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12月11日(火) 熊穴蟄(くまあなにちっす) 旧暦10月30日
歩いて出社したいところであるが、仕事量を考えると髪が総毛立ちそうになるので、車を飛ばすことに。 今もうスタッフたちは帰ってしまったが、わたしはこれからブログを書く。 床暖房だけでは寒いので暖房をつけたいところであるが、わたしだけに暖房をつけるのはね、ちょっと、といういことでいまジャケットを持ってきてはおったところ。例のへなちょこ手袋もはめた。 時計はちょうどジングルベルを奏でている。 もう帰りたいな。。。。 さっ、頑張ろう。 今日の讀賣新聞の枝折は、森澤程著『和田悟朗の百句』を紹介している。 物理科学者の顔も持った俳人、和田悟朗(1923から2015)が詠んだ100句を紹介する。身近な自然から宇宙が広がる。〈蛇の眼に草の惑星昏れはじむ〉 そして今日は鈴木六林男の忌日である。 2004年の12月12日に85歳で没。 冬の日の言葉は水のわくように 鈴木六林男 「少数派」より。六林男俳句は間口が広い。この一句も、そんな広がりを指示す叙情句のひとつ。とりわけ作者にとって、冬とは思い入れのある季節であった。これまでの群作「吹田操車場」や「王国」など、そのほとんどが冬の一日に統一されており、冬とは〈物の存在が鮮明になる季節〉とも語っている。さらに、この「冬の日」は、芭蕉による『俳諧七部集』の最初の部であることも含意しているはずだ。冬の日でも、「言葉」だけは涸れることなく、水の湧くように溢れ出てくるのだろうか。そうであって欲しいという、六林男の願いなのか。(『雨の時代』一九九四年刊) 溶けながら考えている雪達磨 鈴木六林男 「鶴の形」より。真白な雪達磨が、陽光に照らされ溶けて汚れてゆく姿ほど哀れなものはない。大小の雪玉からなる胴体が崩れかけ、木炭などで作られた目鼻も溶けはじめると、何とも情けない表情になってゆく。この一句では、そんな雪達磨に作者自身を投影していることは間違いない。しかし雪達磨は、溶けながらも「考えている」。この「考えている」ことを支えるのは、〈感性にまで深まった思想性と歴史意識〉(辻井喬・句集評)であるのだろう。どこか自虐的にも見える諧謔によってユーモラスに描き出された、晩年の六林男のポートレート。(『一九九九年九月』一九九九年刊) ほかに、 わが死後の乗換駅の潦 鈴木六林男 今日はいろんな買い物をして帰らないといけない。 買わなくてはいけなないものは、 わがアレクサにすべてを告げてある。 だから大丈夫。。。
by fragie777
| 2023-12-12 19:35
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Comments(4)
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