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1月16日(火) 雉始雊(きじはじめてなく) 旧暦12月4日
朝出かけようと玄関のドアーをあけたところ、けたたましい鳥の鳴き声がする。 見上げれば、電線に行儀良くならんんで。。 オナガである。 姿は美しいが、鳴き声はまことにうるさい。 おとなりの林に5,6羽いて活発に動きまわっていた。 思うにあと30分早く起きることができたら、わたしの暮らしはすこぶる豊かになるって分かっている。 でも、どうしてもその30分を早く起きることができない。 朝のたっぷりとした時間。 珈琲をいれて、新聞をゆっくり読む。 爪を切りそろえて、ハンドクリームをたっぷりと塗る。 口もとの小皺などに手をやって「あらら、皺がふえたこと」なんて鏡の前で言って、奮発したクリームを塗る。 そういう時間をどうしても手にいれることができないのである。 早く起きられる魔法を手にいれたい。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 174頁 2句組 著者の曽根薫風(そね・くんぷう)さんは、昭和22年(1947)岡山県真庭市生まれ、岡山市在住。昭和44年(1969)から昭和59年(1984)まで「馬醉木」所属。その後「橡」「沖」「燕巣」を経て、平成22年「馬醉木」再入会。平成26年(2013)第58回馬醉木新樹賞受賞。現在は「馬醉木当月」同人。俳人協会幹事。本句集は昭和44年(1969)から令和5年(2023)までの約55年間の作品を収録した第1句集であり、序文を「馬醉木」の德田千鶴子主宰が寄せている。 序文を抜粋して紹介したい。タイトルは「真っ直ぐな心念の人」。 曽根薫風氏は真摯な努力家です。 長らく教育に携わられ、その五十五年間は、俳句歴と同じだそうです。 平成二十五年、大阪鶴の会で初めてお会いした折、氏から「私は秋櫻子先生にお会いしています」と聞き、驚きました。(略) 私の好きな句を挙げます。 久々に母と行く道桐咲けり 敦盛の笛見しあとの夕ざくら 顔見世の火照りを醒ます橋の上 川舟の棹の触れたるこぼれ萩 どちらも「馬醉木」本流の写生と抒情があります。 しかし私の特に印象に残る句は、牛の句。 牛の尻平手で叩き卒業す 桜ごち搾乳に律生まれけり 対象の牛への深い観察と愛情が見えます。氏の熱意が岡山に再び「馬醉木」の魂を築いて下さった事に感謝すると共に、力強さをいただきました。 曽根薫風さんは、教職につかれて55年、俳歴も55年、ずっと俳句をつくられて来た方である。昨年末78歳の喜寿をむかえられたのを記念に第1句集『喜寿』を上梓されたのである。本句集は、全体を「昭和編」「平成編」「令和編」と分け、時代ごとに編集してあるのが長い歳月の句歴を感じさせて印象的である。 三つの時代を生きてこられた曽根薫風さんであるが、どの時代においても俳句にのぞむ姿勢は変わらずに実直であり生活に根差した抒情を大切にされているのがわかる。 本句集の担当は文己さん。 顔見世や豊かに列をなして待ち 顔見世の火照りを醒ます橋の上 朝しぐれ傘かりて増す旅ごころ 四十路過ぎ雑煮の味の定まれり みちのくの空の深さや朴の花 手をつなぐことの安らぎ蛍の夜 句集冒頭で新任教師だった曽根薫風さまが、喜寿を迎えるまでの長い時間が読み進めるにつれて伝わってきました。 奥付の発行日の12月22日は曽根さまの喜寿のお誕生日でした。 と文己さん。 顔見世の火照りを醒ます橋の上 この句は、德田千鶴子主宰も好きな句としてあげておられる。「〈顔見世〉の句は意外でした。氏が歌舞伎の大向うで声を掛ける人であったとは。」と記し、お芝居好きをご存じなかった様子である。〈顔見世や豊かに列をなして待ち〉という句も文己さんは好きな句にあげているが、この句も好きな芝居をみるためには、長い列にならぶこともいとわずそれを楽しむ心の余裕を感じさせる。この句、この「顔見世」は、京都南座のそれであって、この橋は、鴨川にかかる四条大橋のことだ。芝居の興奮さめやらぬままに橋に差し掛かったそのことを一句にしたのである。