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1月5日(金) 初水天宮 旧暦11月24日
ハノイ市路上にて。 今日より仕事はじめ。 新年の最初であるので、スタッフ全員が顔をそろえる。 郷里に帰ったスタッフや、すっとこどっこいな旅をしたスタッフや、それぞれの冬休みであったが、総じてみな(わたしを含めて)体重が増えている様子。 まあ、いいお正月を過ごしたということにしておこう。 12月30日づけの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、本間清句集『泉の森』 より。 何もかも済みたる顔で晦日蕎麦 本間 清 晦日蕎麦か。。。今年は蕎麦ではなく、ヴェトナム料理のフォーを食した。 ヴェトナム料理は、野菜が豊富で食べ物は美味しい。 新刊紹介をしたい。 A6判(文庫本サイズ)フランス装帯ありビニール掛け 94頁 四句組 著者の福地湖游(ふくち・こゆう)さんは、1955年静岡市生まれ、現在や京都市在住。教職を退職されてより俳句を始められる。略歴に「母方祖父・真一が俳句を作っていた(俳号・湖月)ので、俳号は一字貰った。」とある。2013年新俳句人連盟に加入し、現在は幹事をされている。その京都支部の「いき句会」に所属。原爆忌全国大会に実行委員として参加されている。本句集は第1句集となる。 句集名は「私的歳時記」とあるのだが、通常の歳時記における季語にウエイトを置いたものというよりも、ご自身の思想や生き方の姿勢や現実への批評を季語を取り込みながら詠んだものではないかとわたしは思った。作品を春夏秋冬新年に分類し、そこにご自身の季節感覚で作品を並べていく。 「本句集は第一句集である。自撰句で私的歳時記を編んでみた。二〇一〇年~二〇二三年のうちの二七二句である。本歌取り・パロディ句も少なくないが、特に原句は示していない。ご推察を願いたい。また、忌日は日付順に拘らず載せてあるので、あしからず了(りょう)とされたい。」 と追記に書かれているように、読んで行くと本歌取り、パロディ句にかなり出会うことになり、それはそれで楽しめるのではないだろうか。 原爆忌京に投下予定地点 俳句は「今、ここで」とともに、過ぎ去った事象を一瞬の光芒として、捉え書くことが出来る。回想、回顧はノスタルジアにとどまらず、未来への一縷の光明である。 と帯にあるが、これは著者福地湖游さんの俳句に託す思いである。 思うに、福地湖游さんは、ここに記されている「未来への一縷の光明」を俳句に託しておられるのではないだろうか。 そういう意味でかなり批評性のつよい一句集となっていると思う。 本句集の担当は、文己さん。 鳥帰る幼き群に雲流れ 青蛙オランダ名を持つてをり 数式はみな美しく梅雨明ける 青蛙オランダ名を持つてをり 「シーボルトが送る(学名 シュレーゲルアオガエル)」という前書きがある。この句、前書きなしで読んだとき、へえーいったいどんなオランダ名なんだろう、って思い興味がわいた。というのは、青蛙をつかまえてさて、飼うことになった。そして名前をつけようという段になって飼い主がふっとオランダ名をつけたんじゃないかってわたしは思ったのだ。で、わたしがオランダ名で思い起こすのは、たとえばフェルメールとかレンブラントなどのオランダの画家。フェルメールなんていう呼び名は、青蛙には似合ってるな、なんて勝手に想像したのだが、前書きを読むとどうやらシーボルトが名前を送った(つけた)らしい。さらに「シュレーゲルアオガエル」とあり、その背後がありそうである。調べてみると、このシュレーゲルは、ヘルマン・シュレーゲルという19世紀の動物学者で、「シーボルトらが日本で収集した脊椎動物を研究し、テミンク、デ・ハーンらと『Fauna Japonica 』(日本動物誌)を執筆した。日本産のカエルの一種シュレーゲルアオガエルにはその名が記念されている。」とあり、シーボルトとの関係が見えてきたのだった。作者の福地さんは、「シュレーゲルアオガエル」に対して挨拶の一句を詠まれたのだとわたしは解した。ひょっとして「フェルメール」なんていう名前をつけて青蛙を飼っている人がいたら、それもまた素敵なことであり、そんな人と友だちになりたいな。 数式はみな美しく梅雨明ける 「数式は美しい」という言葉はよく耳にするが、この一句、「梅雨明ける」の季語がとてもいい。解けない数式も、梅雨があげてゆくのとともに、頭のなかを覆っていたどんよりとした雲が晴れていくように、解明できた、そんな時はあらためて数式が美しく思われるだろう。ところで、わたしは数式を美しいと実感したことはない。だって数学は苦手、数式が美しいなんて金輪際おもったことはない。ただ、観念としてはわかる。数式というものはきっと美しい並びでできているのだろう。