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9月13日(水) 鶺鴒鳴(せきれいなく) 旧暦7月29日
萩の花。 そろそろ咲きはじめている。 神代植物園には、萩のアーチがあってなかなか素敵だ。 まだちょっと先になるだろうけど、それを潜るのを楽しみにしている。 新聞記事を紹介したい。 昨日の読売新聞の新刊紹介に、ふらんす堂の本が櫂未知子さんによって二冊とりあげられている。 第3句集。政治からごく身近な話題まで幅広い句材を網羅する著者。本書では自然詠にも新たな境地を開いたように思えて頼もしい。 〈国家からすこし離れて葱坊主〉〈わが去りし席が消毒され西日〉〈日本に醤油ありけり冷奴〉 第1句集。田中裕明系らしい抑制されつつも華やかな作品が並ぶ。 〈鴨の背を雨滴転がる遅日かな〉の写生の目、〈鼓なめ笛はあたため神遊(かみあそび)〉〈寒施行静かに声をかけながら〉などの実のある描写が印象的。 俳句総合誌「俳壇」10月号では、栗林浩さんが、「俳書の森を歩む」でふらんす堂の百句シリーズより、三冊をとりあげて評している。それぞれをすこし抜粋しておきたい。 著者の瀧澤「今」主宰は福田甲子雄をこよなく敬愛した門下生。まわりには甲子雄を慕う俳人たちが集まっている。 亡きひとの名を呼び捨てに冬河原 生誕も死も花冷えの寝間ひとつ 二日前に笑顔で話していた同僚のあっけない死があった。 小生は亞浪の句をゆっくりと読むのは初めてである。河東碧梧桐―大須賀乙字に繋がり、虚子とももちろん交流があった亞浪だが、「石楠花」を興し、三千にも及ぶ門下生を育てたにしては、露出度は余り高くない。それは、虚子でも碧梧桐でもない第三の方向を指向したためであったろうか。 すがりゐて草と枯れゆく冬の蠅 霧よ包め包めひとりは淋しきぞ かつこうや何処までゆかば人に逢はむ 「かつこうや」の句は人口に膾炙した句。このとき渋温泉に来合わせた虚子と合って、俳句へ復帰する決意を固めた、と書かれている。 池田澄子のこの著作、懐かしく、あるいは、こんなことだったのか、と驚きを含めて、興味深く読ませていただいた。 死に消えてひろごる君や夏の空 この句が髙柳重信への追悼句と知って驚いた。しかも、重信が静脈瘤破裂だったとは! もちろん前書きがないので「君」はどこに「君」でもいいのであろう。 同じ号で、望月周さんが「本の庭」でふらんす堂の句集を紹介してくださった。 「はるもにあ」に所属する著者の第1句集。二十年間の句業からは、俳句に向き合うひたむきさが感じられます。 鴨の背を雨滴転がる遅日かな 牽牛花手に吸ひついて破れけり 即物的な描写で命の輝きを映し出しています。その輝きに触れる作者の生もまた、透けて見えてくるようです。優れた写生句と言えるでしょう。(略)著者が出会った二人の師・満田春日氏と故田中裕明氏の呼吸が思われました。 今日はほぼずっとバランスボールの上に乗っかって仕事をした。 ときどき腰がつかれたり、眠くなったり、そうすると身体をバランスボールにそわせて、こうぐっと後ろに反り返るのである。 自分の身体が軟体動物になったかのように。 グラグラと不安定で落ちないか?って。 そこはもう慣れたもんで、全然平気。 バランスボールとの付き合いも長いし、お互いに信頼の絆はふかい。 腰がのび、お腹ものびる。 ああ、いい気持! で、 見える世界は。。。。 こんな感じ。。 あはっ。 (これもバランスボールに乗って、身体をそらしたまま撮った一枚)
by fragie777
| 2023-09-13 18:31
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