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10月18日(水) 蟋蟀在戸(しっそくこにあり) 旧暦9月4日
仙川沿いの赤蜻蛉。 たくさん飛んでいたが、みな止まるときはこんな風にうなだれて。 最近ふらんす堂のスタッフの間では、眠りの話題がもっぱら。 みな携帯に健康管理アプリ(?)を落として、点数を言い合ったりしている。 わたしもずっと計測しているのだが、ふらんす堂でいちばん睡眠時間が短いことがわかった。 昨夜は4時間51分、その前が5時間49分、その前が5時間8分。6時間眠ることはない。 早く起きてしまうのではなくて、寝るのが遅いのである。 昨夜は1時25分に寝ついた。その前は0時25分、0時前に寝ることはここ一ヶ月の間一度もない。 しかし、点数(がでる)はそれほど悪くないのである。 たっぷり寝ているほかのスタッフと比べても。 だから相変わらず夜更かしをしている。 このブログを見ている方はいかが。。。 ちゃんと寝てまして。。。 今日も新刊を紹介したい。 詩集である。 A5判ペーパーバックスタイル帯なし 142頁 著者の橋本和彦(はしもと・かずひこ)さんは、1964年大阪生まれ、現在は大阪・堺市在住。詩集に『細い管のある風景』(1990年詩学社刊)、『鼓動』(1998年石の詩会刊)、2007年に作品「直線」で、第22回国民文化祭の「文部科学大臣賞」を受賞。2013年まで「石の詩」同人。現在は、日本詩人クラブ会員。本詩集は第3詩集となる。全体を4章にわけ、散文詩も多く収録。わたしは散文詩に好きな作品が多かった。 担当は文己さん。 まずは文己さんの好きな詩「十二月の空」「「雨と理由」「清明」より一篇のみ「清明」を紹介したい。 長い詩が多いので比較的短いものを。 清明 桜が一気に咲き満ちて 見渡す限り 柔らかな賑いをほどこされている 公園のところどころでは 連翹の黄と、雪柳の白が 鮮やかな色で噴きこぼれている まるで示し合わせたかのように咲き集うのは 大地に漲る春の息吹が 逬り出るからではないだろうか 真昼の空に星はなく 綿雲が音楽のように流れてゆくばかりだが あの青空の向こうに確かに廻る天球があって 星々が美しい記憶のように 私を遠く取り囲んでいる 昨日と変わりなく、胸の一隅に痛みがあって 屈託なく笑うことなどできないのだが こんな日に外に出て 花に向き合うのはいい 私たちも確かに自然の一部で とどめ得ぬ息吹のいくばくかを 頒ち持っているように思えるのだ この世界には時折 不思議な光を放つものがある 全ては生命に繋がっている そう信じて 今日なら今日、明日なら明日の一日を まるで永遠の生命があるかのように 輝いて、生きることならできるのだ 「胸の一隅に痛みがあって/屈託なく笑うことなどできない」人間が自然の万物の息吹によって癒やされ勇気づけられていく詩か。 本詩集には、いろいろな手法によって作品が書かれていて多彩なのであるが、わたしがおもしろく読んだのは、「棒」とか「木の哲学」「線香花火」「人差指」の表題のもの。タイトルでもわかるように、まず「物」がある。それについてのかなり綿密な物理的解明というかアクセスがなされ、そこから詩的思索へと展開していくのだ。それがかなり独特な発想で、予想外のところに着地したり深い気づきを与えられたりして、こういう詩もあるのかと思ったのだった。詩の作品を全部紹介すべきなのであるが、比較的短いもので「線香花火」をここでは紹介しておきたい。 線香花火 線香花火に火を点けると、溶解した物質が、末端で球状に収斂する。 それは「玉」と呼ばれ、線香花火の燃焼を維持し、支配する存在で ある。「玉」は、最初は表面が泡立ち、時にいびつな形になったり もするが、やがて、一つの意志を持つもののように、全き球形に沈 静する。しかし、決して安定しているわけではなく、もし多少とも 持つ手が揺らげば、その動揺によって、末端の「玉」は落下する。 存在するものは全て、危機と隣合せにあるとはいえ、線香花火の儚 さは、一種独特のものである。他の花火が全て、一定時間の燃焼を 約束されているのに対して、線香花火は、常に終焉と向かい合って いる。それゆえ、線香花火を持つ者は、じっと息を潜め、まるで心 臓の音に耳を澄ますかのように、見守り続けねばならない。 やがてささやかな賑いが訪れる。羊歯類の葉脈のような形の火花が、 発せられては消える。そして次の瞬間、別の方向に火花が飛び出す。 この明滅を繰り返しているうちに、火花は弱く静かになり、その形 状も次第に柳の葉のように、細く滑らかになってゆく。線香花火は 他の花火と異なり、色や光や音で、見る者を圧倒したりはしない。 むしろその静けさによって、見る者を引きつける。線香花火は闇と 交感する。見る者の心の隅を照らし、過ぎ去って帰らぬもの、普段 は目に見えぬものを照らし出す。火花が尽き、「玉」が痩せ衰えると、 もう次に何も起こりはしないのだが、燃え尽きた花火を手にしたま ま、人は時折、身動きすることさえ、忘れていたりするのだ。 どうだろうか。「線香花火」に綿密な観察がなされ、人と線香花火との特別な関係性がうかびあがる。 たとえば「人指指」の詩の書きだしはこうである。 