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12月27日(水) 麋角解(さわしかのつのおつる) 旧暦11月15日
冬薔薇。 ![]() 出勤途上の美しい白薔薇。 このような白薔薇は、 おれの気が狂うのは北々西の風が吹くときだけだ。 と言ったハムレットにこそ捧げたい。 今日は夕方より、友人たちと仙川の美味しいお店で「忘年会」をすることになっている。 「忘年会」と称するものはこれひとつかもしれない。 なので、 それまでにブログを書いてしまおう。 25日づけの讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、岩田奎句集『膚』より。 ただようてゐるスケートの生者たち 岩田 奎 「氷の上をはかなげに漂う人々」と長谷川さん。 「生者たち」の把握がいい。わたし、中学生の頃にスケート靴を買ってもらって、真っ赤なヤツ、スケート場に友だちと滑りに行った。屋外のスケート場といっても、畑や田圃に水をはって凍らせたというにわかづくりのスケート場だったのだけど、若い生者たちがたくさん滑りに来ていた。わたしはとても下手くそで漂うどころかすってんころりんと転んでばかりで、とても漂えなかった。赤いフィギアのスケート靴はそれは素敵だったのだけど、スケート靴は死んでいたと思う。だって少しも滑れないんだもの。みすぼらしい生者のはしくれ。。。 相子智恵さんが、日経新聞の「俳句」欄に一年を回顧する記事を書いておられるので、いろいろとツィートはしたのであるが、抜粋して紹介したい。 タイトルは「身辺から社会を照射」。 年間のベスト3をあげている。 池田澄子句集『月と書く』(朔出版) 小澤實句集『澤』(KADOKAWA) 世界で続く侵攻、気候変更、コロナ禍は日常へ――。昏迷が続く今年、強い印象を残したのは、ささやかな身辺を地道に詠みながらも、身辺と地続きの社会を問う眼差しのある句集だ。 と前置きし、 池田澄子『月と書く』は、親しみやすい口語で、日常から戦争までを詠む。〈お久しぶり!と手を握ったわ過去の秋〉〈蝶よ川の向こうの蝶は邪魔ですか〉。ウクライナ侵攻を想起させつつ、普遍的な戦争の愚かさをあぶりだす。 小澤實『澤』は東日本大震災の翌年までの句を収める。芭蕉の「見る処花にあらずといふ事なし」という、すべての物に美を見出す姿勢を信条とする小澤は、震災で〈翁に問ふプルトニウムは花なるや〉と季語と現実の困難を詠んだ。〈ひとすぢの光は最上鳥渡る〉 千葉皓史の32年ぶりの句集『家族』に収録された期間は、奇しくも平成と重なるが、時代に流されない詩的強度がまぶしい。〈濤音のどすんとありし雛かな〉〈白波に乗る何もなしきりぎりす〉。郷愁と喪失感もうっすら匂う。 ほかに、 柿本多映句集『ひめむかし』〈春や有為の奥山越えてダンスダンス〉〈地球只今戦火をかかへ鳥雲に〉自由の奥に、昭和史を生きた者の憂いが強い。 正木ゆう子句集『玉響(たまゆら)』〈身体てふ宿主へまづ御慶かな〉〈ゆらめいてこの星もひとつぶの露〉身体感覚で現代や宇宙を掴む。 自らの句境を真摯に深めた句集も心に残る。として 山西雅子『雨滴』は、〈青空へゆく冬蜂の後ろ脚〉〈父母や水に点れる都鳥〉と留まらない時を静かに受けいれる。 橋本榮治『瑜伽(ゆうが)』には骨法確かな俳句のよさを味わう。〈負鶏となる一瞬のつちぼこり〉〈一膳は病者仕立てよ雛の宴〉 山口昭男『礫(つぶて)』は、取合わせの妙技で不思議な世界を見せてくれた。〈十二月紙の礫の開き出す〉〈赤ん坊のすつぱきにほひ涅槃西風〉 今年も若手の句集は豊作として、 南十二国『日々未来』〈たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう〉〈水たまりわつしやんと踏み割れば夏〉ナイーブな青春性も魅力であった。 ほかに、 馬場朝子編訳『俳句が伝える戦時下のロシア』、同『俳句が伝える戦時下のウクライナ』現地の俳人の句とインタビューの書だ。俳句は今や、世界中の民衆の詩なのである。 今日は銀行に行った以外は、ほぼ仕事場のバランスボールの上ですごす。 仕事はまあまあはかどったかな。。。
by fragie777
| 2023-12-27 18:35
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