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1月15日(月) 旧暦12月5日
キラキラと輝きながら枯れていく。 今朝のことである。 一つ文章の原稿をもらった。 待っていたものである。 眠気がふっとぶようないい文章だった。 なんなのだ、これは、 ってしばし思った。 そうそう誰もが書けるようなもんじゃない、 この文章を読んだ感触をどう言い表したらいいのだろうか。 バッハの無伴奏バイオリンのパルティータの、あの空気を引き裂くような弦の緊密な緊張感、その音の手応えと充溢した気配、魂をかき乱すようなある挑発、世界に屹立する音、でなく言葉か。。。 たまたま朝聴いていたのだが、それに通底するようななにか。。。 へんかな。。 まっ、いいや。 昨日おこなわれた俳誌「炎環」の新年会について、スタッフのPさんのレポートを紹介したい。 2024年1月14日にタワーホール船堀にて、炎環の新年会が開かれました。 お昼から句会や表彰式、筑紫磐井さんを迎えての記念座談会も行われ、懇親会では久々に集われた炎環の皆様が楽しいひとときを過ごされました。
4年後には創刊40周年を迎える「炎環」。 ますます伸びやかに闊達に発展していくことと思います。
以下、石寒太先生のご挨拶です。 皆さんおめでとうございます。 今年は大変な幕開けになりましたが、炎環としては良い年にしたいと思います。 炎環は地方なんかに行きますと、マイクで呼びかけががかかります。そうすると「宴会のみなさま、お集まりください」と言われてしまうんですね。 炎環は宴会ですから、懇親会はゲストの方も迎え、コロナ禍で来られなかった地方の会員の方もいます。今日は新潟・福岡、長野など各県から来て頂いて、久しぶりにお会いした方もいます。そういう旧交を温めてみなさんと和やかに楽しい時間を過ごしたいと思います。 ご挨拶する石寒太主宰。
石寒太主宰、そして「炎環」の皆さま 明けましておめでとうございます。 創刊40周年にむけて、充実した日々でありますように こころよりお祈り申し上げております。 午後にお客さまがおふたり。 佐怒賀正美「秋」主宰と、「秋」編集長の安達昌代さん。 安達昌代さんが第1句集を上梓されるにあたって、打ち合わせにみえられたのだった。 安達昌代さんは、お義母さまが石原八束主宰の「秋」で俳句をつくられていたことが機縁で石原八束主宰の下で俳句を学びはじめた。 しかし、石原八束主宰の指導のあまりの熱心さについていけず、しばし中断をしてしまった。 その頃のことを伺ってみると、 「八束先生の深い美意識や教養についていけず、どういう立ち位置で詠んだいいか、わからなくなってしまって」と安達さん。 が、やはり俳句をつづけたくふたたび「秋」(佐怒賀正美主宰)の下で俳句を学ぶことを決心されたのだった。 佐怒賀正美主宰の指導は、俳句の基本は大事にしながらも個個人ののびやかな表現をたいせつにされるということ。 その佐怒賀主宰の下で熱心に俳句をつくり、いまは「秋」の編集長をされるまでになられたのだ。 今回の句集の作品は2011年よりの12年間の作品を収録したものである。 佐怒賀正美主宰(左)と安達昌代さん。 佐怒賀正美主宰は、90歳をすぎたご両親の介護のためにときどき郷里の茨城県古河市に行かれるということ。 主宰の仕事や現代俳句協会のお仕事などご多忙である。 佐怒賀さんが師事された石原八束さんのお話は興味がつきなかった。 わたしもよく存じ上げて家にも伺ったことがある。 「30歳まで定職にもつかずフラフラとしていたんですね。パリで勉強のため貧乏暮らしをしていたときのこと、「秋」の皆さんが八束先生とパリに来られることをきいて、自分も泊まるところが欲しいと八束先生に言ったところ、先生はご自身のホテルの部屋を提供してくれたんです。そして、その部屋にいると、八束先生、やおらカバンより茶器の急須と萩焼の茶碗をとりだしてお茶をいれてくれました。その上、その萩焼の茶碗を私にくれたんです。」 「八束先生は、そんな風にやさしく見守ってくれ、器量の大きな方でした」と佐怒賀さん。 わたしは石原八束という俳人を思い浮かべながら懐かしくお話を伺ったのだった。 外国旅行に急須持参、しかも八束先生、陶枕の枕を持参されたということ。 なんともゆったりとした良き時代だったのかも。 「いまは、自分の句作りをいちばん大事なものとして考えております。少しでもいい句をつくりたい。そういう思いで日々に臨んでいます」と佐怒賀正美主宰。
by fragie777
| 2024-01-15 19:51
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