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10月12日(木) 旧暦8月28日
今日は予期せぬ出来事がおこってしまった。 パソコンが再起動とともに更新をはじめたのはいいが、それが長時間におよんでしまった。 そのため、パソコンがつかえず、予定していた仕事がすべてフリーズしてしまったのだ。 なんともいやはや、である。 しかも4時間後にわがパソコンは「更新はされませんでした」と平然と告げたのである。 そりゃないんじゃない!ってわたしはパソコンに向かって抗議したが、 わたしの抗議なんて歯牙にも掛けず、すましかえっている。 結局はわたしの方が折り合いをつけることになって、ややサボりがちなパソコンをなだめながら仕事をすることになったのである。 こういうのって疲れるわ、ほんと。 午後は時間をとりもどすべく、無茶苦茶がんばった。 こういうわたしを褒めてほしいな。。。。 さて、 気をとりなおして、新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯あり 186頁 2句組 著者の宮本素子(みやもと・もとこ)さんは、1964年栃木県足利市生まれ、現在は横浜市在住。1998年「月刊ヘップバーン」入会、「月刊ヘップバーン」終刊後、「俳句座☆シーズンズ」を経て、2011年「鷹」入会、小川軽舟に師事、2015年「鷹」同人、2016年「鷹」新葉賞受賞。現在「鷹」同人、俳人協会会員。本句集は第1句集であり、小川軽舟主宰が序を寄せている。抜粋して紹介したい。 句集名の「ミニシアター」は素子さんの挙げた候補の中から相談して選んだ。 秋の夜のミニシアターのロビーかな 商業映画が観客動員を競うシネコンではない。一握りの映画ファンの心を満たす作品を選んで上映する小さな映画館なのだ。秋の夜のロビーには、これから出会う映画への期待が、あるいは見終わった感動の余韻が、静かなさざなみをなす。 この句集を読む楽しみは、ミニシアターに通う楽しみに似ている。映像と音響とストーリーの迫力で観客を圧倒する大作より、観客の生き方にそっと寄り添うような佳品を揃えてファンを迎える。ミニシアターを出る客は、いつもと変わらない世界がいつもより親しみを増して見えることに気づくのである。 掲句からもわかるように、軽舟主宰は、ほかに〈休講の九十分を緑陰に〉〈営業部出払つてゐる雷雨かな〉〈ドアマンの大きな傘や冬木の芽〉などの句をあげて「素子さんの俳句は都会的である。」とも記す。 担当のPさんによれば、宮本素子さんは、ソウル・ライターの写真がお好きということ、そして、ご自身が語るところに寄ると「自身を詠んだ句や、雨や傘の句が多いという気がしている」ということである。 Pさんの好きな俳句は、 麻服を遣らずの雨に濡らしけり 割勘に集まる小銭秋暑し 早梅や男を待たせ引く神籤 朝顔や家族は同じ鍵を持ち 日脚伸ぶ道草好きな犬の鼻 一句目は雨の句である。 麻服を遣らずの雨に濡らしけり この一句を読んで、わたしは恥ずかしながら「遣らずの雨」の意味をただしく把握していなかった。「人を帰さないためであるかのように降ってくる雨」とあり、意味をさらにさぐれば、たとえば友人と会っていたりして、もう帰らなくてはならない時刻になったその時に急に降り出したりする雨のことか。この句季語の「麻服」が主人公だ。この麻服は外出着なのである。おしゃれして麻服をきてでかけての「遣らずの雨」である。しかし、もう帰らなくてはならない。「濡らしけり」に帰らんとする意志がみえている。そして濡れてしまった麻服の重さを感じさせる一句であり、「遣らずの雨」が意味をふかめている一句であると思った。 早梅や男を待たせ引く神籤 早春のお寺の一角の景かしら。よくある風景かもしれない。神籤を引いているのは女性だろう。そして男女の若いカップルか。女子は概して神籤好きかもしれない。この句、神籤によってもたらされる運命(?)に女は目下心を奪われている。男はすこし離れて所在なさそうにしているけど、まあ、神籤に全神経を集中させている女を好ましくは思っている。「早梅」の季語が、この二人の関係を初々しいもののように暗示している。が、男をまたせることはあまり気にしていない女である。ということは結構親しい関係かもしれない。などなどいろいろと憶測してしまう。そして、である。もし、この神籤に「現在交際中の男とは別れるべし」などとあったら、どうしちゃんだろう。その後の女の複雑な心境を思ったりして、ふっふっ…と意地悪なわらいをうかべてしまいそう。 しくじりし日や沢庵を嚙めば音 この一句はわたしが好きな一句である。まず、「しくじりし日や」という言葉におおいに共感をもった。ほんとうにしくじってばかりのyamaokaであるので。俳句でこんなことも詠めるのかと。そして、悲しみにおちこみ反省をされているのかと思ったら、「沢庵を嚙めば音」って沢庵を噛んでいるだけなの!?