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9月19日(火) 子規忌 旧暦8月5日
ということで、鶏頭の盛りはまだこれからだとおもうのだけれど、 先日の谷保に咲いていたもの。 鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 正岡子規 小室善弘編『正岡子規句集 鶏頭』より 鶏頭に日の残りけり勝手口 永田青嵐 大阪俳句史研究会編『永田青嵐句集』より 土を踏む土はくだけて鶏頭花 野田別天楼 大阪俳句史研究会編『野田別天楼句集 雁来紅』より 小室善弘編『正岡子規句集 鶏頭』 の末尾には「作年不祥」とあって、 生きてをらんならんといふもあつい事 という句がおかれていて、今年の夏の暑さといまの残暑を思い、実感した次第。 クーラーも扇風機もなかったこの時代もまた、さぞ暑かったことだろう。 ましてや闘病の身にあった子規には、逃れようのない暑さの日々だったろう。 今日はお客さまがおひとりいらっしゃった。 俳人の守屋明俊さんである。 第5句集にあたる句稿をご持参くださったのだ。 守屋明俊さんは、20年間編集長をされていた俳誌「未来図」(鍵和田秞子主宰)が、終刊後、俳句同人誌「閏(うるう)」を立ち上げ、その代表である。 来年は「閏」も創刊3周年をむかえられるという。 それにむけてご自身の第五句集の上梓をご予定である。 「未来図」の編集を20年された守屋さんに、師であられた鍵和田秞子氏についていろいろとうかがった。 「句の格調を大事にされた先生でした。俳句に対しては厳しいものがあり、句会後に『句会にもってくる以前の句を出すな』などと叱られました。」 「先生の家と近くだったので、編集については家をお尋ねして打ち合わせやお話を伺ったりしたのですが、そのやりとりの20年間に培われたものはかけがえのないものだったと思います。」 「鍵和田先生は、その師である中村草田男のことばで、俳句は他の芸術と肩をならべらるような芸術であること、という精神を引き継いでおられ、わたしがペーソスのまさった句や笑いをとるような句などをつくると、『あなたはそろそろ草田男の方へ戻るべき』などとおっしゃられたりしたのでした。」 「しかし、総合誌だったと思うのですが、宇多喜代子さんがわたしの句をとりあげて、守屋さんの句は切なさが基本にある。その切なさが心の奥深くからでていることを思う、と書いてくださって、それを知った鍵和田先生は、『ああ、そうだわね』と納得してくださり、『あなたはあなたの道を行きなさい』と理解を示してくださったのです」 そのようなあたたかな指導をされた鍵和田秞子氏も、2020年の6月に亡くなられた。 ふらんす堂ではご生前からの約束で『鍵和田秞子全句集』をお作りいたしたが、そのときの編集責任者が守屋明俊さんだった。 大変お世話になったのだった。 そのようなご縁もあっての第五句集の刊行である。 前句集『象潟食堂』より5年を経てのこの度の句集上梓である。 「この5年間は、苦しい5年間でした。師を亡くし、母を亡くし、「未来図」の終刊、そしてコロナと激動の時代でした。句集には、そんな自身のありようを率直に詠んだものを収録しました。」と。 守屋明俊さん。 「『未来図』が終刊になって、その後は一人で個人誌のようなものをやろうと思っておりました。しかし、肩をおしてくれる俳句仲間がいて、俳句同人誌「閏」を立ち上げたのでした。自分の句を選評してもらえる喜びを鍵和田先生によって知りましたので、会員の人全員の選評をするようにしています。」と守屋さん。 俳句同人誌「閏」 来年は3周年をむかえられるという。 明日は、新刊紹介をいたします。
by fragie777
| 2023-09-19 19:34
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