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9月17日(日) 旧暦8月3日
今日の翡翠。 昨日の国立の里山・谷保は稲の秋だった。 当世の案山子。 やや、これは! 稲穂の上を這う虎である。 こんなの、あり? これって効果があるんだろうか。。。 今日は、いま夢中になっている中国ドラマ時代劇を見てほぼ一日を過ごす。 このブログも、はやく書いてしまってこれからその続きを観る予定。 本当にミーハーなのよ。 韓ドラ、タイBL、中国ドラマ、もう人生、飽きることなんてありゃしない。 わたし、仕事があって良かったって思ってる。 そうでないと、きっと一日中、ドラマ漬けになっていたかもしれない。 今日のブログは、どうしよかなあ。 ひさしぶりに田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より、9月18日付けのもの。田中裕明さんの鑑賞によるもの。 いなびかり生涯峡を出ず住むか 馬場移公子 ずっと遠方に起こった雷は、音は聞こえず晴れた夜空に、雷光だけが走るのが見える。これを稲妻という。もともと雷は夏の積乱雲による夕立のときに多いのだが、雷光だけを言う稲妻は秋の季語になっている。古くからこの雷光が稲を実らせるものだと信じられていたからだ。古今集にも「秋の田の穂の上てらす稲妻の光のまにもわれや忘るる」というよみ人しらずの歌がある。 作者馬場移公子は大正七年(一九一八)埼玉県秩父に生まれた。昭和一五年結婚、昭和一九年夫の戦死後、蚕種屋の旧家を守って生涯を山峡の生家に過ごした。俳句を水原秋櫻子に師事し、秩父山峡の自然の中の生活を詠んだ。 掲出句は句集『峡の音』(昭和三三年刊)所収。句集のはじめには、「峡の音せまきに馴れて星まつる」という作品もある。空を見上げれば峡という言葉が身にせまってくる。あきらめ半ば、やすらぎ半ばの境地であろう。(いなびかり・秋) 馬場移公子(ばば・いくこ)は伝説の俳人である。素晴らしい俳句を詠んだが、けっして表舞台に出ようとはしなかった。わたしは編集者勤務時代に、作品を1,2度貰ったことがある。お電話で一度くらいはお話しているかもしれない。 この俳人のものをまとめて読むこともいまではできない。 郷里をおなじにするということも、近しいものを感じている。 「百句シリーズ」などで、とりあげることができればと思っている俳人の一人である。 聞いたところによるとたいへん美しい人であったということである。 さっ、ブログを書けたので、これから中国時代劇のドラマのつづきを見るつもり。 60回以上あるそのドラマ、もっか45回あたり、話はいよいよ佳境にはいって目が離せないのよ。 ところで、明日は祝日でお休みらしい。 いったい何の祝日? いまカレンダーを見た。 「敬老の日」ですって。
by fragie777
| 2023-09-17 20:07
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