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10月31日(月) ハロウィン 旧暦9月17日
桜紅葉。 今日は税金などを支払う日。 M銀行に行ったところ、受付手続きがめざましくバージョンアップされて、ひとりにひとつパソコンが与えられ、そこからすべてを登録することになった。スタッフの女性がはじめてのわたしに説明をしようと丁寧にやさしく語りはじめた。 しかし、声がちいさいのかよく聞き取れない。 どうして、こんなに聞き取りにくいの?? (マイッタな) で、 はたと気づいた。 右耳にイヤフォンをして、ガンガン♫陽水♫を聴いていたのだった。 慌ててはずしたところ、 女性スタッフの声のみならず、 銀行のざわめきまでもクリアに聞こえてきたのだった。 よくやるのよ。。。 仕事時間に音楽は御法度にしよう。 M銀行、いままで30分以上待たされたのが、ほぼ5分で済んだのである。 すばらしい。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 178ページ 二句組 俳人・福島せいぎ(ふくしま・せいぎ)の第10句集である。昭和13年(1938)徳島市生まれ、俳誌「風」に入会し、沢木欣一に師事。現在は俳誌「なると」主宰。「万象」同人、徳島新聞徳島俳壇選者、俳人協会会員、俳文学会会員、国際俳句交流協会会員。 句集名の「箱廻し」について、福島せいぎさんは、以下のように「あとがき」に記す。 句集名は「箱廻し」とした。箱廻しは、阿波に伝承されてきた正月の門付け芸である。一時は滅ぶと思われた箱廻しを見事に世界の芸能として甦らせたのは「阿波木偶まわし保存会」の若い阿波の女性たちであった。 もう少し調べてみると、どうやら「人形浄瑠璃」の一つであるらしい。 徳島の人形浄瑠璃芝居は、幕末から明治にかけ全盛期を迎えました。箱廻しは、芝居小屋や農村舞台で演じられた『絵本太功記』や『傾城阿波の鳴門』などの人気外題を路傍で簡易に演じた大道芸です。 箱廻し芸人は、2人か3人が一組になり、ふたつの木箱に数体の木偶を入れ、天秤棒で担いで全国を移動し稼ぎました。数体の木偶を一人で操りながら浄瑠璃を語ります。 本句集中に「箱廻し」を読んだ俳句は10句以上ある。そのうちより3句紹介。 村の子が囃してゆけり箱廻し 箱廻し木偶の衣装の鶴と亀 御幣切る指美しき箱廻し 本句集の担当は文己さん。 声かけて少年の独楽父の独楽 冬の月かたちあるもの照らしけり 新生姜ばりばり噛みてながらへる 寺の子の涅槃図の裏くぐりけり 枯れてゆくものの光を湛へをり 書初は狸の筆と決めてをり 街へ出て僧と知られずサングラス 不漁の海眺め漁師の日向ぼこ 冬の月かたちあるもの照らしけり わたしも好きな一句である。「冬の月」がいい。凍えるような大気が支配する夜、もののかたちは寒さによる空気の固さによってその輪郭を露わにする。具体的ななにかを指すのではなく「かたちあるもの」と抽象化したところでよりリアルにその陰翳を浮き上がらせた。きわめてシンプルに詠まれているゆえに、読者の目には、冬の月のひかりと地上のかたちあるものとの照応がある静けさを伴いながら、つよく印象づけられるのだ。〈枯れてゆくものの光を湛へをり〉の一句も「枯れ」という季題そのものを詠んだものだ。 寺の子の涅槃図の裏くぐりけり 福島せいぎさんは、ご住職であられる。この「寺の子」は、あるいはお孫さんかもしれない。まだ小さな子どもゆえに「涅槃図」の意味もよく分からないだろう。そこには寝ている人間を真ん中にいろいろの動物やら鬼やら人間やらがいて、それぞれが嘆き悲しんでいる。そのくらいのことはわかるかもしれない。そして寺の子であるから、涅槃図は日常的に目にするものだ、涅槃図のまわりを走ったり、くぐったり、触ったり、そんな日々のある一こまなのか。この句の面白さは、「涅槃図」というある宗教的磁場をもったものと、そこから自由な子どもとを取り合わせて詠んだことだ。作者は涅槃図なるものを十分に理解しているが、子どもはその磁場をすり抜けて遊ぶ。涅槃図という季語がこんな風に詠まれるというのもおもしろい。話はそれるが、わたしが興味をもったのは、果たして「涅槃図の裏」ってどんなになっているのか。裏を見てみたいな。。。 書初は狸の筆と決めてをり 福島せいぎさんは、ご住職であるから、当然(?)書もなさるのだろう。書から縁遠いわたしが驚いたのは、「狸の筆」があるということ。で、調べてみたところ、「狸(たぬき)は毛先がまとまりやすく、弾力性に優れた毛質です。狸毛には、白狸と黒狸があり、白狸が上質とされています。