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10月6日(金) 旧暦8月22日
今日も結構さむい。 風邪をひかないようにしなくてはと、わたしは丹田に気合いをいれた。 ヨシっ。 と歩いて仕事場へ。 矢川緑地の秋草にふちどられた木道。 ままこのしりぬぐい。 露草。 そして、 食事中の女郎蜘蛛。 じいっとみていたら、活発に顎をうごかして旺盛な食欲をみせていた。 獲物はどうやら虫のようだ。 カリカリと音がしてきそうな咀嚼ぶり。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装クータバインディング製本帯有り 190頁 二句組 南十二国(みなみ・じゅうにこく)さんの第1句集である。南十二国さんは、1980年新潟市生まれ、新潟市在住。2006年「鷹」入会、2007年「鷹」新人賞、2009年「鷹」俳句賞を受賞。現在「鷹」同人、俳人協会会員。小川軽舟主宰が序文を寄せている。 とうとう南十二国さんの句集をおつくりすることができた。感慨無量である。というのは、2007年「鷹」の新人賞を受賞されたときからずっとひそかな南十二国ファンだった。俳誌「鷹」がとどくとまっさきに十二国さんの俳句を読んだ。「鷹」の方にお目にかかると「南十二国さん、いいですね」って言ったり、親しい俳人さんには「鷹」には南十二国という俳人がいて作品が好き、なんて言ったりしてきた。句集をつくらせてもらいたいなあっておもいつづけてきたのだった。こんなyamaokaのささやかな気持はたぶんどなたも心にとどめておられないだろうけど、そう2007年からということは、かなり長い間南十二国ファンだったのだ。しらなかったでしょ、南十二国さん。 そんな南十二国さんの句集を目のまえにして、これからすこし紹介をするわけだけれども、ちゃんと書けるかしら。って、いいわ、いいわと言い続けてきたわりにはダメじゃないなんて言われてしまいそう。 でも、大丈夫。 小川軽舟主宰がとびきりすてきな序文を書かれているのだ。だからまずそれを紹介したい。 もうそれだけでいいくらい。 しかし、全部を紹介するわけいにはいかないから、抜粋となってしまうけど。 脳みそに従ふからだ蟻つまむ 木犀や恋のはじめの丁寧語 美しといふ語美し夕焼雲 雨のよさ言ひあひ初夏の林行く 春光や「深つ! 」と少女谿覗く 水たまりわつしやんと踏み割れば夏 私を驚かし続けた俳句の数々から、取りあえず十句引いてみた。言葉は平明で難しいことは何も言っていない。けれども、俳句が初めて世界と出会ったような新鮮な瞬間が、それぞれの句に刻みつけられていると感じる。それはもとより、彼が俳句を通して見たこの世界自体がこのうえなく新鮮だからだろう 「俳句が初めて世界と出会ったような新鮮な瞬間」、いいですねえ。 飯食へばてのひら熱し冬の山 家事了へし女に逢ひぬ冬の月 遊んでゐる奴には負けぬ蛾を払ふ こうした句に見る生身の男の実感もまた十二国さんのもの。そして、彼にとっては、純真さも男くささもどちらも噓偽りのない自分自身なのだ。 十二国さんの句集を待望する人は多かった。私もその一人だが、彼自身は関心を示さなかった。 私たちにとって幸いなことに、強く後押しする人が現れて、ついに十二国さんの句集が世に出る運びとなった。私たちはこの句集を通して、彼の幸福を追体験し、いつまでも共有することができる。 軽舟主宰は、この序文でジム・ジャームッシュ監督の映画「パターソン」の主人公のパターソンに十二国さんを投影させている。パターソンと十二国、意表をつかれ、そして、しごく納得もした。また、超多忙な軽舟主宰がかの「パターソン」を観ていたということも驚いたのだった。 「鷹」の方が、この序文を評して「ラブレターのよう」っておっしゃっていたが、本当に素敵な文章である。 さて、句集の担当はPさん。 暖かし耳を模様と想ふとき 掌を使ふけものはやさし木の実熟る 重機みな途中のかたち暮れかぬる 家々に水ゆきわたり春夕 嘴を持たぬさみしさ干潟行く 寒林は読まるるを待つ詩のごとし 萩咲けり顔の真中がねむたき日 Pさん曰く、「南十二国さんは、表現することで自分を活かしているのではないだろうか。かなり切実に…」 そして「宮澤賢治の世界に通じるような優しさがある」と。 掌を使ふけものはやさし木の実熟る 「掌を使ふけもの」って思うといくつかの動物がうかんでくる。木の実がふっているなかでそれをつかんでたべている動物をみているのだろう。その様子を「やさし」と捉えるのが南十二国さんだ。もうすこし冷徹に観て、それを写生するという方法もある。しかし、十二国さんのけものとの距離感は心情においてきわめて近いのだ。〈嘴を持たぬさみしさ干潟行く〉という句もあって、こちらはけものではなくて、鳥をながめての一句である。こちらの感情はさみしいである。人間であることの欠落をさびしんでいる十二国さんだ。つまり、十二国さんにとって、生きとし生けるものは、おしなべて等身大なのである。支配する対象でもなく支配される対象でもなく、ぎりぎりの存在の近さにいて共鳴しあうというか。 寒林は読まるるを待つ詩のごとし 「寒林」をこんな風に詠んだ俳人はいただろうか。寒林のもっている枯れをつくした寒々しい空間、生産よりも消滅にむかってきわまったそれを、詩の言葉がうまれ出づる場として詠んだ。言葉の力を信じそれによって生きる詩人ならではの一句だ。