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10月4日(水) 更待月 旧暦8月20日
矢川緑地の曼珠沙華。 カメムシもいた。 このカメムシの渋さを美しいとおもって、「きれいじゃない?」ってそばにいた人間に言ったところ、「ごく一般的なカメムシ!」とひと言。 そうか。。。 今日は秋の深まりを感じる一日となった。 着ていくものをどうしようかと迷い、花柄のブラウスを手にした。 もっているたった一枚の花柄のブラウスだ。 黒地のもので、花柄といっても大人っぽい雰囲気が気にいっている。 およそ花柄のブラウスなど似合わないこのわたしが花柄を着たって誰にも文句をいわせない。 やや強気になって袖をとおした。 下は白のジーンズ。 カジュアルに仕上がれば上出来というもの。 新刊紹介をしたい。 四六判小口折表紙帯あり 148ページ 二句組 浅井敏子さんの句集『幼なじみ』 (2015刊)につぐ第2句集となる。昭和12年(1937)愛知県西尾市生まれ、神奈川県秦野市在住。平成12年(2000)「藍生」(黒田杏子代表)入会、令和5年(2023)「藍生」終刊後、「あかり俳句会」(名取里美代表)に入会。本句集に、名取里美さんが序文を寄せている。抜粋して紹介したい。 鈴虫の鳴きすぐる家秦野かな 浅井ご夫妻は、鈴虫を飼っていらっしゃる。ご夫妻のゆきとどいたお世話で、鈴虫は、居心地がよいのだろう。年々増え続けているそうだ。涼やかな鈴虫の音色に満たされる浅井家。お幸せに暮らすご一家を、富士山を仰ぐ青々とした秦野盆地がどっしりと支えているのだ。 寒玉子ふれあひながら光りつつ 産みたての寒玉子だろうか。寒中の冷え冷えとした棚に綺麗に並べられた寒玉子がふれあいながら発するあえかな光。それは、それを見留めた浅井敏子さまが発する光でもあるのだろう。 句集名「秦野」は、長く暮らされてきた土地の名をもって集名とされた。 句集の多くは、師である黒田杏子氏のもとで生まれた作品である。まっさきに読んでいただきたかった一冊ではなかったか。 本句集の担当は、文己さん。好きな句をあげてもらった。 山雀のしぶき飛ばして去りにけり 海水を被りて届く海鼠かな 梅咲いてましろき封筒届きけり 菜の花や耳の小さき猫に会ひ 今年また牡丹の匂ふ庭となり 花も見ず一途に語り逝かれしか 山雀のしぶき飛ばして去りにけり 山雀(やまがら)は、夏の季語である。この「しぶき」は雨にぬれた木々の枝を山雀が勢いよく揺らして辺りに跳ばした「しぶき」のことか。そのことについては、なんのしぶきであるかは読者の想像にまかせている。しかし、山雀の勢いとその野性をシンプルに表現している。多くことは語っておらず、山雀を描写しているのみであるが、読者の目には山雀の様子があざやかに浮かぶ。山雀は四十雀のように街中で見かけることは少ない。山里などに行くとみることができる。この「しぶき」に山雀のもつ命の瑞々しさも感じとれる一句だ。 菜の花や耳の小さき猫に会ひ この一句はわたしも立ち止まった一句だ。菜の花畑で猫に会うというのも気に入ったけれど、さらに「耳の小さき」猫であることが、嬉しい。菜の花の色を背景にふっと現れた猫、あかるい色をせおって、その輪郭ははっきりと見える、それ故にこそ耳の小ささまで作者の目に飛び込んできたのだ。「会ひ」と連用形でとめているのもそこに作者のこの猫にたいする小さな感動の余韻があって、上五のア音のおおらかさ対して中七下五のイ音の響きによってこの句を引き締めている。 ずんずんと杖沈みゆく春落葉 いかにも春落葉らしい一句だ。今年86歳になられる著者である。あるいは杖をついておられるのだろう。その杖があるくたびに春落葉にやわらかく沈む。春の落葉は、寒気が春のおとずれとともにゆるんで、大気の水分をたっぷりとすって濡れていることが多い。そんな水気をふくんでやわらかくなった落葉に杖を入れればじゅうぶんに沈む。その感触を体感しながら、「ずんずん」と進んでいく。