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11月14日(火) 旧暦10月2日
鈴掛の木の紅葉。 小布施にて。 ![]() 執筆者の大辻隆弘さんの岡井隆への情熱にあふれた一冊となった。 大辻さんは、本当はもっと解説もされたかったし、年譜も詳細に掲載されたかったのだと思う。シリーズでは語りきれないものがあると思うが、大辻さんの取り組みによって岡井隆の短歌の世界への一歩となる本になったと思う。 岡井隆には30冊を優に超える歌集がありその作品は膨大である。そこから百首を選んでの本著は、岡井隆の作品の魅力をあますことなく伝えたいという大辻隆弘さんの思いで編まれた一冊である。岡井隆への足がかりとしての優れたものであり、岡井隆という怪物(?)を読み解くための渾身の入門書であると思う。 いくつかの歌と鑑賞を紹介したい。 生きがたき此の生(よ)のはてに桃植(う)ゑて死も明(あ)かうせむそのはなざかり 生きがたきこの世。せめて最後に桃の木を植えて、花盛りの頃、そのもとで死ぬことができたら。岡井の胸には、そんな甘美な希死念慮が去来したのだろう。その心情を素直に吐露した歌である。 この歌も調べが実に美しい。初句の「き」の響き。第二句の「の」の連鎖。「明かうせむ」という音便を含めた第三句第四句のウ段音。第四句で鋭く切れ、結句に「そのはなざかり」という柔らかい音をふっと置く、その言葉のしつらえ。生の絶望と死への願望がこのように甘美に歌われていることに驚いてしまう。 オリーヴの沈む器(うつは)を打ち合ひてわれらはたのし母死に行けど オリーブの実を沈めたカクテルがある。マティーニである。母の葬儀を終えた親族が集まり食事をしたときそのマティーニが出た。一族はグラスを交わし乾杯をする。そんな場面を歌った歌だ。 この歌では、マティーニが注がれたグラスが「オリーヴの沈む器」と表現されている。このように柔らかく表現されると、まるでギリシャの神々が酒を酌み交わしているような典雅な情景が立ちあがる。死を契機として生き残った肉親は再会を喜ぶ。不謹慎だがそれは楽しい。生者は日常を生き続けるしかないのだ。 貴乃花までに帰ると言ひ置いてさす雨傘のみづあさぎいろ 大相撲の中継を見ながら不意に用事を思い出す。ちょっと外出する、と妻に告げる。そんな場面を活写した歌だ。 「貴乃花までに帰る」という言葉は「貴乃花の取り組みが始まるまでに家に帰ってくる」という意味だ。が、日常的な場面においてそんな長ったらしい表現はしない。岡井は、日常語の省略表現をそのまま歌に入れることによって、生活のリアルな感触を描き出そうとしているのだ。「みづあさぎいろ」も実にいい。きっと妻の傘を拝借したのだろう。 巻末の解説のタイトルは「調べのうたびと」 乱暴な抜粋となってしまうが、紹介をしたい。解説をしながら大辻隆弘さんは、その実例としてたくさんの短歌をあげてそれを実証されているのであるが、ここではその短歌は省略する。 このように岡井隆は、何度もその作風を変えた歌人であるが、その一方で、生涯を通して歌作の基底となったものが二つある。写実と調べである。 岡井は、その初学期にアララギの写実を徹底的に学んだ。日常の細部に目を凝らし、その動きや感触を言葉の質感として歌のなかで再現する。その技術は、彼がどれほど実験的な手法に手を染めようとも、生涯変わることがなかった。(略) もう一つ岡井の基底となったものがある。それは「調べ」である。私見を言えば、岡井隆はなによりもます「調べのうたびと」なのだ。 (略) 岡井は、第三歌集『朝狩』の「自序」で「短歌は究極のところ『うた』であり、『しらべ』であるという考えにわたしが到達するまで、長い間、迷路をさまよった」と記したが、その信念は、多少の揺らぎはあるにせよ、終生変わらなかったように思う。おそらく、岡井隆の一生には多くの悲傷や挫折があったのだろう。彼はそれを歌の調べに載せて歌った。 そうすることによって彼は、生き難いこの世を、ほんの少し離れた場所から眺め見ることが出来たに違いない。 現実を感覚的にとらえる写実の眼。現実をかすかに遊離する甘美な調べ。岡井隆という人間は、短歌を通じて身につけたその二つの力に支えられてこの世を渡ったひとだったのではないか。 最後にもう一首。担当のPさんの好きな歌。Pさんは後半部分の生活のみえる短歌が好きであると。 自転車に空気を入れてゐる男 行く所とこがあるつていいことだなあ 家の前で自転車のタイヤに空気を入れている男がいる。空気入れのポンプを手で押す。シューシューという音がしてタイヤが徐々に膨らんでゆく。きっと遠出をするための準備なのだろう。その様子を見た岡井は「行く所があるつていいことだなあ」と思う。心中のつぶやきを何の工夫もなく記録したような下句のラフさがいい。 岡井の口語の歌は当初、文語の香りを残した高雅さを保っていた。が、このころになると、無防備なつぶやきをそのまま記すような豪胆さが出てくるようになった。「所とこ」という言い方にも日常語の手触りがある。 ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ 岡井隆さんは、バッハがお好きだったようだ。 わたしはそれが嬉しい。。。 今日の午前中は、三人のご来客があった。 俳人の山田耕司さん、高山れおなさん、佐藤文香さん。 今年の夏に亡くなられた俳人澤好摩さんの『全句集』の刊行実現にむけてのご相談である。 去る11月4日にアルカディア市ヶ谷で行われた「澤好摩さんを偲ぶ会」は、山田耕司さんが中心となって行われたが、澤好摩さんを敬愛しているたくさんの人があつまってとても良い会となった。 その時に相談したい旨を伺っていたのだった。 山田耕司さんとしては、澤好摩の句集を読みたいと思う人々が手に入るかたちで全句集を残しておきたいという思いがつよくある。 また、最後の句集『返照』以後の作品も収録しておきたい。 ふらんす堂にある全句集や、佐藤文香さんが持ってこられた全句集などを参照にしながら、どういう形がベストであり、現実可能かを相談したのだった。 山田耕司さんの希望、高山れおなさんの意見、佐藤文香さんのアドバイスなどなど、いろいろと伺いつつすこしでも素敵な全句集となるようにと思っている。 左から高山れおなさん、山田耕司さん、佐藤文香さん。 山田耕司さんは、仙川にいらしたのがなんと35年ぶり。 「変わりましたね!」とそれはもう驚いていらした。 実は、山田耕司さんは、35年前わたしがまだ自宅の住所で仕事をしていたときにときどきアルバイトで来てくださっていたのだった。 子育てをしながら仕事をしていたわたしは、二人の子どもたちと遊んで貰ったりもした。 スタッフのPさんは、「山田のお兄ちゃんに会える!」と楽しみにしていたよう。 歳月は流れました。。。。 感慨深いものがあります。 山田耕司さま、高山れおなさま、佐藤文香さま。 今日は早くからありがとうございました。 よき全句集となるように頑張りましょう。 ![]() 鷹の舞う小布施の空。
by fragie777
| 2023-11-14 18:10
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