ってずいぶんノンシャランとしておられるわと思ったのだが、いやそうではないのだ、沈んだ心で沢庵を噛む。日頃はその音なども聞こえずに沢庵をガシガシ噛んでいても、今日のようなしくじってしまってもう意気消沈しているこの身には、その沢庵の音がやけにおおきく響いてきて、その音にやるせなさを感じるばかり。心は沈み、沢庵の音だけがむなしく響く。「しくじり」に「沢庵」という意外性がおもしろい一句だ。 スケボーが風の尖端五月来る この一句、軽舟主宰も序文にとりあげ、著者も自選句として選んでいる。気持のよい巧みな一句だと思う。宮本素子さんは、スケボーをなさるのかしら、それともスケボーをしている人間を活写したのかもしれない。自身がスケボーに乗っている句としても、あるいはスケボーの人を描いている句としても情景が見えてくる一句だ。「風の尖端」が巧い。スケボーの先の突出がみえてきて、それが風を引きつれているような感触、もうそれだけで清新の風を感じる。そして「五月来る」で王手だ。上五中七で一気に詠み、下五に「五月来る」をおき、スピード感のある一句に仕立てた。いま、軽舟主宰の序文を読み返したら、「「風の尖端」に清新な勢いがある。まるで作者自身がスケボーで疾走するようだ。」とあり、そう、これよね。多くを語らず的確に。。。あはっ。 ハンガーを滑るブラウス神の留守 取合わせの一句である。「神の留守」の季語がいい。宮本素子さんも自選にいれておられる。ブラウスだからきっとシルクのような手触りのものでしょう。そういうのってよく滑るのよね。わたしもわずかであるがそういうブラウスを持っている。日常のこんななにげない暮らしの手触りを巧みに詠んで、「神の留守」という季語に取り合わせた。日常の些事が、神というものをよびおこす、しかも不在の神、そして硬いハンガーを滑り落ちるやわらかなブラウス、そのブラウスのわずかな端の一瞬が、神の残した気配にふれている。 校正スタッフの幸香さんの好きな一句は、〈今朝の秋トング鳴らしてパンを選る〉「「鷹」の憧れの先輩である素子さんの句集の校正に携わることができて光栄でした。」と幸香さん。 広告の仕事をしていた時に資料として手に取った歳時記。それが俳句との出会いでした。日本語には、季節を十七音にする要としての言葉が、こんなにもあったのかと圧倒され瞬く間に魅了されてしまったのです。(略) 句集名は「秋の夜のミニシアターのロビーかな」からとりました。この句集の中の一句が、ミニシアターで上映される映画のように、どなたかの心に届いたら嬉しいです。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は、和兎さん。 ソウル・ライターの作品が好きという宮本さんのお気持ちにお応えすべく、その作品のイメージに近いものをとあれこれ和兎さんは、考えたようだ。 ソウル・ライターにも都会の雨を撮ったいい写真がある。 全体をモノトーンの雰囲気で色をおさえた。 さびしげで孤独をおもわせる後ろ姿。 扉。 つなぎし手離れて春を惜しみけり 去りゆく春を惜しむ気持ちが駆け出して、つないでいた手がいつの間にか離れていた。人とつながっている幸せを感じて生きていても、ふとした時に一人きりで世界に向き合っていることに気づくことがある。そのような時にこそ、詩は人の心に降りてくるものだろう。(小川軽舟/序) 句集上梓後のお気持ちをうかがった。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? 我が子に素敵な服を着せてもらえたような感じがしました。仕事との両立などに悩み、俳句を続けるのがしんどい時期もありましたが、止めずに良かったと、心底思いました。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 俳句との歩みがいつの間にか長くなり、時に緩んでしまいがちな日々に、刺激を与える好機と思いながらの作業でした。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 句をまとめながら、同じ季語を何度も使っていたりなど、自分の欠点も見えてきて反省することが多かったです。トホホ~でしたが、それも発見かな、と。 今は、句材の引き出しも空っぽでですが、むしろそういうしんどいタイミングに句集をまとめることができて良かったと前向きにとらえています。 心機一転!!ですね。 「心機一転」 良い言葉ですね。 ソウル・ライターはわたしも好きです。 写真集は二冊もっています。 都会の人間の風景がいいですよね。 フェラーリが女を拾ふ冬木かな この句、羨ましい。 わたしもフェラーリに拾われたい。。。。。
by fragie777
| 2023-10-12 20:03
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