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11月28日(火) 旧暦10月16日
曙杉の紅葉。 独特の色である。 今日は俳人の山田耕司さんが、ご来社下さった。 「澤好摩全句集」の今後の予定などについて、打ち合わせをしたのだった。 ひととおりの打ち合わせを終わって、雑談をしていたとき、 「今日はこれから西新宿に用があるのです。どうしようかな、笹塚で降りて歩こうかな」と言う。 「ええっ! 大分距離があるわよ」と言うと、(かつて、学生時代にふらんす堂でバイトをしてくれていた山田耕司さんゆえに、お客さまなのにどうもわが口調はざっくばらんである) 「ええ、ぼく、よく歩くんです。この間も上野から四ッ谷まで歩きました」と。 つまり、伺うところによると、とりたてて身体を鍛えるとかはしてはおらず、しかし、歩くことを心がけているということである。 そうか、そういう運動の仕方もあったかと思った次第である。 新宿にでるときは、わたしは常に新宿駅まで電車に乗る、だが、その手前にある初台の駅でおりて歩いてもいいのである。 いまはiPhoneマップがあるので、道に迷うということもない。 こんどやってみよう、っておもったのだが、 いつも時間ぎりぎりで、電車に乗り遅れそうになるyamaokaである。 果たして、そんな芸当ができるかどうか。。。。 まあ、見ていてくださいな。。。 ![]() 執筆者の森澤程さんには丁寧に取り組んでいただいたものである。 装画の山鳥がシンプルでスマートで、俳人・和田悟朗にぴったりと思った。 巻末の解説で森澤程さんは次のように書く。 和田悟朗の俳句には、和田悟朗にしか詠めないと感じさせる世界がある。俳句作家ならばその人にしか創出できない世界を持っているのは当然だ。しかし悟朗俳句はそこに完全に立ち入ることができないという何かを感じさせるものがある。わたくしにとってこの何かは、悟朗の科学者としての認識に由縁する。だがこの感じは、百句を鑑賞してゆく過程で、俳句形式を新たに楽しむことができるような性質のものになっていた気がする。ほんの少しずつではあるが……。このとき、道標となったのが悟朗の「科学と俳句」というエッセイである。 そして森澤さんは、和田悟朗のエッセイを引用して、 このエッセイにある「文学」と「科学」に共通するという姿勢、「文学の一回性」と「科学の再現性」についての見解、とくに「思い切っていうなら、科学も俳句もその表現はことごとく比喩である」というくだりは、わたくしにとって、科学と文学についての思いを新たにするものとなった。 そういう思いのもとに、百句の鑑賞に取り組んでくださったのである。 百句鑑賞のうちのいくつかを紹介しておきたい。 素描の杉わが誕生をゆるすなり 『山壊史』 昭和56(一九八一)年刊 「素描の杉」とは、単にデッサン(素描)された杉という意味ではないだろう。悟朗にとって眼前の杉は、樹齢、幹の太さ、高さを正確に知ることのできない、不可知なものなのだ。この杉の姿は、素描としてしか表現できないのだという息遣いを感じさせる作。科学者和田悟朗の杉を通した自然への敬虔な態度だ。 杉への敬意をもって、みずからの誕生をゆるされたとする和田悟朗の生命観は、人間を中心に置いたものではない。次の句にも、杉に対して同様の想いがある。 杉の中杉棒立ちに秘史あらむ 『現』 永劫の入口にあり山さくら 『法隆寺伝承』 昭和62(一九八七)年刊 『法隆寺伝承』巻頭の句。 永劫という終わりのない時間に入口があるとされることで、ここに立ち止まらされ、瞬間の門とでもいうべきトポスを想起させられる。この入口にある「山さくら」は、さながら初めて見るもののようだ。「さくら」の清音が清々しい。 時間という見ることも触れることもできないものを「入口」と「山さくら」という語で捉え得た句だ。 和田悟朗は『法隆寺伝承』を上梓した年に、奈良女子大学を停年退官している。 藤の花少年疾走してけぶる 『坐忘』平成13(二〇〇一)年刊 この句において「けぶる」のは少年だ。しかし「けぶる」という言葉が喚起するのは「藤の花」である。少年はあるいは藤の花の呪縛から逃れようとして疾走しているのかもしれない。藤の花の美しさ、蔓の強さは古くから歌に詠まれ、藤娘という妖艶な日本舞踊もあり、いわば女性の象徴ともいうべき花だ。 一句の「藤の花」に対する「少年」はいかにも儚い。少年は疾走し、藤の花は千年をこえて地に根づく。しかし悟朗は、「けぶる」という語をもって両者を愛でている。 人間であること久し月見草 『人間律』平成17(二〇〇五)年刊 「人間であること久し」の後の切れには、時間の停止に近い感触がある。そしてこの切れの中へ月見草が忍び込んでくる。 月は、地球の唯一の衛星として様々なイメージを喚起しつつ、人間と共にある。月見草はその名の通り月に因んだ花だ。悟朗は「月見草は、人間によく似合う」とでも言っているようだ。 季語を違えて次の句がある。 人間を休む一日朴落葉 『風車』 本書のカバーの文言は、「未完の少年」 「少年」という言葉がその佇まいからも相応しい和田悟朗さんだった。 そして本書の百句には少年が多く登場する。 巻末の解説『認識と感覚の立体交差」において、「未完の少年像」というテーマのもとに、森澤さんは、たくさんの句をあげて和田悟朗作品の「少年像」に言及している。 この解説において、最後の三行がすばらしい。 この三行において、和田悟朗という人間の存在がその肉体を以て見事に立ち上がってくるのである。 黄落の限りなければ門を閉ず 和田悟朗
by fragie777
| 2023-11-28 19:52
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