カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
9月10日(日) 旧暦7月28日
残暑の厳しい日曜日となった。 おおかたは家でごろごろと過ごし、夕方自転車で仙川沿いを仕事場へ。 夕暮れの丸池公園の池。 水はやや暗く、たくさんの水馬が泳いでいた。 この写真でもようく見るとわかる。 仙川では、川鵜が羽をひろげて乾かしている。 羽を形作っている筋肉がすごい。 途中自転車屋さんに立ち寄って、自転車に空気をいれる、というか入れてもらう。 仙川の街はいつもながら賑やかである。 昨日の毎日新聞の坪内稔典さんによる「季語刻々」は、仲寒蟬句集『全山落葉』より。 菊を作るな好々爺にはなるな 仲 寒蟬 菊を育てることと好々爺がイコールで結ばれている。そしてそのことを自らに禁じているように思われる。しかし、「菊を作る老人はすごい」と坪内さんは最近は思っておられるという。鑑賞の末尾に「この句、自戒?」とある。 この一句、思うに「好々爺」になることを戒めているのだ。「好々爺」を辞書で引くと「人のよい老人。にこにこしたやさしそうな老人」とある。温厚に着地しないで、怒ることをわすれてはいけない、ということなんだろうってわたしは思った。菊に罪はない。いまの日本のいや世界の状況を考えるととてもとても温厚に歳をとることもできゃしない。老人が温厚でいられる社会であって欲しいと思う。 今日は片山由美子著『色の一句』より今日の日付のもの。 秋霖の濡れて文字なき手紙かな 折笠美秋 秋は案外雨の日が多いものである。「秋霖」は、何日も静かに降り続く雨。その雨の中をどこから届いた手紙だろうか。濡れた字が消えてしまっている。葉書に万年筆で書いたりするとこんなことになりかねない。何が書かれていたのだろう。差出人は書いたことが当然読まれたと思っているが、じつは何も伝わっていない。それによって人生が大きく変わってしまうことだってある。(『君なら蝶に』)季語=秋の雨(秋) 昨日、二人の方に葉書を書いた。 それを握りしめて、ポストまであるいた。 途中、友人の姿がみえたのでちょっと挨拶をして、そのあとすぐに投函した。 その時、 ふっと投函した葉書が一枚だったように思えた。 しかし、投函後である。 確かめようがない。 ひょっとしたら落としたかもしれないと来た道をもどって捜してみた。 それらしきものはない。 (大丈夫よ。。きっと二枚投函したのよ。大丈夫、大丈夫!)って自分に言い聞かせた。 二枚ともいただいた書籍の返事である。 失くしたかもしれない一枚は、ふだんなかなか交流のない俳人の方だ。 自分の家をうしなって仮住まいをされているという。 御返事はたいしたことは書けなかったが、それでも一行書くのに、時間を費やした。 もし落としたとしたら、、、、 落ち込む。。。 今日の翡翠。
by fragie777
| 2023-09-10 20:02
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||