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9月15日(金) 旧暦8月1日
女郎花と吾亦紅。 風に傾斜する女郎花。 朝、ニュースを見ていて、阪神が18年ぶりにリーグ優勝をしたことを知った。 すると、俳人の摂津幸彦さんが大の阪神ファンであったことを思い出した。 摂津さんは、関西出身である。 一方大阪出身であったが、田中裕明さんは巨人ファンだった。 それを田中さんから直接聞いたとき、アンチ巨人だったわたしは。「あら、そうなのお!」ってちょっと不満そうな顔したことなども一緒に思い出したりたのだった。 今日は深見けん二先生の忌日である。 2021年の今日亡くなられた。 草に音立てヽ雨来る秋燕 深見けん二 客観写生は、その作者の器量と表現の技の習練により、描く天地が大きくもなり小さくもなり、また季題の力によって作者を超えた俳句も出来る。それが花鳥諷詠の俳句なのである。(ふらんす堂文庫高浜虚子精選句集『遠山』深見けん二編 解説より) 新刊紹介をしたい。 四六判フランス製本カバー装帯有り 188頁 二句組 俳人・舘野豊(たての・ゆたか)さんの第3句集となる、舘野豊さんは、1955年横浜生まれで現在も横浜市在住。1976年「雲母」に入会、1993年「白露」創刊同人、1998年第2回白露評論賞受賞、2011年第6回白露評論賞受賞、第1句集に『夏の岸』(2002年玕)、第2句集に『風の本』(2011年刊)、評論集に『地の声 風の声―形成と成熟』(2019年刊)がある。「郭公」創刊同人である。 舘野豊さんは、2015年56歳で亡くなれた俳人・三森鉄治さんと親しく、三森鉄治さんの遺句集『山稜』を編集されている。 また、ふらんす堂とは深いご縁のある方である。 前句集『風の本』よりすでに10年以上の歳月が経っていることに、わたしは少なからず驚いている。 評論集は『地の声 風の声―形成と成熟』 は、すぐれた飯田龍太論を収録。 本句集の担当は、文己さん。 猫呼べば小さく応へ枇杷の花 花散つて水の遅速にしたがへり たましひに羽あらばこの秋の蝶 冬霞地の声を聴きとめし人 銀座四丁目春雷の遠きまま 耳澄ますときは目を閉ぢ秋の声 水打つて住職風を見てゐたり 文己さんの好きな句をあげてもらったが、 「個人的には猫や犬の句がとても印象的でした。動物たちとも心を通わせている雰囲気が伝わってきます。」と言って、〈尾はべつの夢見て除夜の猫ねむる〉や〈漆黒の犬に甲斐の名雪催〉などの猫や犬の句もあげている文己さんである。文己さんのあげた句をみて、猫を詠んだ句の多さにおどろいた。はては、舘野さんは猫好きか。。。 猫呼べば小さく応へ枇杷の花 この句は、なんといっても「枇杷の花」がいい。華やかでは決してないが存在感のある枇杷の花。やや暗さもあって小さな花であるが重さも感じさせ、猫という一筋縄ではいかない複雑なとびきりかわいい動物に響き合っている。この「小さく応へ」が作者の猫への傾倒ぶりを見せている。猫はもともと大声をだすことは喧嘩するときぐらいで、犬のように吼えたりはしない。呼んだとしても返事をしてくれないか、わかっていても無視をするのである。気が向いて小さくにゃッと応えてくれればそれはもう嬉しい。そんな猫とのやりとりを一句にしたのだ。枇杷のやさしい色がみえ冬の陽ざしにみちたあたたかな空気が伝わってくるような一句である。おなじ猫の句でも、〈尾はべつの夢見て除夜の猫ねむる〉にわたしは目がとまった。尾っぽだけは別の夢みてるなんていいじゃない。こんな風に眠る猫をみてそう思う舘野さんのこころのゆとりがいい。除夜の猫に与えられた特権なのかもしれない。わたしも別の夢が見られるようなしっぽが欲しいって思ったのだった。 たましひに羽あらばこの秋の蝶 「十月二日」という前書きがあって、〈葡萄棚かつと三森鉄治亡き〉という句をはじめとして三森鉄治への追悼句がつづく。掲句はそのうちの一句である〈たましひのはばたき聴かん秋の空〉〈その声にその面影に秋気満つ〉という句もある。挙げた句は、目の前をよぎる秋蝶に三森鉄治をみいだしたのだ。秋気澄む世界のことごとくに畏友・三森鉄治がいる。この一連の追悼句は本句集のなかでも読者のこころを捉えるものだ。