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12月13日(水) 正月事始め 旧暦11月1日
誰も住まぬ家の蔦紅葉。 この家の前をもう10年以上も前から通りすぎている。 かつては犬が買われていてその犬も死に、そのうちに人もいなくなってしまった。 今日のこと、 急ぎ送らなくてはならない一枚のゲラを速達にして投函した。 1時間ほど仕事をしてふと、机上の折り畳んだものに気づいた。 あれっ? それを開いてみると送ったはずのゲラだった。 じゃ、さっきのは? あれまあー! どうやらわたしは、手紙と返信用の封筒のみを入れて出してしまったらしい。 大急ぎでゲラをもう一通の速達にして、ポストまでダッシュしたのだった。 ほんと、疲れるわ。。。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯有り 194頁 二句組 著者の山田榧(やまだ・かや)さんは、1936年東京生まれ、現在や渋谷区在住、1981年「木語」入会、「木語」終刊後、2018年「門」入会、2018年「門」退会後、「梟」入会。現在「梟」同人。俳人協会会員。第1句集に『黄心樹』(1995年刊)がある。本句集は第2句集であり、矢島渚男「梟」主宰が跋文を寄せている。 跋文を抜粋して紹介したい。 榧さんは三人の子育てをし、二人のお子さんを音楽修行のため海外へ留学させ、一人はフランスの人と結婚され、「祖国二つ」を持つ孫ももたれた。こうしたことで榧さんの生活は国内にとどまらず、国際的になって視野が大きく広がっている。 誰がゐるの遺跡に問ふ子冬麗ら インディオの悪夢とる網買ひて春 ジャケツの児ピカソの青に意見述ぶ どんぐりを僕もボクもと見せにくる 戦争だとわかつてると泣く少女冬 ウード弾く老人秋夜更けゆけり 奈良登大路に日傘忘れきし 句集の終わりの方から私の好みのほんの一端を挙げてみた。単に広い世界を詠ったということではなく、自由にのびのびとしている。境涯を背景にもった作品であろう。今後も、ほぼ同齢の作者がどのようにさらなる表現の深化を見せてくれるか期待をもって見守りたい。 本句集にはフランスのみならず、海外詠がたくさん収録されている。 担当はPさん。好きな句をあげてもらった。 良夜なり濡れたるもののみな光り 芒原髪逆だてて戻り来し 春の沼森の落とせしものうかべ インディオの悪夢とる網買ひて春 良夜なり濡れたるもののみな光り 作者も自選句としてあげている一句である。名月の夜の美しい景を詠んだ。雨が降って大地をうるおしたあとの名月の夜である。月見としては最高なんじゃないだろうか。皓々とさす月明かりに万物はすべて感応しているのだ。「濡れたるものの」とあるが、ここは多分濡れてないものなどはないのだろうと思う。あるいは濡れているものが圧倒的なのである、だって月の光をうけて輝いているのだから。「り」の音が、韻をふみつつこの一句になめらかな調べを与えている。空気までもしっとりとしているそんな気配がある。「濡れたるもの」としてあえて具体的にしていないことによってわたしたちは自由に景を立ち上がらせることができるのだ。 インディオの悪夢とる網買ひて春 ニューメキシコと前書きのある句である。これは興味深い。いったいどんな網なんだろうか。そちらの方へ興味がいってしまう。アメリカの先住民たちは悪夢に悩まされていたのであろうか。その悪夢の対処法としての「網」というのが、なんともおもしろい。人間の頭に網をかぶせるのだろうか、それともそれを被って寝るとか、いろいろと想像が働く。そんな網が売られていても、馬鹿らしいわ、なんて思わずに買ってしまうというのも、「春」という季節だからか。網が売られている店頭には、笑い声があふれていそうだ。この句、最後が「春」以外だとしたら、うららかな表情を失ってしまう、だからやはり「春」。しかも末尾におかれたのが、自身の遊びこころを確認しているようでいい。 たんぽぽやゴッホとテオの墓低き これはわたしの好きな一句。「オーヴェル・シュル・オワーズ 三句」という前書のあるうちの一句。〈アーモンドの花咲きゴッホ終焉地〉という句がありゴッホが眠る地である。掲句は、そのゴッホの墓ととなり合う弟のテオの墓を詠んだもの。テオとゴッホは仲が良く、テオは生涯にわたってゴッホを支えつづけたことは有名である。「墓低き」とあるからきっと大きくないどちらかというと小さな墓だろう。