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10月30日(月) 旧暦9月16日
秋薔薇。 今朝は、「沈香」の香を炊いた。 ここで、香についてなにかひとくさり語ることができればいいのかも知れないが、別に語ることなんてない。 ただ、朝のひととき、家中にお香のそこはかとない香りがただようのは悪くない。 およそがさつなyamaokaには、似合わないでしょ。 でも、毎朝といっていいくらい香を炊く。 当初は、飼猫の日向子が玄関を中心に粗相をしてしまうので、その匂いを消すために炊いていたのだが、日向子亡きいまも香を炊くことは日課となってしまった。 昨日、神戸ベイシェラトンホテル&タワーズにて開催された俳誌「諷詠」(和田華凜主宰)900号記念祝賀会について紹介したい。 スタッフのPさんが出席。 以下はPさんのレポートより。 * * * 10月29日、神戸ベイシェラトン ホテル&タワーズの六甲の間にて、「諷詠」900号記念祝賀会・和田華凜句集『月華』星野立子賞受賞記念会が華々しく開催されました。 ご挨拶される和田華凜主宰。 「一滴の水は流れ始めました。この一滴の水が大河となることを願っております」という「諷詠」創始者の後藤夜半の言葉を引用され、 一滴の水が現在大河となったかどうかは分かりませんが、夜半の一滴の水が祖父の比奈夫へと続き、立夫そして私四代目華凜へと耐えることなく流れ続けているということ、きっと天国でも喜んでくれているのではないかと思います。 先人たちの教えを胸に、私たち諷詠は「深く見て新しく読む」という「深観新詠」という作句精神で歩んでおります。これからも皆さんの輝ける場所として、諷詠がいつまでも続きますよう願っております。 とご挨拶。 ご挨拶の前に、謡いの「鶴亀」を披露されました。 喜多流では「月宮殿」という歌だそうです。 華凜主宰はNHKの謡曲の神戸教室に通われてまだ3ヶ月ということでしたが句集月華』も刊行され、滝の夜半、花の比奈夫、祭の立夫、そして月の華凜と呼ばれる四代目諷詠主宰にぴったりのめでたい曲を自ら歌ってお祝いの日を寿がれました。 まだ3ヶ月で歌うなんて、すごい度胸でしょうと明るく朗らかに微笑まれ、結社「諷詠」の華やかさ、暖かさが伝わりました。 「諷詠」900号記念として刊行された『月華抄』 「諷詠」誌上の「巻頭言」に書き続けられたエッセイの80篇をまとめられたもの。 「喜びも悲しみも心のままの言葉で書いたものですので、読みづらい点も多々ある事かと思いますが、主宰となりこの七年間俳諧の道を歩み続けたありのままの私自身の思いです。どのページからでもお気軽にお読みいただけたら幸いです。(「『月華抄』序にかえて」より) 「行け 華凜」と題した父後藤立夫氏との別れについて書かれた文章のはじめの方を、紹介したい。 神戸赤十字病院の病室で小さなかすれた声で父が言った。「いろんなところへ行って、いろんな人と会え……」「いろんなところって?諷詠の句会でけじゃなくて?いろいろ?」と私が聞くと父がうなづく。「地方の諷詠会とか?」又父がうなづく。「伝統俳句会や俳人協会とか?」又父がうなづいた。亡くなる一週間程前のことだ。父の遺言だと思った。父が亡くなり主宰となった時、このことをまず実行しようと決めた。そして九月に入り実行する。 九月三日、台風の近づく九州へ私は上陸した。 海峡を渡りて月の客となる 華 凜 和田華凜主宰をはじめ、「諷詠」の皆さま、 900号まことにおめでとうございます。 また、改めて星野立子賞のご受賞おめでとうございます。 本来なら、私(山岡)が伺ってお祝いを申し上げなくてはなりませんところを失礼をいたしました。 ご盛況であられたご様子、なによりと存じます。 華凜主宰をはじめ、皆さまのますますのご健吟をお祈りもうしあげております。 比奈夫先生の電話のお声をときどき思い出しては、スタッフと懐かしんでおります
by fragie777
| 2023-10-30 18:31
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