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12月18日(月) 旧暦11月6日
枯れてゆく楓紅葉。 この枯色が好き。。。 渋くていい色だなあ。。。 こういう色を求めようとおもっても自然のなかでしか見出し得ないものだ。 今日からぐっと寒くなった。 わたしはオーバーの下に毛皮の襟巻きがついたチョッキのようなものを着て出社。 すなわち、モコモコである。 が、温い。。。 今日の讀賣新聞の「枝折」には、内田茂著『蕪村の百句』が紹介されている。 江戸時代の俳人、与謝蕪村の句を年代順に収める。後世の人たちによるコメントを織り込んだ鑑賞が付く。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー帯有り 150頁 著者の池澤正夫(いけざわ・まさお)さんは大正15年(1926)生まれ、今年で97歳をを迎えられた。本書はその池澤さんの俳句と文章を収録したものである。池澤さんは東京・深川生まれ、現在は江東区森下在住。東京高等師範学校・東京文理科大学を卒業後、教育者としてその道を歩んできた方である。東京都立高等学校長を歴任ののち退職。その後は東邦音楽大学の教授、NHK学園で漢詩や俳句の講師をつとめられた。 本書を編むきっかけとなったことなど、「あとがき」に記されているので、抜粋して紹介したい。 前掲「名もなき男」も遂に百歳に垂なんなんとする齢を迎えた。平成とともに続いたNHK学園オープンスクールの「漢詩講座」や「池澤正夫の吟行俳句」などの講座もコロナを機会に終わりを告げた。(略) 思えば都立深川高校に赴任したとき、学校が芭蕉ゆかりの深川の地に在ったこと、教科で俳句も教えなければならない国語教師である私が、当時、教員の間に盛んであった句会「東天句会」に入るのは当然の成り行きであった。私の句作の第一歩である「東天句会」は今に脈々と繋がっている。この他、現在私が関係する句会には「みずき句会」・「永良美句会」(江東区民)、「菩提子句会」(足立 青井高校関係)、「沙羅句会」(小岩高校OB句会)、「渋谷句会」(渋谷小中教員)などがあり、今やわが人生の生きがいとなっている。 「前掲「名もなき男」」とは、この「あとがき」の前に「ある名もなき男の履歴書」と題して、ご自身のこれまでの人生を綴った文章を収録されているのである。 本書は、前半は俳句、後半は俳句に関するエッセイを収録してある。 本書の担当は、Pさん。 まずPさんの好きな句を紹介したい。 妻逝くとある古暦捨てがたし 賀状来る身に引き戻す遠き人 鉄棒の匂ひを握り卒業す 葡萄喰むプラトンの知を吸ふごとく みな年の瀬の顔となる渋谷かな 妻逝くとある古暦捨てがたし わたしもこの句には立ち止まった。平成17年(2005)8月に奥さまは他界された。難病で苦しまれ3年の闘病の果てに亡くなったのである。「生前ずいぶん憎らしいことを言ってよく喧嘩もしたが、いざ亡くなってみると悪いことは皆忘れてあの時こうしてやればよかったなどと悔悟の念のみが込み上げてくる」と「ある名もなき男の履歴書」に記されている。「妻逝く」と記してある暦、それが捨てがたいというのである。単に妻の思い出だけでなく、その妻が死んでいったそれまでの月日や自身の思いまでがその暦の「妻逝く」から思い起こされるのだろう。そこに込められた濃密な時間が甦ってくるのかもしれない。「捨てがたし」の表現に、いずれ捨てることを余儀なくされるものであるが、まだそれに執着してしまう気持、が見えるのである。「妻逝く」と書き記したときの無念な気持もまた苦しいまでに甦ってくるのだ。 葡萄喰むプラトンの知を吸ふごとく わたしは読み飛ばしてしまった一句であるが、作者も自選句にいれている一句だ。「葡萄」とプラトンか。。。って思った。それがおもしろいといえばおもしろいのか。 調べたところ葡萄は「豊穣のシンボルとされ,ギリシアのディオニュソス信仰とも関連して,古くから聖なる果実として尊ばれた」とあり、ギリシャにおいても聖なる果実だったのだ。「わたしはまことの葡萄の木」と語ったイエスのみならず、葡萄は多くの意味づけをされてきた果実なのだ。この一句においては、「プラトンの知」を担っている。わたしはこの葡萄を黒葡萄としてイメージしたのだが、(その方が知的ではなくて)その甘い果汁がプラトンの知に変容するのが、おもしろいと思った。