しかし、わたしはその美しいはずであろう数式のまえでは、はなっから躊躇してしまい近づこうとは思わない。数式なんて意識しなくても人は生きていける。ご飯も美味しく食べられる。「数式はみな美しく」というフレーズはどこか人ごとでわたしの前を素通りしていく。しかし、この一句は「梅雨明ける」の季語によって、わたしを立ち止まらせる。 空と海とほく交はる啄木忌 これはわたしの好きな一句。季語は啄木忌。石川啄木の歌は多くのひとに愛唱されているが、目の前の卑近な生活を悲しく詠んだものが人の心をうつ。この一句、生活苦にあえぎながら短歌を詠んだ啄木の心の果てがこの「空と海とほく交はる」ところを希求していたように思えるのだ。上五中七の措辞が啄木の歌の世界を拡げてその心を解き放っているように思えてくる。 能面のやうに年老ゆ茄子の花 この句もおもしろい。「能面のやうに年老ゆ」が気になる、いったいどんな風に歳をとるのか。いや「年老ゆ」であるのですでに歳をとったわが顔をみつめてそのような感慨をもったのか。様々な感情を押し殺して生きて来た人間の顔、いやそうではなくて、激しい怒りや歓びをくり返してきたに関わらずいっさいの感情は消え去ってそこにはあまりにも無表情な顔がある。そのことに深い感慨をもったのである。「茄子の花」はおおかたは畑に咲いていて、美しい薄紫の花だ。詠まれた茄子の花の意外性が、その感慨をさらに深めていく。 敗戦日海の底なる虚空かな 福地さんは、ほかにも「敗戦日」で句を詠んでいる。〈一散に疎開児帰る敗戦日〉〈教室に竹槍並ぶ敗戦日〉など。そのなかでわたしはこの句に立ち止まった。中七下五は、作者の頭の中での観念的な景色である。敗戦日にそれを思ったのか。「海の底なる虚空」とは、いったいどんな、とも思うし、物理的にはありようがないものであるかもしれないが、こんな風に敗戦日を思いながら、海の底に思いをはせれば、そこにぽっかりとある空が見えてくるということもある。この一句、「虚空」の「虛」が、敗戦(戦争)というものを通過した人間にある虚しさ思い起こさせてもいる。漠然とした脱力感を感じさせる一句だ。作者はどんな風に思ってこの一句を作ったのか、聞いてみたいとも思う。 校正スタッフの幸香さんは、〈帰り花山の向かうは海の音〉に特に惹かれました。」 この句も詩情があって、わたしも好き。 本句集には巻末に「眉唾の話(後記に代えて)」という一文が載っている。 それを紹介しておきたい。 芭蕉さんとは遠戚なのだと聞いている。というのは福地一族はもとは伊賀の半農半士で、信長に恭順して手引きをし、抵抗派の郷士を抑えてしまった。松尾は福地の枝分かれのようだ。 しかし織田政権が倒れ、福地一族は追われるように駿河の国へ移住し、開拓農民となったという。寺が曹洞宗なのも、その名残りだろう。とは言え、四百数十年も前のこと、マユツバノハナシで、お後もよろしい。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 たいへん凝ったものだ。 どんだけ小さいかというと、マッチ箱をおいてみた。 「装丁の紙のグレーは、福地様のご希望でした。」と文己さん。 この写真では白にみえるが、薄いグレーである。 それがこの句集に落ちつきをあたえている。 今度はインク壺を。 見返しもおなじグレーの用紙。 すべてがシックである。 グレーのトーンが美しい。 平和といふ逃げ水をどこまでも追ふ 本句集を上梓されたお気持ちをいただいた。 〈俳句の将来〉 京都府の学校教師を早期退職して、しばらく田舎暮らしをしていた。山村は野生動物が出没し、雑草は勁かった。渡り鳥の声や、風や雲の音が自然の音楽だった。季語が生きている環境である。 それから都会(京都市)に戻った。意外かも知れないが、京都は大いなる田舎でもある。それは千年の歴史をもち、先の大戦で焼失を免れたから。しかし今日では人工物が激増し、微妙に人間関係の変化をもたらす。季語も片隅に追いやられる。 俳句は、ばせを先生が七七を切り捨てた、潔い形式である。ある意味、誤解や曲解を怖れない形式である。それは生き方の一本の棒である。当面は私は句座を愉しむとしても、将来のことは判らない。ましや俳句の将来をや。 福地湖游さん。 本句集は、福地湖游さんの徹底的なこだわりのもとに作られたものである。造本、大きさ、レイアウト等々、かつてのふらんす堂文庫に準じるものを希望されたのだった。時を経て製本屋さんも変わり、製作ができないと製本屋さんに言われたのだが、そこを職人さんに頼み込んでお願いをした造本である。 仕上がりがとても美しく、瀟洒で、わたしたちはとても喜んでいる。 福地湖游さんのこだわりが、製本屋さんの熱意を生み出し、ふたたびこのような本作りができたことがうれしい。
by fragie777
| 2024-01-05 20:26
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