美しい筆触が出せるので主に仮名筆に使用されています。」とあり、そうか、優れた毛質なのか。。。狸を見直そう。では、狐は? ちょっと面白半分に調べたところ、まあ、あった。「書道の筆に使われる狐は、イタチの毛質によく似て、弾力と切れ味に優れた特長があります。」いやはや、結構長い時間を生きてきて、なんともものを知らないyamaokaよって思ったわ。「切れ味に優れた」というところが、いかにも「狐的」でいいんじゃない。狐も見直そう。掲句、「狸の筆と決めてをり」とあるから、もう長い間狸の筆を使って来られたのだと思う。断定的な措辞に、「狸の筆」への心から信頼を思わせる一句である。 秋遍路杖新しく発ちにけり 作者が自選句にいれておられる一句だ。わたしも好きな句である。「遍路」は春の季語であって、春になるとたくさんのお遍路さんが札所巡りをするようだ。「秋遍路」は、「秋の晴天が続くころに遍路に出る人も見受けられる」と歳時記にあるように、まだそれほど寒くない時期に熱心なお遍路さんが巡礼に出かけるのだろう。「杖新しく」という措辞はいかにも秋の季節にふさわしい。大気が澄みわたりものの気配が明確なそんな時こそ、真新しい杖も輝いてみえるというもの。「杖新しく発ちにけり」という表現に、遍路人の清新の気がみなぎっている、そのように思わせる一句である。 島の子の楽しみなくて泳ぐなり この一句も自選句にあげておられる。小さな島なのだろう。そこで泳いでいる子たちがいる。島の子だから泳ぎはもう日常的なもの。この一句の「楽しみなくて」という中七は、作者の泳ぐ子どもたちへのひとつ解釈である。子どもたちが楽しみがないと思っているかどうかはわからない。いろんな楽しみを知っている島の人間ではない、あるいは島の子どもではない、大人の人間によってそう断定されたのである。わたしにはこの一句からは島の子どもたちが十分に楽しんでいる景が伝わってくる。ある意味島の子の特権を楽しんでいるとも。思うに子どもってどんな状況でも遊びを見つけるのは上手だ。この句は、「楽しみなくて」という大人の着眼が、すでに遊びというものから遠ざかってしまった大人の倦怠を感じさせたりもするように思えるのだが、どうだろう。 校正スタッフの幸香さんは、「〈太陽の宙にとどまる春の雪〉に特に惹かれました」と。 「春の雪」を詠んだ句では、〈あめつちの音を閉ざせり春の雪〉という句もある。 句集『火球』以後の作品から三百句を選んで本句集をまとめた。私の第十句集にあたる。 私の七十九歳から八十五歳のもので、この間、五十五年勤めた万福寺住職を法嗣大浄に譲り世俗的な肩書きもすべて返上した。これで、余生を釈尊や芭蕉のように旅を楽しみ、遊行のくらしができると思っていた矢先に、世界中に新型コロナウイルス感染症が蔓延した。 幸い、俳誌「なると」は令和三年九月に創刊五百号を迎えることができた。その誌面で、私は「明るく生き生きとした俳句づくりを目指して、俗に流れることなく、作品の文芸性を確立したい。写実を通して品格ある抒情を追求したい」と記しているが、この理念は今後も変わらない。 「あとがき」を紹介。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 「箱廻し」というタイトルの装釘は難しかったと思うが、君嶋さん、さすがにおもしろい意匠をもってきた。 集名はツヤ消し金箔 グレーの布表紙が品がいい。 扉。 紺と白の花布。 グレーの栞紐。 箱廻し来るころ山に雪つもる 文己さんによると、俳人でもある奥さまの福島吉美さんから、「あたなに似合わない素敵な句集」と言われたと笑って仰っていました。と。 福島せいぎさんは、台湾の俳人の方々と交流があり、台湾を代表する俳人・黄霊芝氏を師と仰いでおられる。 本句集にも台湾で詠まれた句が収録されている。 今回、福島せいぎさんは、この句集のために、『台湾俳句歳時記』を送ってくださった。 文己さん曰く、 黄霊芝先生の台湾の歳時記を頂き、台湾の季語を知ることができて大変勉強になりました。 夏燕布袋の臍を出入りせり 台湾には、民間信仰としての布袋様をおまつりする風習がある。 ペタコ鳴くかつて湾生住みし家 ペタコは鳥の名前。湾生は台湾に住んだ日本人。 豊富な写真入りのこの歳時記をめくっているとそれはもう知らない季語ばかりで、台湾固有の歳時記がこのように編まれているということもはじめて知ったのだった。 台湾の混沌が好き蓬餅 福島せいぎ
by fragie777
| 2023-10-31 19:49
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