この「ずんずん」とに春の訪れの喜びの気持があふれている。「春落葉」ゆえの明るさに満ちている一句。 虫籠を一緒に覗く店のひと この句、口語的な叙法によってユーモラスな味わいの一句となった。たとえば「虫売りのともに虫籠覗きけり」だったら、韻文性をふまえた叙法でいちおう形にはなるけれど、面白みにかける。掲句は、一瞬の動作をそのままはからいなく叙することで、とぼけた俳諧味が生まれた。一緒にのぞいて、その後おもわず顔をみあわせる、そんなことも想像させる一句だ。買う側いじょうに熱心に虫をみつめている「店のひと」が好ましく思われるような句である。 葱畑歌舞伎役者のごと飛蝗 この句は、序文にて名取里美代表も触れている一句である。「飛蝗に歌舞伎役者の比喩が実におみごとである。葱畑で飛び上がった飛蝗が、見得を切るような仕草に見えたのであろう。」と鑑賞されている。「飛蝗」に「歌舞伎役者」とは、その想像の楽しい飛躍に笑ってしまうが、この一句を読んでしまうと、以後飛蝗の跳躍をみたときに「歌舞伎役者」を思い出してしまうと思う。いまは歌舞伎も「宙吊り」があったりずいぶん身体感覚を鍛えなくてはならない芸を要求されるようである。飛蝗もうかうかしてはいられない。 初便り本気を出すといふ男 この句も面白い。本気を出すって手紙にしるされているけれど、いったい。。。ユーモラスな男性像がたちあがる。 校正スタッフの幸香さんは、〈朝涼や空つぽの巣に山の風〉を選び、「淋しさ、すがすがしさが伝わってきて特に惹かれた句でした。」と。 このたび名取里美先生のご指導を頂き第二句集『秦はだ野の』を上梓することができました。 第一句集『幼なじみ』は、喜寿を迎えた記念に出版しましたがあれから丁度八年が経過しました。 この句集を上梓しようと思い立ったのは、コロナ禍の折黒田杏子先生の最後の特別例会での添削のご指導でした。 「初心にたちかえること。年齢はぎりぎりですが単なる俳句おばさんで終らないために……」と赤ペンでびっしり書かれてありました。 収めた作品は、「藍生」への投句を中心に二百二十五句をまとめたものです。 現在は「藍生俳句会」と鎌倉に発足した「海燕の会」で名取先生にお世話になっています。これも黒田先生のおっしゃる句縁であると思います。 七月七日七夕の日に故郷三河の西尾市を訪ねました。懐かしい人々にも逢い、広々とした無人の生家が迎えてくれました。 今や三河の生活よりも秦野の生活が長くなりました。日々出会った事や感じたことなど俳句にして楽しんできました。句集名「秦野」はこのようにして生まれました。 「あとがき」を抜粋して紹介。 本句集の装釘は和兎さん。 第一句集『幼なじみ』も和兎さんであり、浅井敏子さんのご希望によって第2句集も装釘をすることになった。 作者の人間性が善良な光を持てば、その俳句作品も、善良な光を放つのである。 浅井敏子俳句は、まさにその善良なあたたかい光をじんわりと湛えている。(名取里美/序) 黒田杏子先生を偲ぶ会の頃までに、とのことでお作りいたしました。 奥付の10/10は浅井様のお誕生日です。 装丁も、ひと目見て気に入られたものです。 と担当スタッフの文己さん。 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 句集の句をノートに書き出して、皆様からの好評句を記して楽しんでいます。まずは皆さん、きれいな装丁とお褒めくださいます。俳句のお仲間は勿論、なかなか連絡をとらない懐かしい方々からもご反響があり、句集を出したことで人生が広がっていくような感じがして、毎日がとても楽しいです。ありがとうございました。 浅井敏子さん 6月22日のご来社の時に。 花も見ず一途に語り逝かれしか 本句集の掉尾におかれた一句である。 「深悼 黒田杏子先生」と前書きがある。
by fragie777
| 2023-10-04 19:29
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