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10月5日(木) 旧暦8月21日
ここの庭はかつてはお殿さまのお庭だっただけあって、すべてが端然としている。 わたしはもっと野趣のある庭が好き。 6日の出来上がりとふんでいたが、一日はやく出来上がってきた。 わたしもなかなかまとめて読む機会がなかったが、今回百句にふれてみて、いい句がおおく「六林男発見」につながる一冊となった。 しかし、鈴木六林男という俳人は戦争を抜きにしては語れられない俳人であることをあらためて思ったのだった。 いくつか句と鑑賞を紹介しておきたい。 射たれたりおれに見られておれの骨 『荒天』 一九四九年刊 「海のない地図 Ⅱ 海のない地図」より。戦場俳句の終盤の、「負傷」と詞書のある中の一句。ここには、すでに戦場をめぐる具体的な情景描写はない。ただ「おれの骨」と、それを見ている「おれ」の眼差しだけが切り取られている。ひとりの主体であるはずの「おれ」が、〈見るもの〉と〈見られるもの〉に分身化し、いわば解離に晒されている。まさに、凄絶なシーンだ。後々まで、〈骨は白かった〉と語り続ける六林男。戦場体験は作者の身心に深い傷をとどめたまま、ここから執拗とも言える戦争への問いと生きることへのこだわりが始まる。 暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり 『谷間の旗』 一九五五年刊 「遠き背後」より。何よりも「眼玉」のみがクローズアップされた印象的な一句。その背景として、六林男の戦場体験や戦後の混乱した社会状況があることは間違いない。まずは、作者の強い意志や決意が読みとれよう。しかし同時に、「暗闇の0 」という格助詞の活用により、さらに多義的な解釈を呼び込むような「眼玉」のイメージが現前されていることも否定できない。なぜ、濡さずに泳ぐのか。泳ぐのは、いったい何者なのか。ついに「眼玉」の主体は明かされぬまま、どこか原初的と言ってもよい「眼玉」の強度だけが、ただ読者へと手渡される。 視つめられ二十世紀の腐りゆく 『一九九九年九月』 一九九九年刊 「戰友」より。この「二十世紀」は、もちろん掛詞。梨の品種の二十世紀と、人類の歴史における二十世紀である。おそらく作者は、果実の二十世紀を視つめながら、己れ自身が生きてきた二十世紀を振り返り、視つめなおしているのだろう。しかし、その二十世紀という果実が腐っていくように、二十世紀という時代も腐っていくしかない─。そんな二十世紀と共に生き、やがて滅んでいくしかない六林男。それを視つめている者も、六林男自身なのだ。具象(モノ)と抽象(コト)の絶妙な融合によって、平易に記されながら黙示的とも呼べる一句だ。 高橋修宏さんによる巻末の解説のタイトルは、「〈戦後を問い続ける―鈴木六林男小論」である。 解説から少し抜粋しておきたい。 鈴木六林男が俳句の方法として体得した「リアリズム」あるいは「群作」とはいかなるものであったか。 二〇〇四年十二月十二日、鈴木六林男は亡くなった。享年八十五歳。自らの体験した戦争にこだわり、また自らの生きた〈戦後〉という時代を問い続けた新興俳句に出自をもつ巨人のひとりであった。(略) 六林男の戦場俳句で、まず注目しておきたいのは、当時盛んに賞揚された〈聖戦俳句〉から見事に切れていることだ。極限的な戦場を自らの生活の場として捉えることで、〈死〉を再生産するしかない戦場の本質を、深く認識しえたためであろう。また、その表現的な水準において、これまでにない自立した言語空間を志向した新興俳句の影響を見逃すことはできない。さらに、それらの作品を発表する際に〈群作〉として構成する方法意識など、〈戦後〉における六林男の表現上の重要なモメントが、ここに、すでに出揃っているようである。(略) 六林男をはじめ〈戦後派〉と呼ばれる彼らは、この国の敗戦(八月十五日)を境として、それまでの歴史観をはじめとする価値体系の崩壊を、青年期に経験した世代だ。