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11月27日(月) 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう) 旧暦10月15日
返り花。 朝、家を出て数歩歩いてから、眼鏡をかけていないことに気づいた。 戻って家の玄関ドアーに手をかけて、 ふっと、いいや、このままでって思った。 と、いうことで、 わたしはあらゆるものがうすぼんやりとしている世界へ向かって歩きはじめたのだった。 たまには、この世を肉眼で見るということも悪くない。 24日づけの讀賣新聞の「枝折」では、大辻隆弘著『岡井隆の百首』が紹介されている。 歌人入門シリーズの9冊目は、前衛短歌運動の旗手として活躍した歌人の岡井隆(1928~2020年)を取り上げる。岡井に師事した著者は「現実を感覚的にとらえる写実の眼」と「現実をかすかに遊離する甘美な調べ」の力が岡井にあったと指摘する。〈苦しみもよろこびもふりするだけだ傘のなだれてゐた霧生駅〉 今日の毎日新聞の坪内稔典さんの「季語刻々」では、岩田奎句集『膚』より。 まだ雪に気づかず起きてくる音か 岩田 奎 雪に「気づいた時、その人の音は激変するかも。雪の日の音の微妙さを詠んだ」と坪内さん。雪に気づいている人間と気づいていない人間がいるのだ。そして、気づいている人間は気づいていない人間の気配に耳をそばだてている。そんな関係性を詠んでいることもおもしろい。主役は雪だ。 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装 234頁 二句組 著者の田中俊尾(たなか・としお)さんは、昭和2年(1927)東京都南多摩郡加住村戸吹に生まれ、平成29年(2017)90歳で亡くなるまで生涯をこの戸吹で過ごした方である。昭和24年(1949)より「馬醉木」に所属、その後「馬醉木」同人、「鯱」同人。「俳人協会会員となり、NHK学園講師を始め、地域、施設等の俳句講座を担当し、精力的に指導を行う」と略歴にある。本句集は、第1句集『絹の道』(平成13年刊)後の俳句を収録したものであり、ご本人がまとめるつもりで「あとがき」も書かれていたものを、ご子息の田中俊光さんが句を選び、「附記」を記して遺句集として刊行されたものである。俊尾さんの「あとがき」には、第三句集「黄泉路」刊行の思いもあったものを、本句集で「黄泉路―登富貴村以後」の章立てをして収録したとある。 句集名となった「登富貴村」は、「あとがき」によると「戸吹村」が、一時「登富貴村」と呼ばれたこともあり、句集名にふさわしいということで付けられたようである。 本句集は、田中敏光さんのご尽力によって刊行の運びとなったが、句集を拝読すればわかるように、俊尾さんの子どもたち、孫たち、曾孫たちの思いがひとつとなって実現した句集である。 家族愛にあふれた一冊である。 わたしがとくにいいなあっておもったのは、ときどき俳句のところに落書きのように描かれた絵である。 たとえば、 青麦や肩幅を超すランドセル の句に。 あるいは、 蒲公英の穂絮が乱す子らの列 餌を待つ蟷螂ねらふ猫のあり もっともっと紹介したいところである、こんな感じに楽しい絵がところどころに登場するのである。 曾孫さんたちが、ひいおじいちゃんのために描いたものなのだ。 家族全員にとって忘れられない父のおじいちゃんのひいおじいちゃんの句集なのである。 担当はPさん。 朝百舌や妻と揃ひの旅支度 パパイヤの青き実に降る朝の雨 灯を入れて闇膨らます大ねぶた 打水や考の匂ひの日和下駄 白菜の日の温もりも漬け込みぬ 朝百舌や妻と揃ひの旅支度 田中俊尾さんと妻・里子さんは、卒寿を超すまで仲良く連れ添ったご夫婦である。妻を詠んだ句は、たくさん収録されている。とても仲良しで二人でご旅行をするその旅行着さえもペアルックだったのだろう。この句、季語は百舌鳥。肉食で鋭い声でなく。旅にむかう朝に百舌鳥が鳴いたのだ。この一句、「朝百舌」という上五によって、旅にむかう緊張感があり、中七下五のやや甘い雰囲気を引き締めている。それでもペアルックで旅行するはずんだ心も見えてくる一句だ。 灯を入れて闇膨らます大ねぶた 青森の「ねぶた祭り」を見たときに一句だ。わたしも数十年前に一度見たことがある。「闇膨らます」という措辞が巧みだ。「灯を入れて」の上五から中七へは、飛躍がある。その大胆な飛躍が、「ねぶた祭り」というスケールの大きな祭りにピッタリだ。大きなねぶたに灯がはいったことによって、ふくれあがるように立ち上がる。しかし、作者の目には背後の闇がおおきく膨らんだように見えたのだ。いい句だと思う。 羽抜鶏鳴きつつ量り売られけり なんとも哀れな風景である。作者がくらす戸吹村での光景なのだろう。食材として売られていく鶏であり、「量り売られ」とあることから、むんずとつかまれて量りにのせられ、値段をつけられて売られていくのだ。都会では、まず目にすることのない光景だ。季語は「羽抜鳥」、羽が抜け替わる時期の鶏でみすぼらしい。「鳴きつつ」に自身の運命を知っているかのような鶏の哀しみを作者は感じ取ったのだ。 妻の影地にやはらかし梅月夜 妻の里子さんを詠んだ一句である。わたしの好きな句である。きれいな一句だ。梅が咲き月が皓々と輝く夜であれば、大気は冴え返っている。その梅の花に妻が立った。地面にうつった妻の影、それがなんともやわらかな曲線を描いている。この一句「やはらかし」の言葉によって、作者の妻への思いがすべて言い尽くされているように思った。