本句集においてはほかにも、追悼の句が収録されている。師・広瀬直人への〈吹き荒れしあとの春空直人逝く〉、「七月四日」という前書がある〈逝く父の呼びしか梅雨の闇に覚め〉〈なきがらも雨聴くごとし夏の暁〉などの父への追悼句、「時の影」という句集名が象徴するようにこの句集は、逝きし人々へささげられたものかもしれない。どの句も著者舘野豊の静かな心音がきこえて来るような耳目を集中させた属目の風景である。それ故にこそ、作者の悲しみが確かな輪郭をともなって伝わってくるのだ。 水打つて住職風を見てゐたり わたしもこの句は好き。「住職」がこの句の要だ。ほかのだれでもなく。「住職」という言い方には僧侶などの謂いとは違って生活感がある。生活の一コマとしてこのご住職は水を打ったのである。しかし、その後、その水を打ったところに佇んでいる。作者はそれを見て、ああ、風をみているんだと思ったのだ。ご住職さんは、風をみているその間は、生活の俗事から解き放たれて、まるで放心状態にあるかのように風の行方を目で追っているのだろう。しかし、この句「風を見てゐたり」ときっぱりと言い切っているところがいい。風を見る住職とはなんと清々しいこと。住職と風の邂逅、ほかのどんな職業人よりふさわしい出会い。そんな風におもえるのだけれど、どうだろう。そしてこの句、その風をみる住職をみている作者の目もまた澄んでいるのである。 島ぢゆうの木が鳴つてゐる初伏かな 「初伏」が季語。「三伏」のうちのひとつ。「三伏」はよく詠まれるが、「初伏」の句はあまりない。そういう意味で新鮮に読んだ一句だ。「三伏」の季語は、逃れようもない暑さを感じさせるけれど、「初伏」はそのしょふくという言葉の響きがどことなく涼やかで、上五中七の措辞によく響き合っている。好きな一句である。 すこし跳びすこし考へ鴉の子 可愛らしい一句だ。この句をみて、高野素十の鴉をよんだ一連の句を思い出した。〈たべ飽きてとんとん歩く鴉の子〉〈とんとんと歩く子鴉名はヤコブ〉など。舘野さんの句の「すこし考へ」というのがいかにも子鴉らしい。鴉って観察していると首をとちょっとかしげ、ものを考えているような様子をみせる。実際頭のよい鴉のこと、なにか知恵をめぐらしているのだろう。この句は、「すこし」の繰り返しが調子よく、その様子を活写したのみで一句となしたところがいかにも俳句らしくていいと思う。わたしは好きな一句である。おもわせぶりもなくそれ以上をあえて語らない、それが好き。 校正スタッフのみおさんは、「〈それぞれの飾り吹かれて舟溜〉がとても好きです。お正月の静かな漁港を想像しました。」 『時の影』は、『夏の岸』『風の本』につづく第三句集になる。二〇一一年から二〇二二年までの三一一句を収めた。 句稿を整理しつつこの十年余りを振り返ると、多くの方々の力を借りて句作を続けることができたことを感じる。 「あとがき」を紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 帯の青磁色がテーマカラーである。 この色をみたとき、舘野豊という俳人にふさわしい色だって思った。 テーマカラーを潜ませているカバー。 カバーにもちいたのは半透明の用紙。 表紙の色がすけてみえるように。 カバーをとると、青磁色の本体があらわれる。 見返しも表紙とおなじ用紙。 栞紐も青磁色。 天アンカット。 たましひのはばたき聴かん秋の空 出来上がった本を御覧になって、 「素敵な本に仕上がったと思います。」と舘野さん。 上梓後のお気持ちをひと言いただいた。 「今回の句集は鎮魂の思いが色濃く出たようです。 また、生き物を詠んだ句も増えた気がします。どこかで癒しを求めているのかもしれません。」 舘野豊さん 今年の4月11日にご来社くださったときに。 舘野豊さま ふたたびご縁をありがとうございます。 三森鉄治さんへの思いの深い一冊と拝読しました。 三森鉄治さんの遺句集ではほんとうにお世話になりました。 鳥渡る太陽を追ひ風を追ひ 舘野 豊 太陽のほかは求めず返り花 三森鉄治
by fragie777
| 2023-09-15 20:29
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