これはPさんが選んだすきな一句である。 わが裸鏡に映る素朴なり 句集の前半にある一句だ。序文で軽舟主宰も「目を引く句」として紹介をしている。この一句は、下五の「素朴なり」につきると思う。鏡に映った自身の裸を、「素朴」とは。素朴を辞書でひけば「ありのまま」とか「飾らない」とかであって、それをそのまま鏡に映った姿に適用すれば、なんの面白みもないし味わいもない。当ったりまえじゃん、ということになる。しかし、ここに「素朴」という言葉がおかれることによって、わたしたちはこの俳句を通して「素朴なり」ということばの意味をもう一度みつめなおすことになるのだ。それは「飾らない」とか「ありのまま」が意味するものではなくてなにかもっとそれ以上のもの、十二国さんが自分の裸に心を動かされた大切な何か、だ。それに触れるような思いにさせる一句なのである。わたしはこの一句がとても好き。 掌の無垢のひかりや冬の草 十二国さんは、さきほどの「裸」の句ではないが、身体の部分をよむ句もおおい。この「掌」についていえばほかに〈掌を使ふけものはやさし木の実熟る〉〈マザー・テレサの掌は熱からむ百日紅〉があり、あるいは、「手」ならもっとたくさん〈ねむるとき手に手が触れぬ星祭〉〈はたらく手指にてんたうむしが来る〉〈短日の詰め放題にむらがる手〉などなど。手にかぎらす、「足」「耳」「指」「首」「脳みそ」調べればまだまだありそう。つまり十二国さんは、身体をとおして世界を感知するのである。おもうに句をはじめから読んでいくと、多くは人間の気配のする句が圧倒的だ、それと同時に、人間をはなれて自然や時空や物を詠んでも、擬人的に詠みこんでいることが多い。〈人類を地球はゆるし鰯雲〉〈春の空早くあしたへ行きたしよ〉〈本開けて字のまぶしがる木の芽かな〉〈よき山はよき川育て行々子〉〈太陽は闇を押しあげ厚氷〉等々、つまりこれもまた等身大なのである。すべてが十二国さんの傍らに寄りそうがごとく、あたかも交信をしているがごとくだ。南十二国という俳人は森羅万象と「親和」しているのである。その明るい眼差しの向日性にわたしたちは惹かれるのだ。 ロボットも博士を愛し春の草 ロボットもまた愛にあふれているのだ。 雲高きさみしさに水澄みにけり さみしさも、気持ち良く澄んでいてどこか明るい。 『日々未来』は私の第一句集である。 俳句を読んだり書いたりしはじめたのは、二十歳の頃。今から二十二年前だ。つまり当時の私から見ると、いま私が生きているこの場所は、二十二年後の未来の世界ということになる。二十二年という年月のあいだには、いろいろなできごとがあったけれど、そのひとつひとつを振り返るいとまを今の私は持たない。ただ、おりおりに書きとめてきた十七音の日本語は、オルゴールのなつかしいしらべのように、過ぎ去った遥かな時間を優しく揺り覚ましてくれる。夢見がちな二十歳の青年は、日々に勤しむ四十二歳の中年になったのである。永く遠いようで、その実ごくかぎられた眩いひとときひとときを私たちは歩んでいる。(略) 雪国の小さな町の道ばたで、偶然私に拾われたにすぎない言葉たち。そんなささやかな言葉たちが、青い地球の風に乗り、だれかの心をやさしくくすぐる。そのだれかはふわりと微笑む。そんなことをとりとめもなく考える時間が、私にとっての至福のひとときだ。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 装画は、ひめのダイヤ「青い飛躍 赤い挑戦」と本文に記されているが、南十二国さんによるもの。 この装画について、「絵は小さなころからすきでしたが、俳句のようにどこでもパッと作ることができないので、いつの間にか俳句にかける時間のほうが長くなりました。」と南さん。 タイトルはツヤ消しの金箔。 画筆のタッチに勢いがある。 表紙は青。装画の色をとった。 見返しは赤。これも装画の色。 扉。 クータの部分は見返しとおなじ。 水たまりわつしやんと踏み割れば夏 十二国さんがこの句集に自ら与えた『日々未来』はとてもいい名前だと思う。(小川軽舟/序) 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 (1)本が出来上がってお手元に届いたときのお気持ちはいかがでしたか? ダンボールに入った贈りものが届いたようなきもちでした。 (2)初めての句集に籠めたお気持ちがあればお聞かせ下さい 俳句を通して出会い、お世話になった方々に、喜んでもらえればいいなという思いをこめました。 (3)句集を上梓されて、今後の句作への思いなどございましたらお聞かせ下さい。 まだ俳句になっていないことばが身のまわりにたくさんあるので、そのような未知のことばを発見する瞬間がとても楽しみです。 俳誌「鷹」の皆さんは、待ち望まれた南十二国さんの句集刊行をとても喜んでおられることと思う。 「鷹」の皆さんに愛されてのこの度刊行となったことをわたしも喜びたいと思う。 先日このブログにも書いたが、初版はすでに在庫がとぼしく再版が決定し、まもなく出来上がってくる。 たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう ほんとうにわたしもそう思いましてよ、南十二国さま。
by fragie777
| 2023-10-06 20:24
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