橋の上で冷たい風が芝居の感動の興奮を冷ましてくれる。あえて「「醒ます」と叙すことで、いかに気持が昂ぶっているかが伝わってくる。曽根さんのお芝居好きはところどころにあって〈南座を出で本物の雪にあふ〉という句もあって、わたしは好きである。著者も自選句にあげておられる。 朝しぐれ傘かりて増す旅ごころ これも文己さんの好きな句である。この句読んでいてわたしは通り過ぎてしまったのだけれど、あらためて読んでみると情感があっていい句だとおもった。朝、宿泊している旅館を発とうして時雨にあった。で、傘を借りることにしたのだ。そんなたわいもないことであるけれど、そこに積極的に旅をたのしもうとしている気持が「旅ごころ」という措辞に出ている。旅先の人とのちいなさやりとりに旅をたのしむ曽根薫風さんの心のゆとりが見出される。「旅ごころ」と体言止めにしたところに余情が出た。 秋櫻子先生とゆく藺田のみち 「昭和編」に収録されている一句である。德田主宰も序文でふれているが、「岡山馬醉木会に属していた氏は、昭和四十七年岡山を訪れた秋櫻子の案内と運転を任されました。」と記し「その折の秋櫻子の俳句は」〈藺田しげり梅雨の蜻蛉のあまた飛ぶ〉を「吉備津宮附近」と前書きとともに紹介している。この秋櫻子の句は、句集『餘生』収録のものだ。そして掲句は、「正(まさ)しく氏が藺田を眺める秋櫻子の後姿を見ていた折に詠んだ景です。」と書いておられる。こういう句にふれると曽根薫風さんの句歴の厚さを思う。秋櫻子を案内しそこで得た一句を令和のいまの52年後に上梓した句集に収録したことによってこの一句は場所を得たのである。作者にとっては忘れられない一句であると思う。 母匂ふ陶枕かたく冷たくも お母さまが亡くなったときの一句である。この時は悲しみを露わにたくさんの追慕の句を詠まれている。そのなかでわたしはこの句がとくに好きである。「陶枕」は磁器でできた陶器の枕であり、夏の枕。ネット上でみると美しいものが多い。クーラーなどが普及していなかった時代に、このひんやりとした堅い枕に頭をのせて寝るのは気持がよかったのではないだろうか。亡き母が使っていた陶枕。そこに顔をちかづけてみると母の匂いがした。そしてその匂いはやわらかなあたたかな作者のよく知っている母の匂いなのだ。「陶枕かたく冷たくも」の措辞によって、その匂いのやわらかさと温もりがいっそうに伝わってくる。「母匂ふ」とまず上五で詠んで、「陶枕かたく冷たくも」と中七下五おくことによって、ふたたび上五に思いがかえっていく。母恋の思いのふかさがさりげなくしかし巧みに詠まれた一句ではないだろうか。〈朝蛍見むと岸辺へ泣きにゆく〉〈炎天の出棺母の茶碗割る〉など。 点滴に音色の欲しき十三夜 入院をされている作者である。その頁の句をみると〈秋深し腸壁探る内視鏡〉〈寒昴告知希望に丸をする〉などあって、気持が不安となり落ち込むような入院なのだろう。掲句、点滴をされている状態を詠んだ一句である。点滴をうけているときってなんとも所在ないもんだと思う。その場にくくりつけられて自由もきかず落ちてくる滴をみつめるのみ。そんな時にふっと思ったのだ。この滴に音があったら楽しいだろうって。普通は思わないわね、そんな余裕のあること。そこが曽根さんの心のゆとりである。そんな気持になるのも秋の静かな夜であればこそだ。「十三夜」の季語は、「後の月」あるいは「名残の月」と同じであるが、「十三夜」とすることによって句に落ちつきと広がりをあたえ、しみじみとした余韻を生み出している。 校正スタッフの幸香さんの好きな句は〈少年の泳ぐを牛の待つてをり〉に特に惹かれたということ。長閑で田園的な風景だ。 初句集を自分史として編んだ。私の句歴は職歴と同じで、公立に三十八年、私学に十七年間お世話になったが、いよいよ来春完全に退職することになった。この五十五年の歩みを俳句で記してみたくなり、昭和編、平成編、令和編に区切り、昭和・平成は編年体で、令和は季節順に並べた。(略) 昭和四十四年、大学紛争の最中に卒業し、県北の高校に赴任。教科書で教えた秋櫻子俳句に憧れて「馬醉木」に投句した。