの書棚から出て来たのだ。 おお、なんとなつかしいこと。 これが、それ。 さらに驚いたのは、頁をひらくと、このわたしが予習をしたとおもわれる鉛筆書きが行間を埋めている。 よくもこんな小さな字が書けたわっておもうくらいびっしりと。 残念ながらその頁は数頁であとはない。 そしてわたしのその後の記憶もない。 ただ、プルーストを原書でよむ時間を若き日に費やしたということは、まんざら無為な日々ばかりではなかったとなぜかちょっぴり嬉しい気持もしてくる。
by fragie777
| 2024-01-30 18:37
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