ただ葡萄をむさぼり食うのでなく、「プラトンの知」を吸っていると夢想することで時間を凌駕するような気持にもなる。なんだか葡萄によって人間がもう一つ高級になった感じがしません? 白菜の尻楊貴妃よりも白し この一句、ちょっと笑ってしまった。本書では、まず「十句抄」として作者による抄出された十句が五句ずつ見開きでおかれている。まずこの十句に眼を通して欲しいということか。この一句はその「十句抄」の最後の一句である。〈戦なき世こそ浄土や年明くる〉からはじまり〈天命といふ安らぎや夜に釣る〉という句集のタイトルにかかわってくるような一句もあり、そしてこの「白菜」の句である。わたしは楊貴妃に会ったことはない(ついこの間まで見ていた中国時代劇には出ていたが)し、よもやそのお尻を知るはずがない。むろん作者の池澤さんも然りである。でもこの句の面白さは、白菜の白さをもって楊貴妃のお尻の白さと比べたことで、楊貴妃という歴史上の美女がたいへん身近にたちがってくることだ。そして、たぶんきっと楊貴妃のお尻は、白菜よりも白かったのではないか、とこの比較におもわず頷いてしまうことである。白菜の白さというのが、他の野菜の白さよりもはるかにいいなって思う。 平成を昭和で数へ敗戦忌 作者は大正15年のお生まれ、戦争体験者である。昭和という時代に刻まれた戦争であり、平成の時代になっても戦後の歳月の経過を平成で認識するよりも昭和○○年と認識したほうがよりリアルな時間の経過を実感することができるのだ。敗戦日をむかえるたびに、戦争を思い敗戦の日をおもう。その悲惨な体験を年月によって風化させるのではなく、戦後の歳月を認識することでふたたび甦らせるのである。戦争体験者の方にはあるいはこういう風に過ごしてきた方が少なからずおられるのではないか。どうだろうか。わたしは通常は元号より西暦を先行させるのを主義としているのであるが、元号が象徴する時代認識というものがあって、やはり昭和という時代が語るものがあり、それをどう知るか、それはわたしにとっても大きな課題である。 下町は奥まで見えて蚊遣香 下町生まれ下町育ちの作者ならではの一句だ。そしてこれは昭和のなつかしい風景のようにも見えてくる。「蚊遣香」の季語が巧みである。奥までみえる下町という概念を蚊遣香で焦点をしぼり、現実化した。つまり鍵などをかける家もなく開放的で隣り近所の分け隔てがないそんな暮らし振りが見えてくる。そんな下町である。夏になればどの家も蚊遣香を炊くだろう。そしてどの家の蚊遣香も家の外から見えるのである。下町の活発な夕暮れも甦る。いまの下町はどうなんだろうか。奥まで見えるのだろうか。ノスタルジーを呼び起こす一句である。小津安二郎の映画のワンショットのようでもある。 つまらねえ奴にも似合ふサングラス この一句も笑ってしまって、そして好き。立派な教育者であられた池澤さんであるが、こんな本音ももっておられたかと。いいですね。そしてこの「つまならねえ奴」はまさに下町言葉である。思うに「つまらねえ奴」の定義は、かっちりとしたものはない。それぞれの主観においての「つまらねえ奴」でいいのである。池澤さんにとっての「つまらねえ奴」がどういう人間かはあえて問わない。しかし、心の中で思ったのである。(ケッ、サングラスなんか掛けてカッコつけちゃってなんだよ。つまんねえ奴なのに、でも悔しいけど似合ってるぞ)そんな内心を一句にしたのだ。そしてこれは真理でもある。だってつまらねえ奴だって似合うのよ、サングラスが。サングラスは人品を問わないのである。だからこのyamaokaにも似合うサングラスがあるのである。 スタッフの幸香さんは、「〈体操の着地のごとく春に逝く〉に惹かれました。」ということである。 本書には、芭蕉とその弟子たちや蕪村にふれたエッセイが多く収録されている。短いものを二篇紹介しておきたい。 源吾と光秀 赤穂浪士の一人大高源吾は、雪の橋上で会った師匠宝井其角の「年の瀬や川の流れと人の身は」の句に「あした待たるるその宝船」と付けた。吉良邸討入前夜のことである。 そう言えば、本能寺襲撃を前に明智光秀は愛宕山で連歌の会を催し、自ら発句を「時はいま雨が下しる五月かな」とよんだ。時とは光秀の先祖土岐氏のこと、雨が下は天下、しるは識る、つまり天下を取るという意味である。両者は短い句に、重大な決意と万感の思いをこめた。 もう一つは「艶と無常~「おくのほそ道」を旅して~」題したエッセイから、こちらは一部の抜粋にとどめる。 芭蕉において、艶と結びつく風狂とはどのようなものであろうか。