その影さえも愛おしんでいるような、妻への愛情にみちた一句である。 和箪笥の把手のひびき今朝の冬 和箪笥だからこその一句。和服を収納する桐の箪笥などを思う。真鍮でつくられた装飾的な凝った把手が付けられているものが多い。把手のある部分にはさわるとひんやりとする。その和箪笥に手をかけて手をはずすといい音がする。わたしの耳にも親しい音である。その音が秋になった今朝、いつもより澄んだ音をたてたのだ。たぶん部屋中に響きわたったことだろう。懐かしい音。こんな音もだんだん聞かれなくなっていく二十一世紀にわたしたちは生きている。 校正スタッフのみおさんの好きな句は、〈点滴の身にすべりこむ秋夕焼〉ということ。わたしもこの一句、着眼点がおもしろいとおもったのだった。 闘病をされながらもやや緊張感から解放されてゆとりが出てこられたのでは、などと思わせる一句。 俊尾さんの「あとがき」には、戸吹村のことや、俳句との出会いなど、詳細に書かれてある。ここはわずかな抜粋となってしまうことをお許しいただきたい。 終戦の翌年、私の師範学校入学を期待していた祖母が亡くなった。師範学校には「水明」の会や、自称ホトトギス同人の浜田坡牛という教授がいて勧誘されたが、どちらにも所属しなかった。昭和二十四年四月、小学校教師となり、本式に俳句を始めることにした。初めて馬醉木を購入して以来、自己流の句を投句してきたが一句も取り上げられることはなかった。私の作品が一句馬醉木に載ったのは、それから一年半後の昭和二十五年九月号だった。俳句に興味をもって七十年続けられたのも水原秋桜子先生始め歴代主宰、同人、同僚各位のお陰と心から感謝申し上げる次第です。 ご子息の田中俊光さんによる「附記」には、俳句に向き合う父のことが書かれており、また遺句集刊行にいたるまでのことが書かれてある。ここも抜粋になるが紹介をしておきたい。 早いもので、もう父の七回忌を迎えます。父の死後、誰よりも句集の完成を望んでいた叔母も先頃三回忌を迎えました。遅くなってしまいましたが、なんとか完成させることができました。今回句集をまとめるにあたって、家族が増えることと、子や孫や曽孫が成長することを何よりも楽しみにしていた父が喜んでくれるものにしたいと思い、曽孫達の絵を落書き風に入れてみることにしました。「いやあ、二冊目の句集を作ったんですがね、曽孫達が絵を描いちゃいましてね」と、照れながらも誇らしげに俳句仲間に自慢する父の顔が目に見えるようです。父は亡くなる数年前にすでに句集のタイトルを「登富貴村」と決め、あとがきも書いていました。「登富貴村」に向けて句を作り貯めていましたが、句を選ぶ作業まではしていませんでしたので、選句の作業は私が行いました。あとがきで「登富貴村」発行後の句については「黄泉路」として私と私の家族がまとめるように書いていますが、実際には「黄泉路」の対象となるのは数ヶ月分でしたので、「黄泉路」抄として併せて出すことにしました。(略) 今回父の句にあらためて目を通して、父の感動や、喜びや、寂しさや、心細さや、小さいものへの優しさを、感じることができ、確かに自分は今父と対話していると感じたときがありました。(略) 句集をまとめたことで父への供養になったと信じますが、さらに未来に生きる孫や曽孫が、またいつか句集を手に取って、開いて、父を少し思い出して、その俳句を読んでくれればそれが何よりの供養に違いありません。ひょっとしたら父の俳句のDNAを受け継ぐ子が現れるかもしれないと楽しみにしています。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 扉。 本句集には、口絵がたくさん挿入されている。 妻・田中里子と (平成十四年撮影) 昭和25年のおふたり(右頁)と、 ご自宅の庭先にある句碑。 芽吹きては夜もしろがねの楢林 ひいじいじだいすき ひいじいじながいきしてね そらより 谷戸ごとに烏呼ぶ声登富貴村 ご子息の俊光さんより、お父さまの遺句集上梓ごのお気持ちをうかがった。 無事父親の七回忌と併せて祖母の三十三回忌の法要を終えることができました。 その折り参会者に句集を持ち帰ってもらうことができました。 住職には法要の前日に挨拶に行った折、句集を一部お渡ししたのですが、法要の最中にふと見るとご本尊の前に句集がお供えしてあり感激しました。 また先日手渡ししたい方の所に持参したところ、私の手を取って喜んでくれました。 その方は、句集のタイトルを父に相談されたことがあり戸吹が良いのではと提案したのだそうです。 刊行できぬまま父が亡くなったので句集は出ないものと思っていたそうです。 「ああ、こういう字になったんですね」と仰っていました。 短い期間に丁寧に何度も点検してくださりありがとうございました。 校正のプロのすごさを見た気がします。 当初私が思い描いていたものより遙かにすばらしい句集ができました。 イラストを描いた曾孫達もその親たちも、とても喜んでいます。 故人もきっと喜んでいると思います。 お力添えいただきありがとうございました。 こちらこそ、ご家族の思いのあふれた良き遺句集をおつくりさせていただきました。 おまごさん、ひまごさんたちが大きくなっても懐かしんで手にとる、そんな一冊になったのではないでしょうか。 ありがとうございました。 朝顔の紺の深きは天に咲く 田中俊尾
by fragie777
| 2023-11-27 19:34
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