この価値体系の断絶こそ、彼らを特徴づけるものであり、この断絶を、いかに受けとめ、また苦悶し、そして昇華させていったのか。そのことを見つめ直すことが、とりわけ六林男の俳句世界に内蔵された重層性を理解するために欠かせないものである。(略) 敗戦後、さまざまな価値体系が流動していくなかで、それでもなお〈戦後〉という時代と相対し、俳句表現に昇華させるために六林男が手にした〈リアリズム〉─。そこからは、本文でも鑑賞したように、社会批評を潜めた硬質な作から審美性が際立つ作まで、実に多彩な表情の俳句表現が生まれている。 2004年の12月12日に鈴木六林男は亡くなっている。その4日後に、桂信子が亡くなった。その二人の死について入院中の田中裕明さんが、「六林男さんんも桂さんも亡くなりました。さびしい限りです」という内容のメールをくださった。 よもやその同じ月の30日に田中さんも逝ってしまうとは。。。。。 田中裕明の死は、いまもなおわたしにとっては昨日のことのように鮮明でありその作品は過去のものではないけれど、鈴木六林男の死は、この田中裕明さんの言葉を思い出さなければ、もうはるか遠くの死となってしまった。 今回、こうして高橋修宏さんの執筆によって鈴木六林男の作品にふれることで、六林男の俳句が六林男が遠くなりつつあった読者に対して息を吹き返すことになればと思う。 昨日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「四季」は、塙千晴句集『おかへりの声』より。 ゆきあたりばつたりの旅鰯雲 塙 千晴 「行き当たりばったりには体力というか、エネルギーがいるのだ」と、80歳が近くなった坪内さん(!)は言う。行き当たりばったりの旅は、若さの特権か。 今日はお客さまがおひとり見えられた。 句集のご相談で、若杉朋哉さん。 若杉さんは、すでに第3句集まで、私家版として上梓されている。 句集制作へのおこだわりがあって、活字は精興社の活字、布クロス、造本等すべてにおいてである。 四六判の布クロスの上製本をこれまでに上梓されてこられたが、今回は、これまでの句集の精選句集を予定されている。 大きさも文庫本で、1ページ4句組で、あまり厚くない本。 紙質へのこだわり、活字ヘのこだわり、造本へのこだわり、それらについてご相談にみえられたのだった。 担当は文己さん。 ひとつひとつのご希望をうかがい、それを実現するためのディスカッションである。 最後はわたしも加わって、本作りのあれこれのご希望をうかがう。 はっきりとご自身のイメージをもたれている方は、それはそれで仕事をすすめやすいということもある。 しかし、さらなる細部へのこだわり、それについてはわたしたちは通常そのへんをラフに経過させてしまうこともあって、勉強になる部分である。 ものづくりは、細部が大切である、ということを改めて思った次第である。 若杉朋哉さんは、第2回星野立子新人賞を受賞されているという力のある俳人である。 結社には属さず、基本おひとりで俳句をつくっておられる。 うかがえば、俳句への興味は尾崎放哉を読んだことがきっかけとなって、その後虚子の俳句に開眼し虚子をもっぱらに読まれるようである。 「虚子以外の俳人でお好きな俳人は?」とうかがえば、「虚子につらなるホトトギスの俳人」と答えられた。 「たとえば」と更にうかがったところ、「池内たけし」とお答えに。 「池内たけしはおもしろいです」と。 『ホトトギス雑詠選集」にはよく出てくる俳人だ。虚子の縁筋にあたる人でもある。 若杉さんは結社には属さないが、句会はいくつか参加しておられるという。 岸本尚毅さんにさそわれた句会、そして「星野立子新人賞」を受賞された俳人たちによるメール句会があって参加されているということであった。 曼珠沙華出水の上にうつりけり 池内たけし 出水ではないけれど。。。
by fragie777
| 2023-10-05 19:09
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