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11月30日(木) 旧暦10月18日
わたしの今日の昼食。 おいしそうでしょ。 誘惑にまけてしまった。。。 いつものわたしのお昼は基本的にはおにぎり一個とフルーツ。 おにぎりを買いにクイーンズ伊勢丹に行ったところ、この栗おこわ弁当に目をうばわれてしまったのだ。 どうしようか、しばらく逡巡して、えいっとばかりに買ってしまった。 おいしゅうございました。 やはりちょっと量が多かったけど、、、 今日のお夕飯は、控えめにしておこう。 そうでないと、すぐ体重に反映してしまうのよ。。。。 新刊紹介をしたい。 菊判変型ソフトカバー装帯有り 152頁 詩集『目下のところ』は詩人・小笠原眞(おがさわら・まこと)さんの第7詩集となるものである。 小笠原眞さんは、1956年青森県十和田市生まれ、十和田市にずっとお住まいで耳鼻咽喉科の開業医でいらっしゃる。その傍らずっと詩を書いてこられれたのだ。1979年に第33回岩手芸術祭文芸大会芸術賞を受賞されてより、すでに今日までに7冊の詩集を上梓、評論を二冊上梓されている。そしてこれまで上梓されたご本のうち最初の詩集『一卵性双生児の九九』以外はすべてふらんす堂刊行によるものというまことにご縁の深い詩人であられる。 でも一度もまだお目にかかったことはないのだが、ご自身のことを詩の題材にされる小笠原眞さんであるので、お目にかかることはなくても、かなり小笠原さんについて、存じ上げているかもしれない。そう、もう20年以上の詩をとおしてのお付き合いなのだ。 2002年にふらんす堂よ第2詩集『あいうえお氏ノ誹諧』(第24回青森県詩人連盟賞受賞)を上梓されてより、この度の詩集『目下のところ』まで、詩の造本のスタイルは同じ、組方も頁数もおなじ、装釘は君嶋真理子さん。6冊の詩集をならべてみると楽しい壮観さがある。ちなみに既刊詩集をすべて紹介すると、第3詩集『48歳のソネット』、第4詩集『極楽とんぼのバラード』、第5詩集『初めての扁桃腺摘出手術』第6詩集『父の配慮』。評論は、『詩人のポケット』(第10回青森県文芸賞受賞) と『続・詩人のポケット』。 小笠原さんは現在、「亜土」同人、青森県詩人連盟副会長、日本現代詩人会会員。 33篇からなる日記のように書かれた本詩集はどれも親しみやすい表情をしており、読者はするすると作者の世界に引き込まれていってしまう。詩のテーマは、詩についてであったり、生きることの考察であったり、家族についてであったり、時代への危惧であったり、思い出であったり、そう、私たちが日々いきていくうえでなんとなく思っていることを詩の形をとってその思いを定着させておられるのだ。 生活者としての詩を書きその詩をあらためて認識することによってご自身のアイデンティティーを獲得する、そんな作業をされているのかもしれないとわたしは思ったりしたのだった。 本詩集のなかに「墓碑銘」という詩作品がある。 抜粋して紹介したい。 ぼくの詩集は言ってみればお墓 タイトルは墓碑銘である 時をこえて いつか誰かと こんな対話ができたらなあ つまりご自身の生のありようは、すべて詩に書かれていると。 本詩集の担当は、文己さん。 「詩人の方々との関わりの篇もあり、楽しく拝読しました。 孫娘さんの心温まる話も、海外の古代の遺跡や王宮、砂丘を巡る壮大な篇もどれも好きでした。」 「装丁の猫は、最後の篇「虎猫と鴉」からきています。カバー、扉、表紙とで全部猫ちゃんの表情が違うのが個人的に好きなポイントです。」 と文己さん。 その最後におかれた詩篇「虎猫と鴉」を紹介したい。 虎猫と鴉 父の一周忌を 無事終えた次の日の朝である 妻と二人で玄関前の掃除をしていると 今まで見たことも無い 恰幅のいい虎猫が ぼくらの近くに来てちょこんと座るのである しかも笑っているのである その笑顔はまさに あの父の笑顔であった 寅年の父が虎猫になって ごくろうさんだったねと ねぎらいを言いに来たのである ぼくらはふたりとも 一瞬にしてそう理解した 母は比較的早くに亡くなったので 我が家の仏事の一切は 長男の嫁である妻に 重くのしかかってきた お盆の支度から お墓の掃除まで なんで私がと思いながらも 必死でこなしてきたのである 几帳面な妻は月命日にも 必ずお墓の掃除に出向いた 妻がお墓の掃除をしていると いつのまにか一羽の鴉が 彼女を見守るようになったという そのうちにその鴉との 会話が始まったのである その鴉は何と 彼女の話が解るというのである ぼくはそんなことはありえない それじゃまるでドリトル真弓先生だね とまるで信じてはいなかった お墓の掃除が終わると 妻はいつもその鴉のために 所定の位置に饅頭を一つ 置いてゆくというのである 