「馬醉木」と「ホトトギス」は田舎の書店にも置いてあった。当時「馬醉木」は全没のある時代で、私は三ヶ月投句してやっと一句載ったのが〈雷去りて水面涼しき夕べかな〉である。一句掲載されただけで嬉しく欠かさず投句はしたが、句会には行かず独学であった。因みに昭和五十九年岡山馬醉木会が消滅するまでに、私が二句になったのは一度だけ。そんなものだと思っていたので、一句載るだけでも嬉しかった。(略) 人生は運と縁だとつくづく思う今日この頃、多くの人々に支えられ生きてきた。今後は特に、俳縁を大切にして、百二年へ踏み出した「馬醉木」に所属していることをありがたく思い、生ある限り馬醉木俳句の道を歩んでゆきたいと思う。 作者は、俳歴を中心として長い「あとがき」を書かれているが、ここではかなり抜粋して紹介した。 長い句歴をひたすら実直に歩んでこられた曽根薫風さんである。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 上品にそしてすっきりと嫌味ない一冊となった。 「喜寿」のタイトルは赤みがかった金箔。 色合いも落ち着いたもの。 カバーをめくった表紙。 五十五年詠み続けてきた御自身の証が、益々充実することを願っております。 (德田千鶴子/序) 本句集のご上梓後のお気持ちをうかがってみた。 丁寧な御返事をくださった曽根薫風さんである。 ●句集を編んで 俳句で自分史を作ろうと思うきっかけとなったのは、三年前「岡山県高齢者主張大会」の選考委員を引き受けた時だ。その会は今年もすでに行われ、特別賞を受賞された方は「百歳になって想う事」と題して壇上で堂々と発表なさった。事実は小説より奇なり、胸を打つ素晴らしい自分史であった。自分史として私は俳句で過去を振り返り、同時に五十五年間の教師生活を締め括る記念にしたいと思った。 秋櫻子に憧れ、五十五年間馬酔木山脈の中で俳句を紡いできた。かつては俳句は生活の一部であったが、今は生き甲斐そのものになった。芭蕉が生涯をかけた気持ちが、少しわかる気がする。 さて二十年も前のことだが、あるマンション住まいの畏友に「句集をもらったらどうするのか」と尋ねたら「狭いので読んだら捨てる」と言われた。その時は衝撃を受けたが、今ならわかる。読んでもらえたらよいのだ。ささやかな自分史としての句を読んでもらえたら幸せなのだ。何句かで共鳴、共感されることが喜びなのだ。そう思うと勇気が出て上梓した。 徳田千鶴子主宰がふらんす堂を推薦してくださったわけが分かった。担当の横尾さんをはじめ、校正スタッフ装丁者の品の良さ、レベルの高さを実感して、感動した。ありがとうございました。 『喜寿』発刊の日は冬至、私の誕生日に 曽根薫風 曽根薫風さん。 そして、今日はひとりお客さまがみえた。 飯塚よし枝さん。 句集上梓のご相談にみえられたのである。 実は飯塚よし枝さんは、2011年に第1句集『涙ひとつぶ』をふらんす堂より上梓されていて、こんどは第2句集となる。 まだ句稿は整っておらず、目下選句の段階。 担当に文己さんと造本やおおよその予定などを打ち合わせされたのだった。 第1句集のときは、所属して居られる俳誌「夏爐」の主宰古田紀一氏が序文を書き選句もされたが、今度の第2句集は、「自選でいきなさい」と主宰に言われて、目下その選に取り組んでおられるご様子である。 現在は結社「夏爐」を中心に、NHKの関悦史さんの講座で俳句を学び、西村麒麟さんたちとも句会をされているということ。 「いろいろと刺激をうけて勉強になります」と飯塚よし枝さん。 およそ10年ぶりにご来社されたのだが、全然おかわりにならず若々しい飯塚よし枝さんである。 お帰りになったあと、わたしたちはその若々しさに感動し、 「いったい、どんなお手入れをされているのかしら? 伺いたかった!」と、おおいに盛り上がったのだった。 こんどいらした時にうかがってみよう。。。
by fragie777
| 2024-01-16 20:16
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