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1月29日(月) 旧暦12月19日
春を待つ鳥。 久しぶりに仕事場に行ったら、 バランスボールが変わっていた。 しかも、全員の。 今回はパートさんたちの分もある。 こちらばスタッフMさんの。 グレーがかったいい紺だ。 ゲッ、 わたしのこれだって。 結構派手なむらさき。 「縁がない色だなー」って言ったら 「高貴な色ですよ。クレオパトラの色ですよ」とスタッフ。 「yamaokaパトラが定まらない紫の玉座に乗って君臨するのですよ」とスタッフがからかう。 「いつ転倒するかわからない玉座に!」と言って スタッフたちは大笑い。 し、失敬な! 今日の午前中のこと、昨年に句集『耳梨』を上梓された桐山太志さんが、お連れ合いの椎名果歩さんとご来社くださった。 ご来社のことを知らずわたしは昼過ぎに出社したのでお会いできなかった。 すごく残念。 椎名果歩さんは、2022年にふらんす堂から句集『まなこ』を上梓され、田中裕明賞にもご応募くださった。 授賞式にも吟行会にもご参加いただいた。 そしてひきつづき夫君の桐山さんのご上梓である。 「是非、ふらんす堂にいらしてください」って申しあげていたので、いらしてくださったのにお話もできなかった。 たいへん残念である。 おふたりとも俳誌「鷹」(小川軽舟主宰)の同人。いまは奈良に住んでおられる。 「鷹」の新年会があって上京されそのついでに足をのばしてくだっさったのだ。 スタッフのpさんが対応。 写真を撮らせていただきたいとお願いしたところ、お断りされてしまったとのこと。 わたしは、本当にお会いしたかったのに。 ことしは「鷹」は創刊60周年を迎える。 そのときにもご上京されるとのこと。 その時は絶対にいらしてくださいませね。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、高橋修宏著『鈴木六林男の百句』より。 深山に蕨とりつつ亡びるか 鈴木六林男 「敗戦後、厳しい食糧難が国中を襲った。」と長谷川さん。この句は、その「敗戦後の食糧難を何とか補うため、いわば日々の生活のために『蕨』を摘んでいるののだ」は高橋修宏さんの鑑賞。 今日は午後にもお客さまがいらっしゃった。 はじめての句集をおつくりになる予定の鈴木光子さん。 ご一緒に来社されたのは、佐怒賀正美「秋」主宰と鈴木さんのご息女の森下香織さん。 森下香織さんは、八十歳をこえるお母さまの付き添いとしてご一緒されたのだった。 鈴木光子さんは、1990年より俳句を「秋」ではじめられ、石原八束、文挟夫佐恵、佐怒賀正美に俳句を学んで来られた方だ。 とくに文挟夫佐恵からは多くの影響をうけたという。 「文挟先生は、どんな御指導をされましたか」と伺ったところ、 「多くを語ることはなさらない方でした。ひとりひとりの俳句について、なにかおっしゃるということもなく、、」と鈴木光子さん。 選をとおしてのみ学んで来られたという。 「30年の作品を選句されてみて、如何でした?」と伺ったところ、 「そうですね、自分がどういうことに目をむけていたか、そんなことが見えてきました。写生をするのではなくて、日々の生活を日記を書くように俳句を詠んできたんだと思いました」と靜かにおっしゃる鈴木さん。 その傍らで、香織さんがお話を興味深そうに聞いておられる。 左より、佐怒賀正美主宰、鈴木光子さん、森下香織さん。 句集名は、『銀の炎』。 ひと恋へば銀の炎をあぐ霧氷林 の句による。 今日はいろんな本の見本を御覧になって、造本もお決めになられたのだった。 「先師・文挟さんは、100歳まで生きて、99歳まで俳句をつくられた方です。90歳になってから句集を二度もつくって、90歳代で蛇笏賞を受賞された俳人です。だから、鈴木さんも80歳で句集をつくったら、師にならってさらにつぎの句集刊行に挑戦してください」と佐怒賀正美主宰。 俳句をつくったことのないとう森下香織さんに、「俳句をつくると時間が濃くすぎていきますよ。」とも仰っていた。 ひさしぶりに仕事場で仕事をしたのだが、時間がとてもたっぷりあるようにおもえる。 今日もよくは働いたな。。。 そんな感じ。 家にいるとなんだろう、あっというまに一日が終わってしまうのだ。 ちょっとへんよね、 わたし、本当に家でパジャマで楽しく過ごしていたんだっておもった。 アイス食べながら。。。
by fragie777
| 2024-01-29 19:08
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