話し相手になってくれたお礼なのだ そして彼女が帰ろうとすると スーッと舞い降りてきて その饅頭を咥え 飛んでゆくというのである その鴉がである 父が亡くなってから ぱったりと姿を見せなくなったのである ああそうか あの鴉は酉年の母であったのだ あのお洒落な母にとっては 不本意きわまりなかったろうが 真っ黒な鴉に身を変えて ぼくらのことを見守っていたのだ 母も淋しかったのだろう 父があの世に来てくれて ホッとしているに違いない 積もる話に夢中で きっと もう鴉に身を変えて 現世に現れる暇も無くなったのだ 前詩集発刊から六年の歳月が過ぎ、寡作とは言え五十七篇の詩篇が集まったので、その中から三十三篇を選んでまとめてみた。今回の詩集で七作目となるが、青春時代のシュールな詩から遊戯的な詩、そして現在の日常的な詩風へとその作風も年齢とともに変化してきたように思う。これからも変化して行くのかもしれないが、目下のところは今の作風で書いて行こうと思っている。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 もちろん本詩集の装丁は君嶋真理子さん。 小笠原眞さんのご本はすべて君嶋さんの装釘によるもの。 小笠原さんご指定なのである。 じつは、本詩集に君嶋真理子さんが登場するのだ。 その箇所の部分を抜粋して紹介したい。 「装幀思案」というタイトルの詩篇である。 そして平成二十一年三月十五日に発行された 菊地信義の著書『装幀思案』では なんとぼくの第二詩集『あいうえお氏ノ徘徊』の 装幀についても紹介されているのだ 装幀者はふらんす堂の君嶋真理子さん 「表紙はグレーのベタ刷り」 「背中にしょぼくれた羽を付けた天使のカット」 「色や材質感の取り合わせ」は「いずれも軽妙で洒脱」 「見事な装幀に舌を巻いたものだ」とある 拙い詩集に華を添えてくれた君嶋さん 全くもって感謝の言葉しかない 装幀家の菊地信義さんがその著書にとりあげてくださったのだ。 わたし、今知ったわ。 君嶋さんも知らなかったかも。。。 今回は「虎猫」が登場。 用紙にも凝ってみた。 父の一周忌を 無事終えた次の日の朝である 妻と二人で玄関前の掃除をしていると 今まで見たことも無い 恰幅のいい虎猫が ぼくらの近くに来てちょこんと座るのである しかも笑っているのである その笑顔はまさに あの父の笑顔であった そして第6詩集『父の配慮』は、亡くなられたお父さまを追悼された詩集である。 詩集上梓について所感をいただいた。 今回の詩集で、ふらんす堂さんにお世話になった本は評論集も含めて8冊目となり、とても感謝いたしております。詩集も評論集もそれぞれ同じ版型なので、本箱に収めた時の統一感が堪りません。それにソフトカバーで手にしっくりくる感じもとても気に入っております。 極めつけは、君嶋真理子さんの装幀ですね。ちょっとコミカルな表紙がぼくの作品の 特徴を如実に表現しています。ああ、ぼくの最大の武器はユーモア精神なのだと改めて実感した次第です。今回の虎猫ちゃんも父にそっくりで、カバー色の紅藤色は母のお気に入りの着物と同色でした。目下のところ、ぼくの一番人気です。 詩を書き始めた20代の前半の頃を振り返ってみますと、色々な詩集を渉猟し乱読してはその豊饒な世界に酔いしれたものでした。 難解な詩もそれなりに読んできたつもりではありますが、最近はやはり日常語で書かれた解りやすい詩が一番と思うようになってまいりました。その中でも敬愛する井川博年さんの詩はぼくにとっては至福の作品となりました。情感と哀感が溢れた彼の「わたくし詩」 は、常にぼくの詩のお手本となっているのですが、いかんせん才能に乏しいぼくのドキュメンタリー詩は、中々その域に達しそうにありません。これからも切磋琢磨あるのみと思っているのですが……。 ところで、今年の5月末に井川さんの津軽旅に同行する機会に恵まれました。 八戸旅、盛岡旅に次ぐ第三弾となりましたが、 博覧強記の生の井川さんも強烈に魅力的でした。その時のスナップ写真 (青森県近代文学館、立佞武多の館) をお届けいたします。 (2023.11.1) 井川博年さん(左)と小笠原眞さん (青森県近代文学館にて) ◆刊行後の歓びのメールをさらにいただいた。 嬉しくて、自分の詩集でありながら、三度読みしてしまいました。 これからも、あまり変わり映えのしない日常の中から、小さな感動の種を見つけて作品化できれば幸せかなと思いました。 いいですね。。。 「メメント・モリ」よりわたしの好きな詩行を。 つまり死は 誕生と同じように 苦しみを伴った 祝祭といって よいのだ
by fragie777
| 2023-11-30 19:53
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