通俗的な宗匠の生活を捨て風雅の道に生きようとした深川転居のころの芭蕉に、「雪の朝独り干鮭(からさけ)を噛み得たり」の句がある。この句にこめられた反俗精神は、「野ざらしを心に風のしむ身かな」(野ざらし紀行)や「狂句木がらしの身は竹斎に似たるかな」(冬の日) のような、旅に風雅を求め、野におのれの骨をさらすのだという風狂宣言、俳諧を狂句とし、社会に役立たぬ無用のものであるゆえに真の芸術であるとする信念につながっている。「笈の小文」の旅になると、その前の悲壮な風狂の旅とは違い、門出の「旅人と我が名呼ばれん初しぐれ」の句が示すように、旅にあることを生きがいとする落ち着いた心が見られるようになる。しかし芭蕉は、今度は肉親も知人もおらず、交通も険しい「おくのほそ道」の旅に出ようとした。旅の途中で死んだ敬愛する先人たちの境涯にならって、自分も一所不在、雲水の身として自然の中に漂泊し、旅の中に風雅の極致を探ろうとしたのである。もっとも、世俗の外に身を置き、蕉風俳諧の中心理念とした反俗・風狂の精神が、そのことによって世間の評価を高め、名誉や地位を与えられるということの矛盾に気付き、そこから脱却しようとするところに「おくのほそ道」の旅の動機があると見る説がある。 本書の装幀は、君嶋真理子さん。 白の紬風な布クロスに繊細な型惜し。 巻末には口絵写真として池澤さんの思い出の写真がちりばめられている。 また、本書を特徴づけるものとして、「正夫の下町すごろく」という見開きの頁がある。 池澤さんが直筆でかいた「下町案内図」である。 が、ただの図ではない。 下町の知識を総動員して言葉遊びなどを入れながら下町の背景にある文学的知識と情報をとりこんでいる。 こんな感じである。 印鑑をおいたのは、文字の細やかさをみてもらうため。 「浅草いろはかるた」もあって、たとえば、 い 今はずかし隅田川の白魚 ろ 六区に偲ぶロッパ・エノケン は、橋のたもとの駒形堂 ~~ ん 運は大吉おみくじ一本 久保田万太郎や子規などの俳句、川端康成の「浅草の九官鳥」の一節、などなど遊びこころ満載の膨大な知識を駆使した「下町案内」である。 わが句集の作成については、今までその器に非ずと考えもしなかったが、この度子供たちや友人の勧めもあって、「ある名もなき男の人生の記録」として作ることを決めた。長い間、他人とは思えぬ真心でお付き合いをいただいてきた多くの友人や、老いのわが身に全身全霊で尽くしてくれている子供たちに対する限りなき感謝の気持ちをその中にこめた。句は私に最も身近な「東天句会」の中から平成一五年以降のものを選んだ。読者の人生の中に共感いただくところがあれば幸甚である。 「あとがき」を紹介した。 ご家族の多大なる協力があって世にだされた書物である。 侮りし無為といふ日のあたたかし 本書の上梓後のお気持ちをくださった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 一流の俳人の句集出版でも老舗のふらんす堂の本の中に、名もなき男である己の名を著者として発見したときは年甲斐もなく豊かな気持ちになった。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 句集といっても名もなきある男の生涯をその中に託すという狙いがあった。いわば齢百歳に垂んとして人生を振り返る中で、他人とは思えぬ真心でお付き合いいただいている多くの友人や老いの我が身を全身全霊で尽くしてくれている子どもたちへの感謝の気持ちと、戦中派の私としては特に戦なき平和な世となることへの願いを籠めた。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 短き余命に鞭打ちながら、短い言葉で表現される俳句の持つ力が少しでも人々の人生に力と豊かさを与える文芸となるべく、精進したいと思う。 池澤正夫氏 池澤正夫さま 句集の製作のご縁をいただきましたこと 改めて御礼をもうしあげます。 教育者として生きてこられながらも、遊びこころをたいせつにされ、そこに下町で育まれた粋の精神があることを思いました、 素敵に生きてこられた方であるとも。 さらなるご健吟をお祈りもうしあげます。 寒椿白寿に近きいのち濃し 池澤正夫
by fragie777
| 2023-12-18 20:59
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