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10月2日(月) 居待月 旧暦8月18日
黄花コスモスの蜜を吸う蜂雀(ほうじゃく)。 矢川緑地にいた。 とても綺麗な蜂雀。 決して止まることはなく、羽をふるわせながらかなりのスピードは花から花へ移行する。 出会った嬉しさに激写(?)してみた。 新聞記事をひとつ。 本日づけの讀賣新聞の「枝折」に梶原さい子著『落合直文の百首』が紹介されている。 「塔」選者の歌人が近代短歌の源流とされる落合直文(1861~1903年)の歌を鑑賞。〈名もしれぬちいさき星をたづねゆきて住まばやと思ふ夜半もありけり〉のように、100年以上前の作とは思えない現代的な叙情に驚かされる。〈おくところよろしきをえておきおけば皆おもしろし庭の庭石〉について、著者は「直文という人が表れた歌」と書く。江戸から明治の過渡期、自らは一冊の歌集を出すこともなく、新旧の和歌や歌人、都会と地方など「いろいろなものを結びつけた」と評価する。 この本の担当だったスタッフのPさんは、落合直文びいきである。多くの人にこの一冊を読んで欲しいって思っている。 この記事をとても喜んでいた。 「現代的な叙情」とは、まさに然りと思う。 今日は、橋本鶏二、原裕の忌日である。 中村雅樹著『橋本鶏二の百句』より一句とその鑑賞を紹介したい。「鷹の鶏二」と呼ばれ鷹をよんだ作品に代表作がある。 水馬はじきとばして水堅し 橋本鶏二 「水馬」は「みずすまし」と読み、甲虫の「みずすまし」ではなく、「あめんぼう」を意味している。「水堅し」に対して、鷄二によれば、「あめんぼうという少し間伸びのした声調では句の心が消える」のだ。水馬と水との関係が、緊張感とともに厳しく言い留められた一句。なお後に〈水すまし水に跳ねて水鉄の如し〉という村上鬼城の句があったことを知ったという。 原裕については、目下原朝子著『原裕の百句』を刊行をめざして編集中である。 それより一句を紹介しておきたい。 兜虫ある夜の少年駈けてをり 原 裕 少年時代の回想句。戦争のため家にいた職人たちが出征するなどして空いた部屋を一人で使っていたので、夜中、家族に知られることなく抜け出して、屋敷の周囲の田圃道を駈け回ることがあった。それは欲しいものを忘れるためだった。本に対する飢えが著しかったのだろう。飢えに見舞われた少年の奇行を知るのは筑波山と星空だけだった。この少年期の慰めとなったのが、神社裏の雑木林で採取した兜虫であった。切なくなつかしい少年期を彩る兜虫である。 (『青垣』所収) 本書は10月半ば刊行予定である。 俳誌「円座」10月号の関悦史さんによる「平成の名句集を読む」に、2013年に刊行された大沼正明句集『異執』が取り上げられている。 刊行されてから大分時間が経ってしまっている本句集が、こうして関悦史さんによって取り上げられることは嬉しいことである。 抜粋して紹介をしておきたい。タイトルは「踊る言葉の我」 日本以外の地と俳句が交わるところといえば、旅吟の一種としての海外詠、そして日本の俳句作家による作品の外国語への訳出、あるいは外国人により外国語で作られる俳句といったものがさしあたりイメージされるのだが、2013年(平成25年)に刊行された大沼正明のA5判ハードカバー四句組み二一八ページに一九八九年から二〇一二年までの句を収めた持ち重りのする句集『異執(いしゅう)』(ふらんす堂)は、それらとは別の道筋による世界俳句を体現している。別の道筋とはディアスポラ(民族離散)を指す。ユダヤ人に限らず、古来幾多の民族が大規模な移動を強いられてきた。日本人も例外ではない。 「旧満州生まれのおそらく最年少引揚者であろう己が原点をを探る旅」として「句作りの継続には不可避との思い」をもって大沼正明は「一九九一年(平成三年)秋からの足掛け四年は、中国東北部の長春にて現地の人々と寝食を共にした」(引用部分は句集「後記」から)という。(略)たとえば「中国長春にて」と前書のついた十一句に以下のような句がある。 コノ舎夜(イエ)ト霧(ウー)日本人ト犬入ルベカラズ 『夜と霧』はいうまでもなくヴィクトール・E・フランクルがナチスの強制収容所に収容された経験から著した本のタイトル。それに中国語の読みのルビをふって異化しつつ取り込むことで、日本人たる自身に迫ってくる国家規模の加害被害関係を、心情的に描くのではなく、世界史的な視点から位置づけなおしてみることで、恥辱の場面を冷静に、またやや飄逸に俳句化している。 (以下略) もっと抜粋をしたいところであるが、ここでとどめる。 果たして大沼正明さんはこの評を目にしているだろうか。 コピーを今日お送りしたが、届くだろうか。。。。 大沼さんにこそ読んで欲しい評である。 先日、「田中裕明賞授賞式」で関悦史さんにお目にかかってこの評のことに話がおよんだとき、ほかにも論じておきたい句集があるのだけれど手にはいらないとおっしゃっていた。句集名をうかがうと、ふらんす堂刊行のものと他社のものとそれぞれ二冊。ふらんす堂刊行のものは資料本しかない。「借りるのでいいから論を書きたい」と関さんは仰るので「是非に」とお貸しすることにした。他社のものも著者の方から送っていただいていたので、それも一緒にお貸しすることにして今日発送。二冊の本たちは、論じられるということで嬉しそうだった。 関悦史さんの論考を楽しみにしたいと思う。 以下余談。 昨夕、修理されて愛車が戻ってきた。 ホッとしている。 オフホワイトの車なのであるが、サイドミラーをピンクにしてもらっている。 愛猫の日向子の耳がピンク色だったので、そのように。 そしてこの愛車をひそかに「日向子」と呼んでいる。 もうぶつけたりしないで大事に乗りたいと思う。 矢川緑地で拾った木の実。 左が櫟の実、右が小楢の実(いわゆる団栗)。
by fragie777
| 2023-10-02 18:40
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