その二つの墓に咲いているのはたんぽぽ。それが良い。「たんぽぽや」とまず上五において「ゴッホとテオの墓低き」とまるでたんぽぽと肩を並べるようにして墓がある。その慎ましさと明るさが悲劇に充たされたゴッホという画家を充分に慰撫している。二人の兄弟の仲の良さもたんぽぽによって祝福されている。ほかのどの花よりも「たんぽぽ」がふさわしい。「たんぽぽ」という音もまたやさしい響きとはずむような明るさがある。 高原に楽器集まり夏休 気持のよい一句である。「楽器集まり」が巧みだとおもった。避暑地での一風景か。これから野外演奏会が涼しい風がふきぬける高原で開かれるのだ。いいなあ、こんな夏休みだったら経験したい。まだ演奏会ははじまっておらず、それぞれ演奏者が自分の楽器をもってあつまりつつある。まさに句集名となった「音合せ」もはじまっているかもしれない。調律をしている演奏者もいそうだ。「楽器集まり」と叙したことでこの主人公たちの姿をクローズアップさせた。 奈良登大路に日傘忘れきし 矢島渚男主宰が跋文で好みの句としてあげておられる。わたしも好きな句。「奈良登大路」は「ならのぼりおおじ」と読ませるようだ。近鉄奈良駅をおりて奈良公園にむかう大きな通りだ。じつはこの通りはよく知っている。かつて何度も奈良には遊びにいった。そしてこの通りを何度も往復した。しかし「奈良登大路」という名称であるとはつゆしらなかった。なんと、たいそうな名前であること。でもとても奈良的だ。この一句、この通りの名前を巧みに活かして、「日傘」を「奈良登大路」に忘れてしまったと述べただけなのに、この日傘という日常的なグッズが特別なものになり、実際わすれた場所は立ち寄った飲食店だったかもしれないのだが、その瑣末なことは消されて奈良登大路に忘れられてしまった日傘となったのである。もう日傘は作者の手許をはなれて、奈良登大路の所属となってしまった。そして、日傘はそれによって昇格したのである。なぜなら、奈良登大路だからね。作者の古都・奈良への挨拶句でもある。 校正スタッフのみおさんは、〈頬を打つ山霧草の匂ひせる〉「山の霧の深さや激しさが伝わってくるようです。」と。 私の俳句との出会いは山田みづえ先生の「木語」でした。初めて出会う言葉の奥深い世界に新しい日常が広がりました。「木語」終刊後「門」の鈴木鷹夫先生のご 指導を受け、鷹夫先生ご逝去後、矢島渚男先生の「梟」に入会、先生の迷いのない論述とご指導の下で十年経ちました。 「木語」時代の第一句集『黄心樹(おがたまのき)』上梓後二十八年、先日、夫の二十三回忌を修しその間の事ごとを纏めようと思いました。 学生時代に学んだ自然科学の分野で物の真実を見極めることを心がけてきましたが、俳句においても自然の姿をありのままにと良くも悪くも考えています。 夫に海外に出ることを勧められたのがきっかけで娘の留学先のフランスをはじめ、妹弟と共に各国にでかけました。後に娘の一人がフランスに住むようになりフランスとの縁が深くなりました。 句集名「音合せ」は「音合せの百音響き卒業す」に拠ります。初め「百音」と思いました。先生からの「音合せ」は、のお言葉にこれから始まる演奏を予感させる言葉と思い句集名といたしました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 タイトルは金箔もじ。 見返し。 扉。 木々芽吹くエッフェル塔は透かし編み 「音合せ」は演奏の始まる前の静寂に響く調律。 いい句集名である。(矢島渚男/跋) 御句集を手にしたときのお気持ちをうかがった。 荷を開けて散々目を通した句ですのに届きましたら開いて読むことが怖くなりました。 しばらくたって開きました。 まあ、そうだったのですか。。。 奈良に在すわが恋仏梅白し お好きな仏像がおありになるんですね。わたしもあります。奈良に通ったのはその仏像たちをみるためと言ってもいいくらい。この一句には「元興寺 薬師如来立像」と前書きがある。わたし、多分この仏像みていない。いまネット上で調べたところ、薬師如来立像としてはずいぶんいかめしい顔をしている。媚びない表情だ。甘くない(?)仏像である。「白梅」はまさにピッタリだ。こういう仏像を好きな人って、なかなか引きしまった精神をしておられそうである。
by fragie777
| 2023-12-13 20:53
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