手の指は、五指それぞれに異なった役割を担っている。その中でも 人差指は、際立って特異な存在である。取っ手を握る、拳で殴るな どという動作においては、五指の一つとして、協同と調和に服して いる。しかし一方では、単独者としての側面を持っている。いずれ か一本の指で何かを為す場合、それは決まって人差指である。 この人指指への考察。「単独者」というのが気に入った。この詩もかなり長い散文詩であるが、わたしはこの詩を読みながらときどき「人指指」をじいっと眺めたりした。是非全部を紹介したいところであるが、終わりの章を紹介しておきたい。 世界は闇に沈む混沌である。実に多くの事物が、絡み合って存在し ている。当然、全てを理解することはできないし、概略のみを適切 に把握することも難しい。そのような世界の中から、人差指に指さ れたものだけが、明らかになる。他と区別され、意識され、名称を 与えられる。次々に人差指を向けると、依然として闇に閉ざされた 世界から、例えば家紋が、廻廊が、伽藍が、戒律が、息づき始める。 肉体が滅びつつある時でさえ、人差指は、その動きを、止めようと はしない。 「人指指」のあらたなる使命がみえてきたように思った散文詩だ。詩人の橋本和彦さんは大まじめでこの詩をかかれているのかもしれないが、どことなくユーモラスにも感じられるとことろがいい。「人指指」を大事にしたい。。。 このように本詩集において、詩人の橋本和彦さんの「物」への独特なアクセスと見解、そしてそこから生み出された固有の思索と哲学、それが詩のかたちをとって作品化されている。と。 本詩集の装丁は、君嶋真理子さん。 「魂の物差し」というハードルの高い集名を抽象化したデザインでシンプルにつくりあげた。 扉。 「木の哲学」と題した詩を紹介したい。 木の哲学 木は互いを認知しない 林を見て群れていると思うのは 人間の悪しき感情移入であって 木は各々がただの一本として屹立している 木が認識しているのは頭上の空であり 根が食い入っている大地である たとえ枝々を広く差し伸べていようとも それは握手を求めているのではない 木を満たすのはそれぞれの語彙と語法であり 敵意や厭世観ではない 木は単に自分の課題に向き合っており 孤独を感じることも愛を求めることもない 木の表皮が厚く無骨であるのは偶然ではない 木の内面はそれぞれで全く異なっており 一本一本が全く別の生き物とも言える程だが 内面集中度の高さにおいては近似している 木は自らの生命を展開し全うするのに忙しい それは水分や養分を取り入れることであり 呼吸や光合成を行なって成長することであり さらにはその果てに枯渇していくことである 木は各々がただの一本として屹立している しかし木がその使命を終えようとするころ 厚く無骨な表皮を持つ何かに 不意に倒れ掛かられることがある あるいは枯渇し衰弱し切った果てに 自分こそがドウと倒れ掛かることがある そのとき初めて木は互いを認知し 空も大地も違った意味を帯びるようになる 神代植物園の桂の木たち、である。 上梓後のお気持ちを橋本和彦さんにうかがってみた。 たくさんお言葉をいただいたのだが、抜粋して紹介したい。 『魂の物差し』は、長さを測るためではなく、真っ直ぐな線を引くためにだけ使うんです。どうしても手助けが必要な時があるんです。そんなことを書いた詩集です。 幼いころから、ある種の「生き辛さ」を感じ続けてきたように思います。そのころはまだ「生き辛さ」という言葉さえ知らず、痛みをただじっと堪えていたように思います。 中学生になると「書く」ということに意識が向くようになりました。「書く」ことによって「生き辛さ」を表現しようと思い始めたのでした。ほどなく教科書に掲載された、谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」という詩に出会いました。私がこの詩から学んだのは、詩とは構築物だということでした。谷川さん自身が随筆の中で、詩作を模型飛行機の製作に喩えておられますが、正にそういう構築物としての詩を感じました。「私が詩を書くならこの方向で行こう」と、そのときに決めてしまったのです。つまり、感情をストレートに吐露するのではなく、構築物の部品の一つとして、悲しみや孤独を(「生き辛さ」の諸相を)組み込んでいこう、と。 橋本和彦さん 25年間に亘ってほそぼそと書き続けてきた作品たちがひとつの「カタマリ」に思えたのは、私にとっては非常に大きいことで、詩集にまとめて本当によかったと思います。 橋本和彦さま。 校正スタッフのみおさんは、「リンゴと落下」、幸香さんは、「完璧な図形」が好きだったということをお伝えしておきますね。 この詩集について、詩人の小笠原鳥類さんが、 「橋本さんから詩集をいただきました。『魂の物差し』についてnoteを書きました。」教えてくださった。 →https://note.com/ogasawarachorui/n/n1822581c44bc 是非にアクセスを。 公園のベンチのわすれもの。
by fragie777
| 2023-10-18 19:54
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